このブログについて(常に最上段に表示)

 このブログは「女の子に顔面パンチされたい」したらば掲示板スレ又はbbspinkスレ
私こと1 ◆Rrz6Yl.wDU = 1 ◆2UT9DTV9JWT1 = 赤文字の1 が投下させて頂いたSSや妄想文を保管しておく為の場所です。
展開上、残虐/猟奇的展開がとても若干含まれますので、閲覧は自己責任でお願いします。
なお、以下の文章は全てフィクションです。真似して鼻折ったり意識不明の重体に陥った場合でも
私は一切の責任を負いかねます。ってそんな事する方もさすがにいないかなとは思いますけど(笑


 このブログでは、出来る限りスレでの掲載スタイルを再現する事を目的としています。予めご了承下さい。
 各文章について、各話ごとにタイトルが入ってぶつ切りになっているのはスレの行数制限の為です。
基本的に、改行x2+タイトルで区切ってある一つ一つが、スレ掲載時の1レスになっています。たぶん(笑
 そんなこんなで結構横に長いので、IEで左側に「お気に入り」を表示している方は
一時的に引っ込めて頂くと、少しは読み易くなるかもしれません。
 この保管庫はPCでの閲覧を前提として作成してありますので、その他端末によっては表記が崩れる可能性があります。


 まあ、毎度毎度同じような展開の上、非常に読みにくい文章で申し訳ない限りなんですが
過去スレにおいて、私の過去作を読みたいという方が定期的にいらっしゃいましたので
このような保管庫を作らせて頂いたというわけです。
 というわけで、読んで頂いて、何か感じて頂けた方も、別にそうでない方も
スレに何か書き込んで頂けたらと思います。
 この保管庫にコメントを頂けるのは嬉しいのですが、管理人はここをたまにしか見ていませんので
スレの方に書き込んで頂いたほうがレスポンスが早いかと思われます。
 全ての個人HP・ブログ等管理者様へ:当保管庫へのリンクは、ご自身のHP内でご自由になさって頂いて構いません。
その際、管理人やスレへの連絡も必要ありません。
ただし当保管庫及びメニューからは、如何なる特定の個人サイトへのリンクを貼る事もありませんので、予めご了承下さい。
 なお、この保管庫及びまとめページ及びしたらばスレは、 如何なるアフィリエイトも行っておりません。


 あと、ここは保管庫としてほっ建てただけですので、ここで新しいネタか何かを展開していく事はありません。
あくまで、過去スレの文章を保管しておくだけの場所としてご理解下さい。



お品書き


 各文章の文字数の目安と、原作ありのものは元ネタを貼っておきます。
長文キツイという方は大体の目安としてご利用下さい。
スレでの初出日時と、話数(スレに貼られた日数)も示しました。


力の解放:12000字 05/11/17〜 全10回
 ※シスタープリンセス 衛


氷の皇女:23000字 05/12/07〜 全15回
 ※オリジナルキャラ ヒル


血のローレライ:17000字 06/03/14〜 全10回
 ※豪血寺一族2 花小路クララ


・光の食卓:64000字 06/07/19〜 全21回
 前編     
 中編  
 後編
 ※オリジナルキャラ 光


禁じられた遊び:49000字 07/10/10〜 全10回
 前編  
 後編
 ※ローゼンメイデン 蒼星石


睡蓮:10000字 09/10/01〜 全3回
 ※勝〜あしたの雪之丞2 藍川ちはる


・連志別川:54000字 13/01/01〜 全10回
 前編 
 中編  
 後編
 ※オリジナルキャラ ???


・スレ企画[お題で妄想] 13/04/12〜13/06/22 全10回
 (企画の詳細についてはスレの>>1546>>1646-1647をご参照下さい)

 その1:2000字
 その2:4000字
 その3:5000字
 その4:14000字
 その5:9000字
 その6:12000字
 その7:9000字
 その8:13000字
 その9:11000字
 その10:19000字


おくりもの:20000字 15/11/06〜 全3回
 ※オリジナルキャラ 雨宮さん


ゲームブックみたいなやつ:300パラグラフ 約152000字(重複含め) 17/03/07
 ※マルチヒロイン


氷の皇女、光の食卓、連志別川、スレ企画[お題で妄想]、おくりもの はオリジナルもの、他は版権作品のパロディものです。

なので、他4品を読まれる原作ファンの方は・・・どうか怒らないで下さい(笑

ゲームブックみたいなやつは・・・ なんなんでしょうね、コレ? まあ、暇つぶしにでもどうぞ。



女の子に顔面パンチされたいスレッド 規制避難所
http://jbbs.shitaraba.net/sports/37577/


過去スレ
女の子に顔面パンチされたい
http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1131224011/

女の子に顔面パンチされたい 2発目
http://pie.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1144766938/

女の子に顔面パンチされたい 3発目
http://set.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1188996783/

女の子に顔面パンチされたい 4発目
http://set.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1220716376/

女の子に顔面パンチされたい 5発目
http://set.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1235060600/

女の子に顔面パンチされたい 6発目
http://set.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1254497987/

女の子に顔面パンチされたい 7発目
http://nasu.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1293982165/



08/03/28追記:SSの 簡単な人気投票を設置してみました。
なんかちょっと気になったもんで・・・
暇な方は一発ポチってみて下さいませ。
それから、ポチった方は是非現行スレに何か書いていって下さい。
管理人が喜びます(笑

 なお、この投票はひとり一回しか押せません。ポチってから変更はできんとゆー事ですね。
大した事じゃないかもですが、まあ一応・・・


08/05/12追記:上記の投票ですが、久々に見てみたら投票数が丁度100票に達していたので
途中結果を示しておきます。
力:23/100 氷:26/100 血:15/100 光:16/100 禁:20/100
いやー、改めまして・・・私の拙い文章を皆さんにここまでご閲覧頂き、私も恐悦至極です。

 この結果は、今後のアレやコレやナニやらの参考にさせて頂く(かも知れません)ので
まあ・・・いつも通りでアレですが、決して期待しないでお待ち下さい(笑


09/02/02追記:スレに投稿していただいたメディア情報の簡単なまとめページを作成しました。お茶うけにでもどうぞ。


09/02/25追記:各ページの改行記法をスレ掲載時の記法に近づける様修正しました。
却って見づらかったらすみません(笑
一応チェックはしていますが、記法的に崩れている箇所がありましたらご一報下さいませ。
語彙文脈の崩れは仕様ですので、大変残念ですがあきらめてください(笑


