投稿SS3・血のローレライ

血のローレライ(1)
 

「あなたはすてきなひとだけど〜♪おかねがないならさよならね〜♪」
 街路に面した緑豊かな児童公園。その中のジャングルジムの頂上から、小鳥を思わせる甲高い歌声が
聞こえる。声の主は、真っ赤な毛糸のボンボンが可愛らしい白い薄手のセーターに、お揃いの真っ赤な帽子と
真っ赤なミニスカートという出で立ちである。この娘は羞恥心をどこかに忘れてきてしまったのだろうか。
鉄骨の頂点に膝を抱えて座るその姿は、下界の人間にそのスカートの中身を見せ付けている様だった。


「パラリラ〜 まほうみたいなぁ〜♪ ウポポポ〜こいがし〜たい〜♪」
 奇妙な歌のフリに合わせて華奢で小ぶりな身体を揺するたび、その明るい水色の薄い布地には様々な
表情が浮かんでは消えた。少女の存在に気づくと悉く顔を赤らめ、名残惜しそうに振り返りつつ通り過ぎる
通行人に混じって、少女に近づく一つの影があった。


「ほら、そんな所で歌ってると危ないよ。落ちたらどうするの?」
 少女に声を掛けたのは、胸と背中に「607」の文字をプリントされたジャンパーの男だった。鉄骨の
直下まで来て話しかけたので、まるでパンティと会話をしている様だった。水色は男を黙殺した。
サイズが一回り小さいのか、肉襞に異様に密着する水色の肌着はその内部の構造までもを克明に
描き出していた。男はやや逡巡していたが、艶かしく蠢く水色が男の理性を失わせた。
「お、お兄さんとおいしいケーキでも一緒に食べない?いっ、いいお店、知ってるんだ」
 異常な興奮に上ずる男の声が響くと清冽な歌声は止まり、水色と内部の肉塊も静止した。



血のローレライ(1)続き


「い〜い〜よっ!…ふっ!」
 少女はジャングルジムの頂点から一息に跳躍すると、男の目と鼻の先にフワリと着地した。少女らしさを
残したままショートにまとめられたブラウンの髪が風を孕んで広がり、シャンプーと少女特有の汗の匂いが
入り混じった芳ばしい香りが男の鼻腔へ吸い込まれた。
「うわっ!足、大丈夫?い、今、お兄ちゃんがいいところに連れてってあげるからね…」
「うふふっ…うれし〜!夢みたい!ねえ、早く早くぅ!」
 ふたりを乗せたバンは街中ではなく、住宅街へ向け走り出した。


「もう目隠しを取っていいよ」
 少女が降り立った場所は、喫茶店でもなければ洋菓子店でもなかった。そこは、薄暗くて狭い場所だった。
「驚くなよ?ここは…」
「あーっ!わかった!体育倉庫でしょ?去年廃校になっちゃった小学校の。クララは行ってないけど、友達
とよく来たからわかるんだ…懐かしいなあ…よくこの体育マットで遊んだりしたっけ…」
 男の説明は少女の声により遮られた。男は、少女の心底楽しそうな様子に狼狽の色を隠せない。


「おい!俺の話を聞けよ!お前は俺に…」
「はいはい。クララを犯したいんでしょ?おまんこしたいんでしょ?犯っていいよ。できるもんならね」
 男にとって、少女の反応は全くの想定外だった。絵に描いた様な可憐な美少女から紡ぎ出された淫猥極まる
挑発的な台詞は、男の思考をを一旦停止させるに十分だった。言葉を失い立ち尽くす男の眼前で、少女は
ステッキを振り回し高々と掲げて止めた。するとステッキの先端の大粒の輝石からピンクの光が放たれ
廃空間を覆った。余りの眩さに視界を奪われた男が次に目にしたのは、信じられない光景だった。
 

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血のローレライ(2)


 少女の両拳に、ボクシンググローブがはめられている。毒々しい程真紅に艶めく、薄く硬い試合用8ozだ。
少女は、右拳に握っていたステッキを廃倉庫の体育マットの山の上に放り出すと、左半身を前に出し両拳を
顎と鼻の間の高さまで持ち上げ止めた。可愛らしくも、一分の隙も無いファイティング・ポーズだ。
 やがてフットワークが始まり、潤沢な艶のある茶がかった前髪がふさふさと揺れ甘やかな匂いが微かに漂う。
全身の躍動に伴う衣擦れの音と床が規則的に軋む音だけが、狭く埃っぽい体育倉庫内に響いていた。
 男は漸く状況を把握した。あのピンクの光は何だか解らないが、こんな生意気なじゃじゃ馬娘を無理矢理
組み伏せて滅茶苦茶に突きまくって前も後ろも両方とも処女を奪ってやるのも悪くない、と思った。


「公園で会った時から思ってたんだけど、お兄ちゃんみたいなドン臭くてスケベなオタク君じゃ、豪血寺の
血を引く私にはどうあがいたって勝てないよっ!だからね……シィッ!」
 刹那、男の視界が真紅に覆われた。それが左の試合用8ozのナックルパートであると言う事を男が認識する
前に左拳は戻され、更なる挑発の言葉が、少女の柔らかく膨らんだ薄紅の唇の隙間から紡ぎ出された。
「クララの武器はこれだけ。左ジャブだけで闘ってあげる。どう?悔しい?ふふふっ、そうそう、いい表情…!
お兄ちゃんはどんな卑怯で卑劣で卑屈な手を使ってもいいから、私を押し倒せば勝ち。おまんこもお尻の穴も
クララの全部をあげちゃう。でも、クララがお兄ちゃんを殴り倒したら、お兄ちゃんがクララの…」