09/10/08追記:長らく皆さんにポチり続けて頂いておりました投票ですが、6品目を追加することとなりまして
ここいら辺でクローズさせて頂く事となりました。それに伴いまして、最終的な得票結果を示しておきます。
力:52/254 氷:51/254 血:50/254 光:50/254 禁:51/254
釣られてホイホイポチって頂いた皆さん、長々とありがとうございました。
今後は拙SSを読んで変にムラムラ来ちゃったよーな事がありましたら
現行スレの方にどしどしカキコして頂ければ幸いです。
まーね、そんなゴタイソーなもんでもないっちゃないんですけど(笑

投稿SS8・おくりもの

おくりもの(1) リングに煌めく百合の花


リズミカルにサンドバッグを打ち据える衝撃音、風に舞うシューズのスポーティな摩擦音・・・
遠く離れても、バッチリ拾えているはずだ。この日のために、マイク内蔵の最新機種を用意したのだから。
滑らかな円筒形フォルムで、望遠も接写も自由自在・・・画質もさすがデジタル、今主流の8mmとは雲泥の差だ。


僕はいったいなぜ、こんな事をしているのだろう・・・
格闘技経験皆無どころか、高校生にもなるのに、さか上がりもできやしない。
この美しき被写体に僕は触れる事も出来ないどころか、一撃も防げずリングへ這わされるに違いないのに・・・


快晴の放課後。今日も視線の先はただ一人。僕の席から桂馬飛びに前前左の、雨宮(あめみや)さん・・・
下の名前は百合瑛(ゆりえ)。まさに雨に濡れた白百合の如く清冽な美を纏う彼女に相応しい響きだ。
僕のような者が評価するのもおこがましいが、残りの部員全員を足しても・・・彼女の存在感には遠く及ばない。
罪悪感がのしかかる。ずっとここから、見ていた・・・だが、カメラを構えるのは、今日が初めてだったのだ。


雨宮さんがグローブを手に取るたび、部室から音が消える。全部員が聴衆と化し、拳闘芸術の調べに陶酔する。
黒のセミロングを靡かせる、ワルツの如く華麗なステップ・・・白く透き通る肌に、紅く肉厚なグローブ・・・
対比も眩しい黒のタンクトップからしなやかに伸びるパンチの切先は、疾すぎて肉眼で捉える事も出来ない。
驚異の連射速度で全方位から襲い掛かる、硬く鋭利な弾丸・左ジャブを軸とした、超攻撃的アウトボクシング
この持久力と精度・・・雨宮百合瑛のリズムが拳に宿る時、リングはステージへ、標的は打楽器へと化すだろう。
100撃に1のミスもない。不安定な上下支持式のパンチングボールすら、魅入られたように拳を求め弾け悶える。
紅の両拳が下ろされ汗に湿った黒髪をかき上げると、首筋の白い曲線が儚くも艶めかしく剥き出された。


体操で言えば、11点・・・測り得る尺度すら無いその実力は、訪れる男子選手をも次々と打ちのめし虜にした。
全国のジム関係者は、彼女に活躍の場すら与えられぬ20世紀現在の拳闘業界を嘆き、争って勧誘に押し掛けた。
国内団体が「女子」という革命前夜を迎えているのだとすれば、その旗手は雨宮さんをおいて他にいるまい。


類稀な可憐さと卓越した強さが並び立っているという、真の奇跡・・・それを少しも鼻にかけるそぶりも見せず
誰にでも礼儀正しく、心は優しく、慎み深くあり続ける・・・誰もが、人間として彼女を尊敬してやまない。
人気は男子だけにとどまらない。去年まで、わが校にはボクシング部自体がなかったのだ。
雨宮さんの為に新設された女子ボクシング部は、今や彼女に心狂わされた少女達による決闘の場と化していた。


その純粋無垢な微笑みに吸い寄せられるように、ついに芸能スカウトマンすら毎週欠かさず来るようになった。
普段は物静かな図書委員だが、その澄み切った美声を耳にした人間は、誰ひとりとして忘れないだろう。
奥ゆかしい美貌と格闘センスのギャップ、リングを支配するスター性・・・芸能界も放っておくはずがない。
拳の道か歌の道か・・・いずれにせよ、今は遠い世界へ彼女がいつか旅立ってしまう事が・・・寂しかった。
「その日」が明日かもしれない・・・つのる焦りが、ついに僕をこんな手段へ駆り立ててしまったのだろうか。


「あらあら、ずいぶん熱心ね・・・」
保健の吉原先生・・・なぜ、こんな所に。相変わらず、小さな白衣から今にもバストがはち切れそうで
ピンクのミニから、黒いガーターベルトが覗いている。方向性は雨宮さんと真逆だが、紛れもない美女だ。
「キミ、結構いい顔してるじゃん・・・ケチなカメラマンなんかやめてさ、俳優とか目指さない?」
あごをくいッと持ち上げられ、至近距離から美女の吐息が吹きかけられる。ううう、酒臭い・・・
なんて残念な人なんだろう。昼間から飲んで・・・僕が言う資格もないが、この人は本当に先生なのだろうか?


だが、これはまずい・・・面倒な事になるに違いない。僕は取り乱し、思わず逃げようとして、ずっこけた。
カバンの中身をぶちまけながら、もうだめだと思って・・・ハイヒールにすがりつくしかなかった。
「こ、これはそのっ・・・すっ、スポーツに打ち込む、おっ女の子の爽やかな姿をっ・・・」
案の定、カメラは真っ先に没収された。だけど先生は怒りもせず、散乱したものを拾うのを手伝ってくれて
僕に整理したカバンを突き出すと・・・何か本のようなものを手に取ったまま、しばらく後ろを向いていた。
「へえ、なるほどね・・・そんなに恐れなくてもいいわ。キミの望みを叶えてあげる・・・ついてきなさい」



おくりもの(1) リングに煌めく百合の花


僕はリングの上へあげられてしまった。こんな重いグローブを、あんなに軽々と・・・信じられない。
いつも遠くから見ていた、憧れの人のボクサー姿。まさか、同じリングで向かい合う日が来るなんて。
思わずトランクスに突き上げる興奮を隠そうと、柔らかくも引き締まった肢体から目を背けようとする。
真新しい血に汚れたリングの周りは、8名の女子部員が包囲していた。焼け付くような、憎悪と嫉妬の視線。
先週は10人以上居たはず・・・今も、雨宮さんを巡っての死闘が続いているのだろう。


「スパーリング用14oz・・・どう?これが本物よ。百合瑛ちゃん、軽く相手をしてあげて」
黒のウェアに青いヘッドギアを纏った美少女。丸く赤い肉厚のグローブに刻まれた、純白のラインが眩しい。
タンクトップから伸びる腕は白くしなやかで、スパッツに包まれた太ももは瑞々しく艶めかしかった。
滴る玉の汗、むせ返る程の芳香。既にボクサーとしての身体が、仕上がっている・・・僕を、叩きのめす為に。