 男は少女の宣言の終了を待たず、少女の下半身に猪の如く突進した。いや、しようとした。
軽快な破裂音が響いた。男の右手は空を切り、直後、少女の左ジャブが男の顎を正確に打ち抜いたのだった。
少女はその美少年を思わせる秀麗な顔に、呆れた様な嘲笑の色を浮かべると気だるそうに言った。
「あのね…どうせ反則するならもっと上手にやってよね…。そんな手は誰でも考え付くしさぁ。それに動きが
スローすぎてあくびが出ちゃうよ。ふわぁ〜あ…。…はい。今から試合開始。まっ、せいぜい頑張ってね」



血のローレライ(2)続き


「うくっ!…こ、このガキィーーっ!!!ぶち殺してやる!!」
 逆上した男は遮二無二少女に殴りかかった。リーチで5cm以上も上回る筈なのに、男のパンチは少女に
かすりもしない。1歩踏み込むと少女は2歩下がり、或いは軽快なサイド・ステップで躱し、動きが止まると
鋭く踏み込んだ少女のスナッピーな左ジャブが、男の顎をパンチングボールの如く次々と弾き飛ばした。
「シッ!ほらぁ、どうしたの?シュッ!そんなパンチ、ハエが止まっちゃうよぉ?…シュシュッ!!
こんな女の子にさぁ…シッ!一方的にサンドバッグにされるなんてぇ…シシュッ!!…悔しくないのぉ?
…シッ!…男としてさぁ、情けないとか思わないのかなぁ?…シシュシッ!!…シィッ!」
 少女の左ジャブはそのスピードを増しつつ正確に男の顎を打ち上げ脳を揺らし続けた。少女の歌う様な
美声による罵倒、侮辱と、鋭いブロウによる鈍痛、酩酊感に、男の精神力は次第に削り取られていった。


 男はもはや腕を振り回す気力も失せたのか、緩慢に突進するだけとなった。その様子は、スペインの闘牛を
想起させた。少女闘牛士は俊敏なフットワークと共に真紅のムレータならぬスカートを翻し男を挑発し
男は本能のまま獰猛に少女を求め、かわされ、そして左の冷たく硬いナックルパートをその顔面へ埋め込んだ。
 やがて闘牛は中断された。全力での突進をかわされ、残忍なまでに的確な顎へのジャブで脳を揺らされ続けた
男は既に酸欠状態に陥り、肩でゼイゼイと息をしていた。対する少女は、全く息を乱してもいない。


「きゃはははっ!オーレィ!あれっ、どうしたの?牛さんならもっと元気に突進してこなきゃだめじゃん!
そうだっ。いい事思いついた!牛さんは赤い色が好きなんだよね。じゃこれで元気、出るよねっ!…シッ!」
 左ジャブよりもやや大きい破裂音が廃体育倉庫に響いた。左ジャブよりも更に疾い、紅い右の弾丸が
男の鼻を正面から打ち抜いたのだ。男の両鼻から鮮血がツーッ、と流れ出した。余りのパンチスピードに
男は一瞬何が起こったのかも解らなかったが、己の顔を拭った両手にべっとりと付着したどす黒い鼻血を視認
すると、両膝がガクガクと震え出した。もはや男には両腕で顔面を覆い、パンチから逃れる他に術は無かった。


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血のローレライ(3)


「ブッ!!ゲホォッ、ゲヘッ……ヒッ!は、鼻血…!!」
「左だけじゃやっぱり退屈…。お兄ちゃんも反則したんだから、これ位いいよね…!ボクシングだもんね…!
殴り合いだもんね…!!わぁ…鼻血、きれい…!その表情、すごくいい…!んふふふっ…!!」
 獣の様に熱く、甘い吐息が両腕の隙間から男の鼻腔に吸い込まれた。もはや、勝敗の行方は既に決していた。
ガードの上から少女の連打が男に襲い掛かる。先程までとは比べ物にならない程激しくも流麗なワンツーが
男の上外腕、手首を激しく穿ち、左右のフックは側腕部を体ごと持って行く猛威をもって打ち据えた。
右ストレート一発で迸った鼻血は、連打と共にその勢いを増し男の肘の先端からボタボタと垂れ始めた。


 男は暴力の雨に晒されつつも、少女の異様な熱を帯びた表情から眼を逸らさなかった。いや、逸らせなかった。
少女の両拳による暴虐の舞はその華麗さを保ったまま更にスピードを増し男の両腕を縦横無尽に叩きのめし
焔の如く熱く激しい吐息は男の鼻腔から吸い込まれ脳を焦がした。そして、男の恐怖が最高潮に達したその時
男の両腕が意思とは無関係に跳ね上がった。全身の力を込めた右アッパーカットが男の両肘の先端を打ち抜き
ガードを弾き飛ばしたのだ。両腕が、まるで言う事を聞かない。男は、万歳をしたまま氷の彫像と化した。


 まさに刹那の出来事だった。
 何の前兆も無く放たれた左ジャブが男の鼻を打ち、間髪入れず寸分の狂いも無く同じ箇所を右ストレートが
無情にも叩き潰した。直後、左アッパーカットが顎を真下から打ち抜き鮮血が垂直に迸ったかと思うと
男の躯は既に部屋の奥に積まれた体育マットの山に激突していた。左アッパーで一瞬両足が浮いた直後
右ストレートが顔面を正面から叩き潰し吹き飛ばしたのだ。一瞬の内に迸った男の鼻血の軌道は、空間に
真紅の十字を描いた。ステルス戦闘機を思わせる様な俊足のフットワークは冷酷なまでに男を追尾し
空間を横一線に切り裂いた鮮血のラインは少女の白くきめ細かい顔面の皮膚に吸収され瞬く間に掻き消された。
そして犠牲者の両足は宙に浮いたまま、更に左右のフックによるラッシュが叩き込まれた。



血のローレライ(3)続き


 男の両足は漸く地に付いたが、左右のフックの、無慈悲なる暴力の連打は止まない。恐るべきスピードで
襲い来る紅い弾丸は、悲愴な破裂音を爆発させそのナックルパートを男の頬に完全に埋め込み頭部を
真横へ激しく発射した。哀れな男には、吹き飛びダウンし激痛にのたうち回る自由すら与えられない。
反対側からの暴力は、さらに勢いを増し男を穿つのだから。そして、暴虐はさらに加速する。


 全ては、少女の罠だったのだ。当主決定トーナメントの次の試合がボクシングルールで行われると言う事で
クララはここ最近はボクシングの特訓に明け暮れていた。しかし、近所のジムは豪血寺の血を引くクララの
欲求不満を募らせるばかりだった。ずば抜けた運動神経に加え、高度な魔術を体得したクララの相手を
出来る者は何処のジムにも居なかったからだ。
 クララ程の高度な術者ともなると、簡単な魔術を行使する際に呪文を唱えたり身振りをする必要は無くなる。
ステッキを振り回しているのは、そうした方が魔法少女っぽくて可愛いと思っているからだ。クララは
闘いの際に、無意識に魔術で己の運動能力を強化してしまうのだった。これまでに2人の練習生を二度と
意識の戻らぬ体にしてきたクララは新たな練習相手、即ち血肉の詰まったサンドバッグを欲していたのだ。


 ジムでは既にストップが掛かっているだろう。なぜなら、これ以上殴ったら…。クララは、その先にある
「それ」を想像しほくそ笑んだ。普通の人間ならば、良心の呵責から「それ」を忌避するのだろうが、クララ
にはそういう感情は、一切無かった。支配者になるべくして誕まれ、専属の教師の下であらゆる帝王学、格闘術
魔術を叩き込まれて育ったクララにはそのような感情は全く不必要なものだったからだ。加速する全身の躍動に
伴いクララの口許が奇怪に歪み、返り血に染まりつつある顔面に醜悪ギリギリの凄笑が貼り付けられていった。


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血のローレライ(4)


「allegretto…! allegro…! vivace…! presto…! prestissimo……!」 
 少女の唇が熟れきったチェリーの様に上気し、異国の言葉が紡ぎ出された。
 死と破壊の旋律を口ずさみつつ、その意味する所に従って全身の躍動をさらに高めていく。軽快でしかし
凄惨な破壊音。それは更にアップテンポなビートを刻みつつ徐々に湿った、水っぽい醜悪なナンバーへと
滑らかに曲調を変化させていった。男は、その旋律に合わせ瞼から、鼻から、口から、あらゆる顔面の
皮膚の裂け目から鮮血を撒き散らす血肉で造られたメトロノームと化していた。


「fine」
 連打が止まり、前のめりに崩れ落ちる男。その顔面は見る影も無く青黒く腫れ上がり、皮膚は無惨にも破れ
鼻血は止まらず、極めて不規則で弱弱しい呼吸を口腔内からヒュウヒュウと出入りさせていた。少女はもはや
青黒い異物と化していたそれを、ふくらみかけの胸にかき抱いた。
 白かったセーターは既に男の鮮血が霧状に降りかかり忌まわしきピンク色に変色し、狭い廃体育倉庫内には
男の顔面から迸ったあらゆる体液が紅い霧となって立ちこめていた。


「も〜う、おねんねでちゅかぁ?607くぅん?よぉっわぁ〜いなぁ…!それでもぉ、男な…ひゃぅッ!?」
 まだ誰のものでもない少女のそのふくらみに、かつて体験した事の無い刺戟が走った。最後の力を振り絞った
男が薄手のセーター越しに少女の左の乳首に歯を立てたのだ。クララは鈍痛の原因を理解すると、反射的に男を
弾き飛ばし、未だかつて誰にも向けた事の無い視線を突き刺していた。男の全身を、-273℃の電流が駆け抜けた。
魂へ、脳へ向けて正確に打ち出された冷たく鋭い視線のブロウは、瞬く間に男の脳と体組織の連動を断ったのだ。
 もはや無我夢中だった。このままでは殺されてしまう。男の脊髄が生命の危険を察し、全身を廃空間の
出入り口へと、腰が抜けた尻餅の体勢のまま後ずさりさせた。が、開かない。背で押せば開く筈のノブの無い
外開き扉が、何度体当たりしてもびくともしないのだ。



血のローレライ(4)続き


「んふふ…何で扉が開かないか解る?解るわきゃないよね…。これはね、世界でもクララとお母様しか
使えない高度な魔術なの。ディメンジョンダイビングウォール・時空転移結界っていうんだけどね。まあ
簡単に言うと、クララが解除の魔術を使うか、死ぬかしないとお兄ちゃんは一生ここから出られない…ってわけ。
この空間の中だけが、外とは違うifの世界・平行世界になってるの。私とお兄ちゃんだけの世界にね…。だから
お兄ちゃんが死んでも誰も悲しまない…向こうでは最初から存在しなかった事になるの。だから、安心して…」


 男は少女の視線の暴力に晒されつつも、身動き一つ出来なかった。少女が、説明しつつ一歩一歩ゆっくりと
近づいて来る。だらりと下げられた左右の試合用8ozからは、男の血液が雫となり廃空間の硬い床にポタポタと
垂れていた。そして、足音は止まった。少女の視線は垂直に照射され男を凍て付かせていた。
「ゆ、ゆっ…!ゆっるぅっ…ギィッ!ウッグ…ギッ…!!」
 男は定めし「許して」と叫びたかったのだろうか。だとすれば、二度とその願いは叶えられる事は無かった。
 血にまみれた右拳が男の喉を乱暴に掴み上げると、続いて左拳が男の顔面に押し付けられ、恐ろしい膂力で
鉄扉へ釘付けにした。冷たく生臭い暗黒の向こう側から、金属をやすりにかける様な音が聞こえる。
歯だ。それはクララの歯が軋る音だった。全身が激情に震え、その振動は左拳から男の顔面へ伝わり肉を
脳を、脊髄を、魂を震撼させた。男の足下に黄色い水溜りができ、悪臭と湯気が立ち上った。