「ふふ・・・それ、百合瑛ちゃんにはいらないわね。彼に貸してあげたら?」
「えっ!? いま着けてるの、ですか・・・?」
ふぁさ・・・
シャンプーのCMの如く封印を解かれた長髪は、汗に濡れたような光沢を湛えてうなじへ妖しく絡みつき
残り香を湛えたギアが、憧れの想い人の髪の香りが、クラクラする程に僕の鼻腔を包み込み打ち据えた。
脳裏をよぎった鼻腔という単語が、ますます僕自身を刺激する。このヘッドギアは、鼻まで棒で保護している。
恐らくこれから、僕は雨宮さんと闘う。このギアは僕の鼻骨を、あの鋭利な左ジャブから守る為に・・・
安全ヘッドギアの視界は狭い。異空間に迷い込んだ気分だ。もう、こんな体験は、一生ないだろう・・・


「ルールは簡単。キミは3分以内に雨宮さんに触ったら勝ち。もちろん、ふふ・・・顔面以外でね」
カーン!!
ゴングが鳴るや否や、当惑していた薄桃色の唇がクッと結ばれ、舞うステップの激しさに黒髪が乱れなびく。
僕はまともに正対する事も出来ず、窓からの陽射しを浴びて輝くファイティング・ポーズに、心を奪われた。
丸みを帯びた肩のラインへとろける、ストレートのセミロング・・・斜め後ろの席は、僕だけの特等席だった。
その静かなる美を湛えた少女が今リングの上に躍動し、艶めく拳を構え襲い来る・・・
妄想で、幾度ノックアウトされたかわからない。夢の中で、何十回、鼻をへし折られた事だろうか。
夢・・・夢だ。今まさに、僕の人生の夢が、かなった。あの時、保健の吉原先生がいてくれなかったら・・・


ばしぃんッ!!
「ぶっ!!」
視界が真っ白に染まり、革と革が弾ける爆裂は、想像以上に凄まじく脳髄を揺さぶった。
まだ鼓膜に破裂音が、ばしぃんッ・・・ばしぃんッ・・・と反響している。
今まさに、僕は憧れの雨宮さんのパンチを・・・最速最硬のジャブを、顔面に決められたのだ・・・!


「ほら、何をぼうっとしてるのっ! 雨宮さんは殴らないとは言ってないわよ! 百合瑛ちゃん、続けて」
「でも、この子は・・・」
「『普通の』素人、じゃないわ・・・! 安心してリングに沈めなさい」
「は、はいっ! じゃあ・・・行きます!」
ヘッドギアが無ければ、どうなっただろうか・・・「ソリッド」ボクサーとして恐れられる、雨宮さん・・・
柔軟な関節が「硬い」ジャブを築き上げ、加速する激痛のリズムに恐怖を植え付けられた相手は
白いナックルを鮮血の紅に染め、最期は見えない右の餌食に・・・一撃だけで、僕は馬の如く息を荒げていた。
僕は、為す術もなく・・・! 己の末路を思う程に身体は硬直し、心臓は早鐘を打った。


「シィッ!・・・シュッ!」
「ぶっ!ぶうっ!くはぁっ・・・ぶぅっふっ!!」
僕は左ジャブが顔面へ弾けるたび苦悶の呻きを上げ、畳み掛ける14ozに喉が引きつり、あえぎ続けた。
本当に何も、着弾以前に反応を起こせなかった。視界が紅白の明滅に眩み、鋭利な破裂音が魂にまで沁み渡る。
頭が四方八方に弾き飛ばされ、追尾して吹き荒れるステップとジャブの暴風に、まっすぐ立っていられない。
その切先が全く視認できないという冷厳な事実が、14ozの爆裂音をより深く脳髄へ染み込ませる。
屈辱の奔流に呑まれ、意識がどろりと眩んでくる。それは想像していたより穏やかで、眠気に近かった・・・


「だっ、だいじょうぶ!? 先生、カウントは・・・」
リング外から失笑が漏れ出す。両手両膝をついた僕の姿は、土下座の姿勢にしか見えなかっただろう。
「そうね、百合瑛ちゃんが数えてみたら? その方が・・・ふふ、彼には『効く』でしょうしね」
「そ、そういうものですか・・・じゃあ、ごめんね・・・わーん、つー、すりー・・・」



おくりもの(1) リングに煌めく百合の花


心臓が、今にも破裂しそうだ。見上げる視界に、張り詰めたグローブがワンツーの如く迫っては遠ざかる。
「ふぁーいぶ、しーっくす・・・」
一瞬も休まずステップを刻んでも微塵の疲労の色さえ感じられない透き通った声色に屈辱が刺激され
美少女自らに拳を突き付けられ敗北へのカウントを進められる事実に、ますます劣情が過熱してしまう。
眼がもう、グラついて定まらない・・・こんな美少女の左ジャブだけで、しかも14ozのグローブと
鼻を守る厳重なヘッドギア越しに・・・リンスの香りに包まれながら、仮にも男子であるこの僕が・・・!


「えーいと、ないーん・・・」
「ぐうぅうッ、はぁッ・・・! ま、負けない・・・もっと、だッ・・・!」
カウント9.5で、噴火するように起き上がった。しかし立った勢いで足がもつれ、そのまま前へ倒れ込んだ。
そのとき僕は気がついていなかった。周囲の女子達の異様なざわめき、憎悪に満ちた軽蔑の視線に・・・


キュッ・・・ずばぁんッ!!
息苦しくなる程の白い爆風に両つま先が浮くと、追って全身が真後ろへ吹き飛ばされた。
肉厚なグローブがヘッドギア内の空気を圧縮し、見開いた眼球すら圧し潰されそうだった。
右ストレートの直撃。まるで、拳銃の至近射撃を受けたようだ。もし今の一瞬を自ら撮影できたならば
グローブが潰れながらめり込む神秘の光景をコマ送りで見たかった・・・標的の脳を麻痺させると同時に
芸術への狂った憧憬すら植え付ける、熾烈なジャブの嵐が一撃で吹き飛ぶ程に、それは重く鋭い爆撃だった。


背骨をも軋ませる一撃に、眩しい天井が通り過ぎ、ロープが逆さまに視界へ迫り来る。
もう、下半身の感覚がない。必死にセカンドロープへ両腕を巻き付け、ダウンだけは免れた。
しかしそのあがきも、すぐに未体験の恐怖に塗り潰される事になる・・・


「この、変態っ・・・!」
殺意に満ちた視線。未だ打撃音がギア内に反響しながらも、その狂暴なる言葉は、しっかりと聞こえた。
まさかと思い、反射的に下半身を見やる。一瞬だけ映った、トランクスを突き破らんばかりの僕自身。
その狂態は瞬く間に14ozの純白で塗り潰され、僕は急速に薄れゆく意識の中、海老反りに天井を見上げた。