「死ねッ!!!」
 男の意識は、腹部に突如勃発した未曾有の爆発によって断ち切られた。左拳は男の視界を覆ったまま
右のボディアッパーが男の鳩尾を穿ったのだ。鍛え抜かれた腕力、脚力、そして忌まわしき激情により
峻烈なまでに加速された試合用8ozは、男の薄い腹筋を難なく掻き分けるとその内部の臓物を直接脅かした。
強固な鉄製の扉を背にした男の胃袋は、迸った悪意を逃がす事も出来ず極限まで圧縮された。
 前のめりになった男の両頬が異様に膨張したその刹那、第二の爆発が男の顔面を襲った。


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血のローレライ(5)


 ビッッシャァ!!
 右拳を振り上げた少女は美しき一個の尖塔だった。柔軟な膝のバネ、脚のキックによりカタパルトを用いて
発射されたかの如き猛威を得、凶弾と化した試合用8ozは男の顎を正確に捕捉すると、そのまま撃ち抜いた。
男の両足が完全に宙に浮き、空中で胃と食道と口腔は一直線に整列し廃空間の低い天井へ口腔内の鮮血と歯
そして胃の内容物をおぞましい暴威をもって噴射し塗り付けると男は尻から着地した。
「オッ、オッ…!オウエエェッ!ゲェボオォォゥッ……ウゲエエエボッ!オボッ!オオゥェェッ!!」
 瀕死のミミズの様に全身をくねらせ、獣そのものの咆哮を発しつつ吐瀉物をなおも撒き散らし続ける男。
ペースト状の汚物は天井からも次々黄色い雨となって降り注ぎ、男の全身を極彩色に染め上げた。


――クララが、やったんだ……!クララのパンチが、ボクシングが……!
 我に返った少女は己の両拳を見つめていた。鮮血と吐瀉物の雨にまみれ断末魔の絶叫を上げ苦悶し続ける男。
勝利、優越、倒錯…。自らの両拳がもたらしたあらゆる感情に、少女は恍惚の表情を浮かべると両の8ozは
自然に股間へと伸びていった。もはや明るい水色だったスカートの中身は、クララのジャブが、ストレートが
フックが、そしてアッパーカットが男の顔面を抉るたびに我知らずじわじわと染み出していた愛液をしこたま
湛え、暗い鉛色に濡れそぼっていた。


 ニチャ…ヌチヌチィ…ズルゥッ……グチュッ、グチュルゥッ……バヂャッ!
 クララは、両のグローブで器用に鉛色のパンティを下ろすと、自らの蜜でベチャベチャになった秘蕾の周辺を
丹念にふき取り床に放り捨てた。そして、右の試合用8ozグローブの親指部分を幼き蜜壷に無造作に突っ込んだ。
そして本能の赴くまま乱暴に掻き回し、引き抜き、また突っ込み、そして殴りまくった。浅ましき光景だった。



血のローレライ(5)続き


 長い長い時間が過ぎ、少女の淫行は終わった。男は、胃の内容物を殆ど吐き出し、冷えた吐瀉物まみれのまま
なおも眠っていた。少女は男の額を無造作に赤いブーツで踏みつけた。覚醒した直後、視界に入った物を
男はすぐには理解出来なかった。妄想するばかりで少女の実物のそれは、見たことが無かったからだ。
 身動き一つ出来ない男だったが、下半身は即座に勃起し反り返った。男の求めるものがそこにはあった。


「おっはよー。クララのフットワークにぜんっぜんついてこれなくて左ジャブだけでいいようにサンドバッグに
されちゃって右一発で鼻血ダラダラたらして痛くて恐くて亀さんみたいに縮こまったクセにガードもロクに
できないでだらしなくバンザイしちゃってクララの必殺パンチでお顔をめーっちゃくちゃに打たれまくって鼻血
まき散らしてぐったりしたかと思ったら卑怯にもクララのおっぱいにかみついて腰抜かしておしっこ漏らして
逃げ出そうとしたあげくボディ一発で昨日食べたもの全部戻しちゃってアッパーカットで吹っ飛んで完全失神KO
されて30分以上もそこにゲロまみれで伸びてた無様な負け犬のお兄ちゃん!……じゃっ、試合の前の約束どおり
お兄ちゃんにごほうびをあげるね…!あ、このおまんこはサービスだよ。ホントのごほうびは、こっち…!!」
 一方的にまくし立てた少女は男の腹に飛び乗ると、血と吐瀉物にまみれ悪臭を放つ男の唇に、己の清潔で
柔らかい唇を重ねた。少女の舌が男の唇を割って内部に侵入し、男の口内を縦横無尽にねぶり回した。男の
両目から止め処なく涙が溢れた。余りの官能に、全身の力が、唇と舌から抜けて行ってしまう様だった。


 接吻は突如として終わった。そして試合前のものとは比べ物にならない程激しいピンクの光が、男の視界を
再び犯し視力を奪った。男の視力が回復するとそこには、にわかには信じ難い光景が広がっていた。


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血のローレライ(6)


「あぁんっ…!この感じぃ…湧き上がる快感っ…!!久しぶりだわぁ……!やっぱり気持ちいいっ……!」
 ミラクル・デス・キッス。唇から相手の生命力を吸収し、己の肉体を急激に成長させ身体能力を爆発的に
向上するという、クララが独自に開発した魔術である。そこに立っている人物は、とても13歳の少女とは
思えない程の凄艶なる官能美のオーラをその全身から発散していた。