鼻への、右アッパーカット。それはギア越しに皮膚が擦り切れ両踵が浮く程の・・・激情の発露だった。
指一本すらも、言う事を聞かない。KOされるボクサーはその瞬間、天国にいるような快感を覚えるという・・・
だが冒涜されたリングは僕を地獄へと送り返し、左拳が無造作に顎をトップロープへ圧し付けた。
紅いグローブの甲が怒りに震え、激震する憤怒が僕の理性を崩壊させてゆく。


「死ねばいい・・・! 望み通り、リングで殴り殺してあげる・・・!」
誰も見た事のない、怒りに狂い咲く妖花。激昂に吐息は乱れ、己の感情の強烈さに驚き戸惑っているのか
火照った唇は淫らに歪み、危うい笑みすら浮かべている。僕はその狂気の微笑を独占している現実に、酔った。


ばすぅんっ!!
打ち付けた拳の反動に、美しい黒髪が逆立つ。恐怖の涙に歪む視界の片隅に、駆け上がる先生の影が見え・・・
無慈悲に吹き荒ぶワンツーが、ロープにリバウンドする僕をあのパンチングボールの如く撃ちのめし続けた。
ストレートに時折アッパーカットが混ざる。ダウンさえ、許されない・・・死ぬまで、逃げられない・・・!
天才美少女ボクサー雨宮百合瑛・・・どの公式戦でも見せた事のない、相手の死さえ厭わぬコンビネーション。
爆裂する鼓動と鼓動が繋がり、絶対不可逆の限界点へと僕の魂を誘い・・・


「ヒッ・・・! やめなさい!百合瑛ちゃん、ストップ、ストップ!! もうっ、いいでしょ・・・!」
「うるさい・・・! はな、せっ・・・! 殺す・・・!!」
しがみつく先生の顔は蒼白で、普段の余裕を失っていた。少女の右腕は、行き場のない憎悪に震えていた。
両膝をついた僕は、箍の外れた握力に呻き異形に歪んだ右の14ozを、意識と無意識の狭間で見つめ続けた。
そして・・・せめぎ合いに極限を超えて増幅した激情は、ついに暴発の時を迎えた。


「殺して・・・やるッッ!!!」
ぼぐしゃぁッッ!!!
フックともストレートともつかぬ白昼の凶弾は、垂直に近いフルスイングの軌跡へ見上げる僕を呑み込むと
サードロープへ後頭部をめり込ませ、バウンドした勢いで直立した僕は、緩慢に顔面からリングへと沈んだ。
コーナーまで振り飛ばされた先生は、視線も虚ろに座り込んでいた。
閉じゆく意識の中で、甘酸っぱい汗のミストが降り掛かる。雨宮さんは己の狂気に怯え、立ちすくんでいた。
僕はトランクスをうつ伏せに隠したまま痙攣し、極彩色の激情に呑まれ、やがて何もわからなくなった・・・


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


おくりもの(2) 朱に染まる保健室


「気がついた? 擦れてるだけで、骨には異常ないから・・・しばらくこのまま寝てなさい」
かすかに揺らぐ天井・・・もう、夕方になっている。僕は吉原先生に介抱してもらっていたらしい。
鼻梁に大きな絆創膏が貼られる。もしヘッドギアが無かったなら・・・この下の骨まで、砕かれていただろう。


「キミの歳なら、好きな子がいて普通よ。先生は12の時に、初恋の女の子がいたんだから・・・
 人には十人十色の恋の形がある・・・誰も、マイノリティだからって非難されてはいけないの。
 先生はキミみたいな変態クンの恋を応援してる・・・何があっても、ずーっと味方よ」
恐らく、先生の初恋は時代に翻弄され、実らなかったのだろう。その言葉は、僕の鼻中隔につぅんと響いた。
僕は顔面パンチに憧れる変態・・・だが、それこそが僕の「恋の形」なのだ・・・


「先生も、よく女子ボクシング部を覗きに行くの。『あれ』で、同じ子がお目当てなのは、すぐわかったわ」
先生も雨宮さんを・・・それに「あれ」って、何の事だ・・・?
「でも本当に最後は、言葉も無かった・・・膝の震えが止まらなくって・・・先生はスポーツは素人だけど
 この子には『勝てない』って、心底感じた・・・こんな、愛おしくなる程の精神的敗北は、初めてよ・・・」
この人「も」、明らかに尋常ではない・・・雨宮百合瑛という規格外の魔性の前に、僕らは等しく敗者だった。


「待たせたわね・・・もう入っていいわ」
「し、失礼します。あ、あのっ・・・さっきは、あんなに殴っちゃって・・・ごっ、ごめんなさいっ!」
血が逆流し、パンチ酔いが吹き飛んだ。朱い夕陽に佇む美少女は、僕を叩き伏せた雨宮さんその人だったのだ。
「ああっ・・・! ぼ、ぼっ、僕の方こそっ・・・! あんな、うううっ・・・!!」
言葉がもう、何も出てこない。ただただ、申し訳なくて、どうしようもなく涙が溢れて止まらなかった。
雨宮さんは、清純なブレザー姿の図書委員に戻っていた。カップ酒の臭いを、シトラスの香りが中和していく。


「いいの・・・わたしも『あれ』、見せてもらったから・・・あ、あの、好きなんだね・・・こういうの・・・」
さっきから一体、「あれ」って、何の事なんだ・・・そんな僕の疑問を、温かくきめ細かい刺激が弾き飛ばす。
雨宮さんは白魚のような指を小さな拳に固めると、左拳で僕の鼻頭をツンと突き、当てた右拳を、深く押した。
硬い拳に鼻中隔がコキリと歪み、絞り出された涙を温かい左手で拭ってくれる。女の子の、柔らかい手だ・・・
「先生、見ちゃったんだ・・・この手帳、キミのでしょう。カメラを没収する時、落ちてたから・・・
 だから、おあいこよ。むしろ無断撮影より、先生は酷い事をしてしまったのかも・・・ごめんね」


もう驚きはなかった。リングの上で迫る拳に踊り狂い、妖しい激情の渦に溺れ、トランクスを汚した・・・
その一部始終を目の当たりにして、僕がどういう種類の変態か、先生も雨宮さんも理解していただろう。
徒手帳のメモ欄は、授業中に雨宮さんを想って書いた僕の拙い妄想文で、真っ黒に埋められているのだ。
「わたしのパンチであんなに興奮してくれた人なんて、いなかった・・・もう、あの時は気が動転してて・・・
 本当にひどい事を言っちゃったし・・・人を殺す気で殴ったのなんて、初めてで・・・
 まだ、わたしの気持ち・・・わからないんだ。だからね、確かめさせてほしいの・・・」
「先生も、今のうちに後悔なくやっておいたほうがいいと思うわ。
 取られちゃうみたいで寂しいけど・・・可愛い百合瑛ちゃんと変態クンの前途のために、協力させてね」


・・・こんな事って・・・!!
僕は、今までの変態人生が報われたような気がして・・・「はい!!」と、気を付けの姿勢で叫んでいた。
甘い香りの密室に、美女と美少女の温かい拍手が響き渡り・・・・・・そして、不穏な静寂が訪れた。


「じゃあ百合瑛ちゃん、用意してくれる? ほら、キミもよ。病人じゃないんだから、さっさと起きなさい」
雨宮さんは制服姿のまま真紅にギラつくグローブを拳にまとい、魅せつけるように紐を口でくわえた。
「うふふっ・・・今度は、顔面直撃だよ。とっておきのパンチで、ノックアウトしてあげるんだから・・・!」
直撃・・・! 鼻先10cmに吹き荒ぶシャドウの紅い疾風の奥で、鮮やかに艶めく前髪が濡れ羽色に揺れている。
カップ酒片手にカメラを構える先生。雨宮さんは立ち上る香気のオーラに包まれ、ボクサーに戻っていた・・・
「先生、最初は7ページでしたね。うまくできるかな・・・わたし、頑張って痛くするから、楽しんでね・・・!」
すぐに視界が真っ赤に染まって・・・そこから先は、覚えていない・・・



おくりもの(2) 朱に染まる保健室


「今日、先生と会った場所は?・・・じゃあ、昨日の天気は?・・・ここにいる雨宮さんの下の名前は?」 
もう、夜になっている。間仕切り用カーテンレールの奥、先生のペン先が休まず問診票を走っている。
しかし何という汚い字なんだ・・・失礼だがこの人は、自分が書いた字を後で読めるのだろうか。
最新ゲーム機の「サガ・セターン」や、高級ビデオデッキまである。ここは本当に保健室なのか?
僕はベッドの上・・・右目が、全く開かない。これは一体・・・


「ふう、心配ないわ。軽い逆行性健忘ってやつ・・・雨宮さんのパンチで、キミは記憶も砕かれたわけ」
・・・記憶「も」? 先生を探して右へ寝返りを打つと、包帯を巻かれた顔面の内部へショックが走った。
「あっ、まだ安静にしてないと・・・本当に、ごめんなさい。わたしがあんな、ひどい事を・・・」
「いいのよ。謝る事じゃないわ・・・鼻の骨の一本や二本、ボクシングじゃ当然だもの」


ベッド正面のテレビへ、迫る拳圧に腰を抜かした男子生徒が映し出された。眼は見開かれ、既に過呼吸気味だ。
「ふぅん、結構よく撮れてるじゃない・・・坊やのくせに、生意気なカメラね」
映像が上にパンしていく。アオリで現れた美少女は右拳を寸止めしたまま、夕陽に輝く肢体を魅せつける。
「綺麗・・・この画なんか、そのままジャケットにできそう。さすがは国民的アイドルの卵ね」
「もう、先生ったら。芸能界なんて、そんな・・・・・・カメラさんと、その・・・脚本がいいからですよ」
僅かに触覚の残っている左顔面を、甘く謡う吐息が撫で、まだ揺れている脳を電撃が貫いた。脚本・・・!?
「やっとわかった? そう、脚本家はキミ。脚本は・・・この妄想手帳よ」


「リングであなたが眠っている間に、先生と色々話し合ったの。恋には十人十色の形があるんだって・・・
 普通の女の子だったら、これを見て怖がったり軽蔑するかもしれない・・・でも、わたしは違った。
 こんなにも真っすぐな人がいたんだって・・・ふふっ、おかしいよね、わたしって・・・」
「あは・・・やけちゃうな。じゃ、次のシーン。脚本は記念すべき1ページ目よ。どう?内容、覚えてる?」
覚えている・・・これが、全ての始まりだった。


要約すればこうだ。華麗なフットワークで幻惑し、流れるようなステップからジャブを決めてくる雨宮さん。
ソリッドな衝撃に僕の顔面は瞬く間に赤く腫れ上がり、ロープへ両腕を絡めて必死にダウンを堪える。
軽いジャブが顔面を起こす・・・それは僕の鼻を真正面から叩き潰す右ストレートの序曲に過ぎなかった・・・


「じゃあ、VTRいくわね・・・」
保健室としては相当広い室内。よく磨かれた床を、リングシューズを鳴らしながら制服の妖精が駆け抜ける。
一瞬だけ左に誘導された僕の視線を掻い潜って、雨宮さんは流麗なセミロングを水平になびかせ逆を突く。
瞼上頬瞼テンプル瞼下頬瞼・・・左ジャブの散弾が右顔面を容赦無く波打たせ、眉間へ軽いワンツーが弾ける。
天井を仰いだ顎へストレートが深くめり込み、額へのジャブに再び顔を起こされると・・・映像が、止められた。


「み、見えない・・・それに、改めて聞くと凄い音・・・まるで銃弾みたいだわ・・・グローブは?」
「試合用10oz、新品です・・・もっと痛いのが、好きなんだと思って・・・」
ヘッドギアなど着けてはいない。画面の中の僕の顔は、右半分は鋭く硬いジャブの直撃で赤紫に腫れ上がり
集中砲火を浴びた右瞼は血肉の塊と化していた。左半分は恐怖に青ざめながらも、桁違いの激痛とダウンを拒む
男の意地がせめぎ合ったのか、両手は必死にロープ代わりのカーテン生地を掴み、顔面を曝け出していた。


パンッッ!!!
まさにそれは、拳による銃撃だった。乾いた破裂音を残して、僕はカーテンの下を滑稽な程の勢いで滑って行き
額から壁へ激突して止まった。カメラが慌てて後を追い、無惨に潰れた鼻から間欠泉の如く鮮血が噴き出す。
「いい? 覚悟して、よく見てね・・・これが、キミ達の望んだ・・・現実よ」


VTRが巻き戻され、張り詰めたグローブが鼻の頭へ着弾する直前から、1フレームずつコマ送りされてゆく。
こうでもせねば眼で追う事もできない、右ストレート。凄惨を極めたその一部始終は・・・神秘的ですらあった。
画面左から真紅の10ozが一直線に迫り、僕の鼻を自ら変形しながら圧し潰し、骨をも呑み砕き完全に包み込む。
グローブと顔面は一撃の邂逅の中で互いを執拗なまでに歪め潰し続け、淫靡なまでに禍々しく求め合った。
やがて狂奔する鮮血は行き場を失い、僅かな隙間から・・・
破裂の瞬間はもう、直視できなかった。己の血飛沫に汚れた天井が涙で滲む。僕の求める物は、何なんだ・・・!