 たわわに実った2つの巨果がその肉質を、グレーのボディスーツの中心にO字状に切り抜かれた隙間から
溢れ出させている。下半身は肌に密着したオレンジのボトムのみで、その偉大なる臀部を隠そうともしない。
頭には頭頂部だけを覆う金属製のギアがはめられている。その腕は細身ながらも鞭の様にしなやかな筋肉を
見せつけ、脚は猫科の肉食獣の様に強靭な筋肉を誇っていた。大人の女性そのもののスレンダーな流線美を
備えたその肉体は普段のクララからは想像も付かないが、美少年を思わせる端麗な顔立ちはそのままだった。


「………!?」
「はぁい、注目ー。これから607君、キミは私に殴り殺されるワケだけどぉ…、何か思い残す事はなぁい?
あはっ…そうだったね。これが欲しかったんでしょ?ほぉら、私のパンティの愛液漬け。おいしそうでしょ…。
マウスピース代わりに使ってねぇ。とは言っても、もう何本かは折れちゃってるみたいだけどぉ…」
 絶句している男を尻目に、少女は転がっていた鉛色の布塊を右の8ozで掴むと、男の口腔内に無造作に
突っ込んだ。大衝撃の連続に男の脳はもはや正常な思考をする事が出来なくなっていたが、脊髄がその甘美なる
味わいを認識した瞬間、男の最後の理性が失われ、一物は風船の様に膨らみ、射精した。
「かっわいい〜…!もう出しちゃって、まるでケダモノ…!死ぬまでに願いが叶って良かったね…!」


 もはや男から、人間が人間である為に必要なそれの存在は微塵も感じられなかった。が、しかし、それは
少女にも等しく言えたのだ。今やこの妖気漂う廃体育倉庫には、二匹の獣が放たれているのみだった。



血のローレライ(6)続き


 人生最高最後の味覚にのた打ち回って狂喜する男を尻目に、クララはステッキを右のグローブで掴み上げると
頭上で横に掲げて止めた。三たび巻き起こったピンクの光に、男は官能に混濁する意識を再び少女へと向けた。
 ステッキは、太く重々しい鉄のチェーンへとその姿を変えていた。そして、少女は左拳にチェーンを
持ち替えるとその残虐性を隠そうともせず陰惨な笑みを浮かべ、鎖を引きずりつつ男へゆっくりと歩を進めた。


「ムゴホォーーーッ!…フゴッ!!」 
 男のくぐもった絶叫は少女の右拳によって中断された。鼻先5mmで右のナックルパートは止められていた。
少女は、悪臭を放つそれを男の鼻にゆっくり、何度もギュムギュムと押し付けつつ言い放った。
「だいじょうぶよぉ…。こんな野暮な物で殴ったりしないから。607君を地獄に送るのはぁ、こ・っ・ち!!
私の一番の得意技はねぇ、うふふぅ…。これなの。これはねぇ、右ストレート、っていうパンチなんだけど
正面から当たるとすぅっごぉ〜く痛いのよ…。そう。キミはこれから私、花小路クララの右ストレート専用
サンドバッグとして栄誉ある死を迎えるの…!!嬉しいでしょ?光栄でしょ?んふっ、ふふふふっ…!!」


 男からは何の言葉も無い。この現実を、光り輝くばかりの美少女が狂気の笑みを浮かべつつ血にまみれた拳を
己の鼻に押し付け身の毛もよだつ死の宣告を投げかけているという過酷な現実を、認識できないのだ。
「この鎖はねぇ…魔法の鎖なの…。私の意思で自由に動いて、私が死ぬか、解除しなければ絶対に外れない…!
今から、キミは自分の意思でダウンする事も、顔を背ける事すらも出来なくなるの…!そう、お鼻がへし折れて
痛くて鼻血噴きながら悶えて…!!折れたお鼻を何度もぶっ潰されて…!!失禁して…!!発狂して…!!
…自分の運命を呪いながら死んでいくまでねっ……!!くっ、くふふふふっ…!!あはははははははっ!!!」
 

 冷たく薄暗い廃空間に、地上の地獄が現出しようとしていた。


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血のローレライ(7)


 ガキィン!!
 残虐極まる金属音が男の耳を劈いた。鎖の端に取り付けられた首輪が、横たわる男の頸部へと装着された音だ。
この瞬間、男の人間としての生涯は閉じた。男は、完全に少女の所有物と化したのだ。


「立てッ!」
 クララは左拳でチェーンの一端を握り締めると、男の血液で既に汚れきっていた体育マットの山のやや上方へ
視線と精神とを集中させ、一喝した。すると、左拳がピンクの光に包まれ、光は鎖を経由して首輪へと伝わった。
光を受け取った瞬間、首輪はクララの視線の先へと寸分の狂いも無く移動していた。即ち、首輪の移動に伴い
男の体は急激に持ち上がり直立し、体育マットの山の中央へと叩き付けられていたのだ。体育マットの山は
床から120cm程の高さにまで積まれており、男の顔面はその山の上方へと突き出される格好となった。


「ふぅっ…。今のはねぇ…すぅっごく難しいヤツでねぇ…物質を空間に固定する魔術なのよ…。丁度キミの
お鼻が私の顎の高さに来るように調節させて貰ったの…!ぶん殴りやすいようにねっ…!どう?恐い?悔しい?
それとも…もう死にたい?…くふっ、くふふふっ…!!じゃ、キミを地獄へ送るパンチ…教えてあげるっ…!!」
 咲き乱れる悪魔の冷笑。血塗られた両拳が音も無く持ち上がり荘厳なファイティング・ポーズが形成されると
少女は流麗なフォームから空間を右ストレートで撃ち抜いた。同時に、左拳から鎖を通じて思念を首輪へ伝えた。
男の顔面は瞬く間に3m余りもの距離を水平移動し、真っ赤なナックルパートに激突する寸前で止まった。
 男からは、もはや何の反応も無かった。脳が、認識した現実を受け入れることを拒否したのだ。男の脳を犯す
現実。それは、少女の右のボクシンググローブがもたらす「死」そのものだった。
 