おくりもの(2) 朱に染まる保健室


「だいじょうぶだよ・・・」
優しい声が、聞こえた。今まさに画面でその魔性を魅せつけている右拳が、僕の左手へ重ねられる。
その可憐な手はしっとりと汗で湿り、かすかに震えていた。雨宮さんも、必死に自分と闘っているんだ・・・
「だいじょうぶ・・・わたしがついてるから」
真上から前髪が額をくすぐり、腫れた右頬へ白い左手が添えられた。融け合う決意が、視線を画面へ戻す。


離れゆく拳と標的。夥しい返り血に煌めくグローブと、爆心地の如く陥没した顔面。全てを網膜へ焼き付けた。
一撃に凝縮された、出会いと別れがあった。命を燃やす、魂と魂の濃厚な口づけが・・・
白目を剥いて痙攣し、鼻どころか胸まで鮮血の朱に染める無惨な有様を、僕は誇らしいとさえ思った。


「ふふ、もうその辺にしてくれないかな?・・・ラストシーン、最終28ページ、いくわよ」
気がつけば、もうずっと手を握ったままだ・・・僕たちは慌てて離れた。本当に、先生は優しい人だ。
次の場面・・・僕はカーテンレールの下へ手錠で囚えられていた。既に足下には血溜まりが拡がっている。
なぜ、保健室に手錠が? ・・・だが、グローブの上からで両手首は擦れないし、両足は床に着いている。
つまり、僕が自らの意志で膝を曲げない限り、真のサンドバッグには成り得ないわけだ・・・
「これは先生がキミ達を試した、賭けだった・・・人を導く、教育者としてのね・・・」


メモ欄最後の28ページ目は、まさに今日の午後に書いたものだ。鮮明に記憶している・・・
サンドバッグと化した僕が、冷徹なる美少女ボクサー死刑執行人である雨宮さんの拳に弄ばれるのだ。
不規則にねじれ飛ぶ動きを予測し正確に顔面を弾き返し続け、夥しい返り血と轟く断末魔に嗤う雨宮さん。
振り子に揺れる重力加速度が全てのジャブをカウンターと化し、確実にその威力を増し、甘い死へと誘う。
最期の一撃は、拳の影も見せず顔面を撃ち砕く、必殺の右ストレート・・・!


現実は過酷だった。折れた鼻を貫く、湿った破裂音。激痛の生き地獄に悶え狂い、血の池を掻き回す両足・・・
「先生は、キミ達が大好き・・・だから、若い希望の花を、散らせたくなかった・・・
 限界を見せる事で、引き返させたかったのよ・・・そう、ここまではね・・・」
画面の僕は、凍り付いていた・・・襟元の白いラインすら真紅に染めた雨宮さんの、嗜虐に歪んだ唇に。
脳髄まで響く、硬い左ジャブ。これが快感・・・ここが僕の求めていた被虐の楽園なのだと心に刻もうとするが
鮮血に妖しく煌めく10ozは、腕で庇う事も叶わぬ顔面を鋭利に抉り続け、死への恐怖が理性を引き千切る・・・
ついに命乞いの視線を先生に送ろうとした、その時だった。


バシィッ!!
左フックが、一閃した。脳を揺らす為でも、血を絞り取る為でもない。僕の視線を、再び正面へ戻す為だけに。
脚本を超えた雨宮百合瑛のアドリブに、夥しく飛び散る朱の唾液。着弾点の逆頬までも波打たせる熱い衝撃に
魂を再び燃え上がらせた僕は、決意に膝を曲げると、完全なる人間サンドバッグとして現実へ翔び立った。
端正な眉へ僕の熱い血潮を浴びながら、雨宮さんは硬い10ozの凶器へと赤い舌を這わせ・・・微笑みを返した。


「先生の・・・完敗よ」
振り子の最下点に爆裂する鮮血円の外周が天井に達し紅の雨と降り注いでも、果てる事のない撲殺の逢瀬。
そこから先の映像、その業の深さに、僕たちは言葉もなかった。余りにもそれは、脚本に忠実すぎたからだ。
血の濃霧を斬り裂く右の10ozが鼻を真正面から砕き潰す。抱き止めた雨宮さんの眼は、穏やかに潤んでいた。
手錠が外される。僕は最期の力で小ぶりな肩を抱き返すと、鮮血色の黄昏の中、安らかに目を閉じたのだった。


「カメラと手帳、返すね。病院は手配したから、今日はこのまま眠りなさい・・・雨宮さんを、大事にね」
返り血の朱に染まったカメラと手帳が、傍らの机に置かれた。思えばこの手帳が、全ての始まりだった・・・
「「吉原先生、お世話になりました・・・!」」
僕と雨宮さんは、精いっぱいの礼をして、去りゆく後ろ姿を見送った。


「・・・もう、落ち着いた? じゃあわたしも・・・行かなくちゃ。待たせてる人がね、いるの・・・」
待たせてる人・・・その正体は、おぼろげに見当がついた。ついにこの日が、来たのか・・・
「くすっ、泣き虫さんなんだね・・・リングでも、ベッドでも・・・」
包帯が外される。潰れ果てた鼻へ、そよ風のようなキスが齎された。腫れた頬に、落ちる涙の雫が熱かった。
「このビデオ、絶対に最後まで観てね。わたし達、離れてもずっと一緒だよ・・・!」
熱い拳の余韻をへし折られた鼻に抱き締めながら、僕の意識は夜闇へ呑まれていった・・・


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


おくりもの(3) 誓いの右ストレート


ついに、解放の時は来た。今まさに僕は自室のテレビの前で、3週間溜め込んだ鼻の疼きを抑え切れずにいる。
外科病棟での日々は、本当に精神的拷問そのものだった。カバンの中にあの映像が眠っているというのに・・・
さあ、いくぞ・・・震える手でテープを取り出そうとする。しかし、開かない。改めて調べると、レンズは砕け
外装はひび割れ、前後方向へ圧縮された歪みがテープを封じ込めていた。僕は激情に任せ、愛機を破壊した。
テープは、無事だった。白昼の練習風景、夕刻の凄まじい撲殺劇の後、舞台は夜の部室へと移り変わる。


「今まで隠していて、ごめんなさい。別れるのがつらくって・・・あなたにだけは、言えなかった」
リングを背にスポットライトを浴びて立つ少女は、物憂げな静謐美を湛えていた。
清潔な図書委員の制服、純白のバンテージから伸びる指先・・・その余りの繊細さが、僕の胸を締め付ける。


「女子ボクシング部ができてから、毎日見守っててくれたよね。素直に言うと、最初はこわかった・・・
 だけど、同じクラスで斜め後ろの子だってわかって、何だかホッとして・・・温かい気持ちになったの」
僕も薄々は気付いていた・・・もう、今も罪悪感に胸が張り裂けそうで・・・優しすぎるよ、雨宮さん・・・
黒のソックスとスカートの隙間から控えめに覗く、眩しい脚線美。紺地に白いラインのブレザーに秘められた
円やかなボディライン。透き通るうなじへしっとりと絡みつく、流麗な黒髪・・・その全てが、愛おしかった。