 グゥギィッ…グギュゥゥッ…
 少女の右拳が固く握り締められ呻き声の様な異音を発すると、男はゆっくりと元の位置へと戻された。
「もう解ったよね…!キミには、私のとっておきの必殺パンチ・右ストレートをっ…くくくくふふふふっ…!!
カウンターでっ…!そのお顔っ、お鼻にっ…!受けて貰うの…!一切手加減はしないから、すぐ死ねるよ…!!」



血のローレライ(7)続き


 初めての、感覚。
 自らの鼓動が、幾重にも重なり聴覚を犯す。全身が、石化し指一本動かせない。喉が、眼球が灼けつく。
決して長いとは言えなかった男の人生の全記憶が、誕生の瞬間から順番に廃空間に投影されては消えていった。


「シィッ」
 視界の下半分を覆う赤と、上半分に覗く少女の狂気を宿した眼。男の一生の全記憶はそこで終焉を迎えた。
男の記憶の時系列が現在に繋がったその瞬間、恐るべき爆発音が廃空間の冷たく淀んだ空気を震撼させた。
 鍛え抜かれた全身の筋肉に宿る全てのエネルギーを一瞬の内に絞り尽くし、空間を切り裂き発射された冷たく
硬い右の試合用8ozは、少女の剥き出しの残虐な破壊衝動を乗せて異音を放ちつつ更に峻烈なまでに加速されると
それ以上の狂威をもって弾丸の如く迫り来る悲しき肉塊の中心、男の鼻へと正確に着弾し、へし折った。


 破滅の瞬間、妖しく艶めく右ナックルパートと醜く潰れた肉塊の隙間からは夥しい量の鮮血が無数の飛沫となり
真紅の衝撃波の如く同心円状に幾十層にも飛散した。続いて、体育倉庫の白い天井にはおよそ3mに亘って禍々しき
鮮血のラインが刻み付けられていた。無慈悲なる暴力により弾き返された男は空飛ぶ鮮血噴射器と化し廃空間の
低い天井へ己の鼻血を噴き上げ塗りつけると、体育マットの山へと頭から激突、顔面から硬い床へ墜落したのだ。
 そして、恐ろしき狂騒が始まった。その酸鼻たる様は、まるで急激にバルブを捻じ切った蛇口に繋げられた
ゴムホースが蛇の如くのた打ち回るかのようだった。口腔内からは地獄色に染め上げられていた布塊と悉く
砕けた夥しい数の歯が、大量の血反吐と声無き断末魔と共に吐き出され、激痛に強張り痙攣する手は虚空を掴み
迸った殺意を直接浴びた鼻は廃空間の側壁へ、床へ、体育マットへ、天井へ、そして、無様に這いつくばる己に
歩み寄り見下ろしている美少女の全身へと鮮血を不規則に、しかし忌まわしき暴威をもって噴射し続けた。


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血のローレライ(8)


 「一切手加減をしない」と言う言葉は、結果的に嘘となった。少女は加撃の寸前、左拳から鎖を放したのだ。
それにより男は魔術の束縛から解放され、吹き飛び衝撃を逃がす事を許され辛うじて即死を免れた。しかし
それは死を与えるよりも幾層倍も残虐な行為と言えた。何故、鎖を放したのか。それは少女にも解らなかった。
 太く重い鉄の鎖は、再び少女の左拳に握り締められた。
 

「立て…!」
 少女の体内から静かに吐き出されたその言葉に従い、男の顔面は恐るべき暴打を受ける数秒前と寸分違わぬ
位置へ瞬時に固定された。重く太い鉄の鎖は少女の左拳に固く握り締められ、巻き付けられていた。
 少女は男の眼前にその優美なる肢体を曝け出すと、醜く朱に染まった顔面の中心から間断無く霧散し続ける
その鮮血を浴びるに任せた。迸る鮮血は美しく朱に染まった少女の顔面を叩き、一切の表情を洗い流していった。


 成長しても小悪魔的な危うい魅力を保った顔立ち、細身ながらも引き締まった腕、グレープフルーツの如く
たわわに実った乳房、強靭さを内に秘めながらもすらりと伸びた脚…もはや、白く清潔だった少女の素肌は
迸る男の血液により一片の白も残さず塗り潰され、その威容は吐き気を催すほどの凄絶なる美を誇っていた。


 熱い。拳が熱い。魂が熱い。60兆の細胞が沸騰し、赤熱し、爆発していく様だった。殺意が、破壊の衝動が
そしてこの上無く邪悪で、しかし何処までも純粋な激情が炎となりクララの全身を、脳を焼き焦がしていく。
男の生臭い鮮血はその漆黒の炎の消火剤となるどころか、濃密で凶悪極まる燃料、爆薬として少女の内奥へと
降り注いだ。やがて炎は全てを焼き尽くす狂焔となり、少女の宇宙を飲み込み焦土と化した。



血のローレライ(8)続き


 ついに、少女の肉体もまた意識の呪縛から解放されたのだ。ここから先はふたりだけの、そして同時に
誰のものでもない、限りなく純粋な、原初の闘いといえた。獣と獣、男と少女の、肉と肉、顔面と拳の
本能と本能、生と死のせめぎ合い。その幕開けを告げる少女の咆哮は、誰の為のものだったのだろうか。
 少女は、一陣の風の如くステップバックすると両拳を自らの顎の高さへと持ち上げた。陰惨、無惨、悲惨
凄惨…現世のいかなる単語にもその有様を表現する事を決して許さぬ、まさに言語を絶する破壊が始まった。