「遠くのジムや芸能事務所の人達、ボクシング部の子達・・・わたしを巡って、多くの人が傷つけ合った。
 ずっと憎しみの渦の中で、孤独だった。でも、あなたはいつも、純粋にわたしを見守ってくれていた。
 いつか、もっと近くでパンチを見せてあげたいなって・・・そう、ずっと思っていたの」
潤んだ大きな瞳から、今にも宝石の涙がこぼれ落ちそうで・・・すぐにでも、抱き締めてあげたかった。
オペラ座の怪人」のような保護マスクを投げ捨て、痛む鼻を啜ると、僕は独白の続きを待った。


「実はね・・・歌手の養成所に入る事は、ずっと前に決まっていたの。東京のスクールにね・・・
 プロダクションの人はスカウトじゃなくって、上京の日程を決めるために校門まで来ていたんだ。
 芸能の道を勧めたのは、お父さんだった。物心つかない頃から、ボクシングと歌の楽しさを教えてくれて・・・
 わたしも、15年半の生涯をかけて磨いた雨宮百合瑛のリズムを、いつか広い世界で試してみたかった。
 歌もボクシングも、大切なのはハートとリズム・・・両立できると思っていた。昨日までは・・・」
改めて驚く程に小さく儚いその両手が、僕たちを甘苦い狂気の世界へと誘った、硬い拳へと握り締められる。


「だけど、わたしの拳は・・・あなたとの『ファイト』を楽しんだ今、鮮血に染まってしまった・・・」
天才美少女ボクサー雨宮百合瑛が初めて見せる、自嘲の笑み・・・その艶めかしさに、鼻がズキンと痛んだ。
「最後の力で抱き返してくれて、嬉しかったよ。でも、もう二度と普通のリングには戻れない・・・そう感じた。
 吸血鬼が日光を浴びる事を許されないように、わたしの拳はもう、決して人へ向ける事を許されない・・・
 今日からこの拳は、あなたの血だけを求めて磨かれ続ける・・・だから、ボクシング界に後悔なんてないんだ」
僕たちは、本当に何という事を・・・もはや、画面の向こうの彼女へ掛ける言葉も、見つからなかった。


「結局、病院送りにしちゃったね。本当に、ごめんなさい・・・でも、カーテンにしがみ付くあなたの鼻の骨が
 グローブ越しに砕け散る感触に、わたしの中の何かが弾けて・・・今も、拳の疼きが止まらないの・・・」
いつしか雨宮さんは両拳を持ち上げ、軽やかなステップすら踏んでいた。もう、抑え切れないのだろう・・・
ブレザーの紺地に浮かび上がる純白の襟縁のラインが、小さく固められた両拳の奥で優美に揺れている。


「このビデオを撮っている今、あなたは保健室のベッドの上で安らかに眠っています。
 あなたが眠った後、手帳とカメラを借りて、先生にお願いしたの・・・その時に、転校する事も話して・・・
 先生は処置の疲れも見せず、惚れた弱みよとか冗談を言ってくれて、再びカメラを構えてくれました」
キュッ・・・!
軽やかな擦過音が響くと、画面へ白いバンテージが迫り・・・止めた右拳の奥から、切ない百合の笑顔が咲いた。


「これからこのカメラをあなたの顔だと思って、精一杯叩きのめします。絶対、最高の映像にしてみせる。
 わたしの気持ちをこの拳に込めて、あなたに贈ります。きっといつかまた逢える・・・大好きな人へ・・・」



おくりもの(3) 誓いの右ストレート


四方から次々と瞬くライトに、深い夜闇へ沈んでいたリングが浮かび上がる。
壇上中央の雨宮さんは、あの試合用10ozを小ぶりな肩に抱き締めたまま、立ちすくんでいた。


――囚われの美少女。卑劣な男は、この百合の如く可憐な花を腕力で屈服させ・・・心までも汚す気なのだ。
先生の声でナレーションが入る。これは21ページから24ページまで続いた、僕の妄想文そのものだ・・・!
――「もし俺が万が一にも敗けるような事があれば、何でも願いを叶えてやる・・・できるものならな」
ハスキーな声質を活かし、敵役をも演じ分ける先生。のそりとカメラがリングインし、怯える少女と対峙する。


――恐怖に後ずさり、その肢体を拳で庇おうとすると・・・自然にファイティングポーズが形成された。
――照明にギラつく赤のグローブが、眩しい。意外にも隙のない少女のスタンスに、男は・・・見とれた。
――「くそっ、生意気な格好しやがって・・・!」


カーン!!
真新しく清楚な制服姿が近づくと・・・紅いフラッシュに爆裂音が迸り、見つめる僕の顔面を吹き飛ばした。
――ゴングと同時に突進した男は、その金属音の反響が終わらぬ内に、美少女の足許へ跪いていた。
巻き戻し、コマ送りまでして、やっと視認が叶った。一瞬に4撃ものジャブが、画面中央、僕の眉間へ・・・!
見上げる雨宮さんは両の10ozを下げ、照明の逆光が、その表情を隠していた・・・


――リングに吹き荒れるジャブとステップの芳しい烈風が、狩り狩られる二人の立場を着実に逆転させてゆく。
――皮膚と共に腫れ上がる屈辱が更に隙を呼び、紅の10ozが男の顔面を打楽器の如くリズミカルに打ち鳴らす。
容赦無くレンズを直撃する顔面パンチは、どこまでも「脚本」に忠実だった。これが、僕の望んだ絶望・・・


ばばしぃッ! ぱぁんッ! ずぱぱぁんッ! ・・・ばすんッ!!
真紅の閃光が画面を弾き飛ばすたび、照明に眼が眩む。やがて疾風に舞う黒髪すら画面へ捉え切れない程に
そのフットワークは加速し、擦過音と破裂音のハーモニーが魂を翻弄し続けた。


――少女は左へ右へと顎を打ち据え、巧みに男の視界から逃れると、振り返った左頬を右ストレートに捉えた。
ばくぅんッ!!
深く鋭く捻り込む一撃に周囲180度が光の帯と歪み、思わず視聴者の僕の首がねじれ、脳を激しく揺らされた。
あのヘッドギアの視界部分に埋め込んだカメラが、革と革の弾ける衝撃音を拾っているのだろう。
追撃に打ち鳴らされる画面が、小刻みに震えている。怯えているのだ。先生も、僕も・・・