「うぅぅぅぅぅぅるぅぅぅぅぅぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
 少女の内奥より迸った裂帛の激情は魂の叫びと化し、廃空間に立ちこめていた瘴気を切り裂き激震させた。
 少女の優美な全身を充たし無限に増殖し溢れ出す残虐な衝動。それはまず獰猛なる脚へと宿り、脚は湿った
爆発音と共に硬い床を激しく蹴り飛ばした。少女の全身は敗者の体の中心線から向かってやや左を目標として
正確に射出されると、瞬時に目標点へと至った。そして、破壊は具現した。


 ストレートなのか、フックなのか。その様な事はもはや大した意味を成さない程の、それは恐怖の一撃だった。
少女から迸った激情、冷たく硬い右の試合用8ozは、男の顔面の中心、長年課せられ続けたその使命を終え今や
肉と骨の塊と化し、鮮血の噴霧孔としてのみ存在するそれを真正面から正確に捉えると、容赦無くすり潰した。
 暴打の衝撃が男の頭部を恐るべきスピードで真後ろに発射し、顔面を頚椎の可動範囲の限界に至るまで後方に
仰け反らせると、常軌を逸した狂威をもって正面から垂直方向へかけて放射状に噴出した鮮血は真紅の鞭となり
廃空間の低い天井をおぞましい水音を爆裂させつつ打ち付けた。
 そして、頚椎の弾性の呪縛により男の顔面が極めて緩慢に再び正面を向くと、少女の全体重と殺意を乗せた
紅い弾丸は、懸命に打撃を阻もうとするかの如く止め処なく噴出され続ける鮮血をその硬いナックルパート
により弾き返し吸収しつつ、もはや原型を止めていない男の鼻、いや、かつて鼻が聳えていた箇所を更なる
暴威をもって潰滅して行くのだった。後は、同じ事の繰り返しだった。


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血のローレライ(9)


 反響し輻輳する破裂音と水音。破壊は終焉の兆候を見せないどころか、更にその禍々しさを増すばかりだった。
 肉塊から迸った鮮血は狭い廃体育倉庫の床に降り掛かっては血の池を造り、体育マットに噴霧されては白い
部分の一切を地獄色に塗り潰した。そして、インパクトの度に天井に噴き付けられた鮮血はやがて大粒の赤い雨
となってふたりの頭上へと降り注いだ。細くなり行く男の呼吸とは裏腹に、鮮血の雨を糧に少女の全身の躍動は
更に活力を増して敗者の顔面を、生命を穿ち続けるのだ。死の雨はやがて豪雨と化し、ふたりを叩き付けた。
 それは、醜と敗北の権化たる男の顔面と、美と勝利の権化たる少女の右拳とが織り成す、忌まわしくも絢爛たる
狂気の拳舞だった。死と破壊のダンスは、いつ終わるとも知れず続いた。


 既に日は傾き始めていた。廃体育倉庫の一隅、体育マットの山の後方に切り抜かれた格子窓から差し込む
強烈な光条は、平行世界に現出した地上の地獄を黄金色に照らし出した。それでもなお、血の雨は降り止まない。
 そしてついに、悲しむべき破綻が始まった。少女の右ストレートは、男の生命その物をも撃ち砕き始めたのだ。


 もはや、男は死んでいた。それも一度ではなく、幾十度も。土砂降りの鮮血の雨の中、華奢な体躯を弾丸と化す
鋭い足捌き、斬る様な腰の回転、そして尽き得ぬ破壊衝動を保ったまま少女の全身は加速し、文字通りの殺人兵器
と化した右拳は一撃ごとに男の脳幹の全機能を停止させ心臓の鼓動を止めた。獣の悲しき性か、死が訪れる度
男の生存本能は即座に脊髄に命じて心臓を脈動させ、全身の血流を急激に頭部に集め脳機能を回復させた。
 しかし、脳幹へ吸い上げられその使命を果たした男の血液、生命の源は、男の顔面の中心、今や赤黒い餅の
様な異物と化したそこから体外へ霧散し、皮肉にも死の雨の雨勢を増し少女の拳を加速させてしまうのだ。
 もはや、この廃空間においては生と死すら朱に塗り潰され、混じり始めていた。 



血のローレライ(9)続き


降りしきる真紅の雨に、やがて黄色の雫が加わり始めた。それは、男の胃の内部に残っていた吐瀉物と胃液の
混じった物だった。男の中枢神経系は生命維持にその全権能を奪われ、生理現象の管理を放棄してしまったのだ。
 直視に堪えぬ獣そのものの狂態。それは、生を求める男の最後の抵抗だったのかも知れない。まず括約筋が
弛緩し無様な放屁音を高らかに爆裂させつつペースト状の大便を血の池に注ぐと、一物は反り返るほど勃起し
小便と精液を交互に噴射した。あらゆる体液、汚物を地獄色の池に注ぎつつ、男は少女のパンチを味わい続けた。


 無限に続く破壊と殺戮、狂騒と復活。少女の瑞々しくも凶悪なる拳舞が男の息の根を止める度、異様にも男の
表情は満面の笑みに包まれていった。死に連なる生の瞬間の歓喜。直後に訪れる死によりその破顔の表情は男の
顔面に焼き付けられ、次なる生を受けた無上の狂喜が更に男の表情に重ねられていくのだった。その醜く叩き
潰された顔面に幾十層にも塗り重ねられた朗らかな表情は、純真無垢な赤子の笑顔そのものだった。 
 少女の華麗なるボクシングによる虐殺が加速する中、男の死と生の輪廻はその終局を迎えようとしていた。


 男の体内を狂奔する鮮血の量は、ついにその脳機能を維持させる為に求められる値を下回り始めたのだった。
一撃ごとに短く、細くなりゆく男の生。男の生存本能は、最後の力を振り絞って全身の血液を頭部へかき集めた。
迫る死の弾丸。飛び散る鮮血。しかし鮮血はかつての暴威を失い、空間に力無き放物線を描くのみだった。
この瞬間、男の脳へ生は一瞬たりとも与えられなかったのだ。そして、獣と獣の闘いは、その決着を迎えた。


 冷たく硬い右の8ozのナックルパートが、男の顔面を、生命を正面から叩き潰した。その瞬間、男の死と死は
連結し、ついに脳幹、心臓に続いて脊髄までもがその使命を終えた。闘いは、少女の完全勝利に終わったのだ。
 幾多の生の瞬間の歓びを刻み付けた男の安らかな死に顔は、皮肉にも「大往生」という言葉を想起させた。
 男の永遠の死を証明する様に鮮血の雨が止むと、格子窓から差し込む黄昏の光条は、一面死の霧立ち込める
冥府と化した廃空間に鮮やかな七色の虹を描き出した。心が洗われる様な、それは幻想的な光景だった。


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血のローレライ(10)


 しかし、破壊は終わってはいなかった。


 少女にとって、男の死は何の意味も持たなかったのだ。クララの目的。それは、その顔面に己のボクシングの
全てを叩き付ける事の出来る、人肉製のサンドバッグを得る事だったのだから。
 男の全臓器がその機能を停止した直後、少女の右拳は変わらぬ暴威で肉塊へと撃ち出され、それを潰滅した。
死骸の頚椎は衝撃に異音を発しつつも、緩慢にではあるが肉塊を元の位置へと戻した。男は冷え切った物言わぬ
屍と化してもなお、少女の運動機械、右ストレート専用サンドバッグとしての務めを忠実に果たしていたのだ。
 鮮血の雨音は完全に止み、まさに革袋を叩く様な、乾いた爆裂音だけが廃空間に延々と響き渡り続けた。


 既に日は沈み、地上の地獄は青白い月明かりに暗く浮かび上がっていた。それは何百発目だっただろうか。
少女の右拳は初めて空を切り裂いた。死骸は魔術の呪縛から解かれ、己の撒き散らした汚濁に突っ伏していた。
止め処なく噴き出す汗が朱に染まった少女の素肌を洗い流し、熱く甘い吐息は荒々しく廃空間を満たしていく。
鎖を通じて少女の左拳から注がれ、首輪と肉塊を空間に固定していた魔法力が、ついに尽きかけたのだ。


 少女は廃空間の入口までステップバックし死骸と距離を取ると、残された魔法力の全てを左拳へと集中させた。
死骸は瞬時に元の位置へと固定された。そして、最大にして最後の破壊が、その右拳によってもたらされた。
 自らの拳を、全身を、少しも労ろうともしない、まさに破壊を締めくくるに相応しい、それは獣の一撃だった。


 もはや目も、鼻も、口も、その顔面の全ての箇所が、一見して人間のそれだとは到底信じ難い程に見る影も
無くすり潰され暗紫色の何かと化していた冷たく悲しき静止の肉塊は、耳を劈く少女の咆哮を合図に最初の
暴打の時と全く変わらぬ狂威をもって空間を切り裂き猛進した。



血のローレライ(10)続き


 一瞬遅れて少女の全身が躍動した。爆発的な脚のキックにより急激な体重移動を伴い発射された少女の右拳は
肩、肘、腕、手首の急激な捻りを受け、まさに弾丸の如く暗黒を切り裂き加速した。少女の肉体と精神と本能の
全てが一撃に凝縮された、まさにそれはクララのボクシングの集大成と言える芸術作品だった。
 更に一瞬遅れ、幾層にも重なった爆裂音が、暗黒に閉ざされていた廃空間に雷鳴の如く轟いた。少女の右拳が
死骸の顔面、生前鼻が聳えていたその箇所に着弾すると、カウンターにより幾倍にも増幅された暴打の衝撃は
魔術の呪縛により完全に逃げ場を失ったその顔面に余す所無く注ぎ込まれたのだった。
 腐臭を放つ醜い顔面はインパクトの瞬間、その衝撃の片鱗を甘受すると表面を水面の如く波打たせ、波紋は
死骸の全身を何度も往復し駆け巡り震撼させた。そして、着弾してもなお猛進を止めない真紅の弾丸は、顔面の
あらゆる筋肉繊維を断ち切り、外骨格もろ共巻き込み挽き潰しつつ肉塊の内奥へとそのナックルパートを
埋め尽くすと漸く静止し、破壊のエネルギーの全てを解放した。莫大な衝撃は男の顔面を常軌を逸した猛威を
もって後方に吹き飛ばすと、ついに頚椎をへし折り後頭部を背中の肉へと激突させた。



血のローレライ(10)更に続き


 男は少女の全てを容れ、その任務を全うしたのだ。最後の加撃の直後、ついに少女の全魔法力が尽き果てると
死骸は魔術の呪縛から解放され、ゆっくりと後方に傾斜するとその躯は仰向けのまま顔面から汚濁へと沈んだ。
地獄色の池に、撃滅され尽くした肉塊の中心から染み出した脳漿が最後の彩りを加えていった。
 対する少女もまた、静かな眠りへと就いていた。全ての力を絞りつくしたクララにとって、己のカウンターが
もたらした衝撃の反作用は大きすぎたのだ。全身を貫く波動に瞬間的に気を失った少女はゆっくりと膝を突くと
無上の悦楽に炎の如く火照ったその肢体を、既に血の池に沈み腐敗を始めていた死骸の上へと重ねた。


「きょうもリュックせおってあ〜きはばらぁ〜♪ パーツやあ〜っさりにう〜らどっおっりぃ〜♪」
 一週間後、同じ児童公園にクララは居た。鉄骨の頂上から聞こえる甲高く可愛らしい歌声。短いスカートの
内部から覗く純白の薄布。その甘く瑞々しい罠に、新たなサンドバッグが少女の眼下に吸い寄せられていく。
 少女の口許が妖しく歪むと、その純白の中心には既に暗い染みが拡がっていた。そして、少女は跳躍した。