迫り来る10ozの光沢は初々しく張り詰めながらも、僕の血を吸ったせいか、しっとりと艶めかしく輝いている。
コマ送りにして一撃一撃を噛み締める。意図して、鼻への直撃を避けているのか・・・?
まず丹念に脳を揺さぶり脚を奪う・・・そして絶望に打ちひしがれた僕の顔面を、真正面から叩き潰す・・・
その瞬間をなす術も無く待つ拷問に鼓動は暴れ狂い、やがてリモコンを持つ手すら痺れ始めた。
カメラが揺れている。雨宮さんは息一つ乱さず冷酷な微笑を湛え、視界の定まらない僕を見下ろしていた。


――リング上は、試合と呼ぶには男にとって余りにも過酷すぎ、少女には退屈すぎる展開となっていた。
――少女の奥底に眠っていた悪戯な残虐性が、研ぎ澄まされた左ジャブの形を借りて開花する。
――骨を直接蝕む破滅音。男は少女がまだ実力を隠していたという現実に恐れ慄き、凍り付いた。


ずぱぱぱぱんッ!! ずぱぱぱぱんッずぱぱぱぱんッ!! ・・・・・・・・・???
耳が、聞こえない・・・!? ヘッドホンから直撃する衝撃音に、鼓膜が破られてしまったのか?
違う・・・これは、寸止め・・・!? 雨宮さんの、アドリブだ・・・!
左眼、右頬、左頬、右眼、そして顎・・・! 逆五芒星に散りばめられた、峻烈にして絢爛たる連打の封印・・・
コマ送りでも捉え切れない無数の流星雨の奥から、雨宮百合瑛は見た事もない笑みを、嘲笑っていた・・・
静寂の画面から、真っ赤な拳風が吹き荒れている。見開いた眼は乾き、魂の蝋燭は今にも吹き消されそうだ。
僕を遥かに凌ぐ、内に秘めた異常性・・・脳髄まで浸透した敗北感へ、再び狂気の衝撃波が直撃し畳み掛ける。


ずぱぱぱぱんッ!ずぱぱぱぱんッ!ずぱぱぱぱずぱぱぱぱずぱぱぱぱんッ! ぱんぱんぱんぱんぱぁんッ!!!
停止ボタンに掛けた指さえ、麻痺させてしまう・・・それはもはや映像の形を借りた、精神潰滅兵器だった。
――五感全てを星に封じ込め砕き尽くす、禁断のコンビネーションジャブ「シューティングスター」
――哀れな標的は、絶望に立ち尽くしたまま失神し・・・美少女の10ozが下ろされると、大の字に沈黙した。



おくりもの(3) 誓いの右ストレート


「やっと気が付きましたね。ご機嫌はいかがですか?・・・惨めな敗者さん」
僕は既に、この主観映像の視聴者を超え・・・当事者として、少女に魅了されていた。
「わたしのような少女に触れる事も出来ず敗れ、さぞや無念でしょうね。ふふ・・・今にも死を願う程に」
傷一つない微笑みが迫り、優越感に火照った吐息の熱さに、魂が凍り付く。
「敗者は勝者の願いを叶える・・・それが、約束でした」


これは、保健室での・・・返り血に染まった制服の襟から、凄惨な幻臭すら立ち上るようだった。
「では、あなたの願いを叶えさせて下さい・・・それが、わたしの願いです」
今までは完全に「役」に入り込んだその演技力に、感嘆していた。だが、違う・・・
「脚本」には、優越感に満ちた言葉・・・としか、記述がない筈だ。この残忍な台詞は全て、あの可憐で優しい
雨宮さんのアドリブなのだ・・・これが雨宮百合瑛という魔性の、剥き出しの姿・・・!


「もう、眼も頬も顎も、狙いません・・・というより、ザクロみたいに裂けて・・・ふふ、殴る所がないんです」
互いを歪め合う10ozの爆裂音に、現実が遠くなる。いけない、引き返せ・・・この映像に、喰われる前に・・・!
「『ここ』以外には、ね・・・!」
画面下75%を蹂躙する、紅い10ozの光沢。その先から魂を焦がす、嗜虐の悦びにとろけた恍惚の眼差し・・・
僕はこの瞬間、「停止」ボタンを押す最期の機会を、奪われた。


「安心して・・・もうどこにも逃がしはしないし、一撃も寸止めにはしないから・・・
 これがあなたへ捧ぐ・・・拳の『おくりもの』・・・たっぷりと楽しんで、ねっ!!」


ガゴォンッ!!
最後の箍を焼き切った可憐なる狂気が真っ赤な10ozを纏い視界へ膨張し、正確に鼻を捉えすり潰す。
頭蓋に轟く、おぞましき破壊音。コーナーにカメラを固定し、グローブを直撃させている・・・
全身全霊の右ストレートが、真正面から顔面へ激突する。それも、衝撃の逃げないコーナーと挟み潰され
身動き一つできない鼻面へ、何十撃、何百撃でも・・・僕の魂が、燃え尽きるまで・・・!


ガァンッ! ゴグンッ! バゴォッ! ・・・ガギュゥッ!!
パンチが直撃する度に爆裂する衝撃はカメラすら圧し潰して浸透し、コーナー自体をも歪ませてしまう。
頭蓋内のあらゆる骨が軋む有様を想起させずにおかぬ生々しい金属音が、僕の精神を紅い極限へと誘っていく。
それはボクシングと呼ぶには余りにも荒々しく残虐で・・・殺戮と呼ぶには余りにも洗練され、美しかった。


僕だけが知っている・・・部室のリングで味わった、最後の一撃に秘めた狂気を・・・雨宮さんの、真の姿を。
すがり付く先生を片腕で振り飛ばし、バウンドするほどに僕を叩き付けた、暴れ狂う激情のうねりを。
端正な顔立ち、お淑やかな所作・・・絹糸のように繊細で、滝の流れ落ちるが如く白い首筋へ絡みつく黒髪・・・
誰もが、この少女が「ボクサー」である事実を信じられぬまま、美しき拳闘革命を「ソリッド」と賞賛した。
鋭利なジャブの硬さと激痛で戦意を奪う・・・それは破壊を拒む少女の優しさが生んだ、偽りの姿だったのだ。


幾十層にも重ねられる狂気の爆撃に、コーナーポストを支える鉄柱までもが呻き声を上げてしなり
カメラは脊髄を貫く激痛に悶え狂うかの如く、生々しく前後に震えていた。
――ぶうぉッ!!おぶふッ!!ごふぇッ!!ひぃっ・・・ぶうっふぅッッ!!!
真紅の10ozの奥から迸る、愉悦の冷笑。ヘッドホンを震わせ、頭蓋に反響し脳を犯す、金属性の破滅音。
極限を超え怒張した熱狂はいつしか僕の神経へ硬く鋭い痛覚を蘇らせ、断末魔すら上げさせるに至った。
顔面の痺れは指先にまで達し、リモコンを床に落とした直後・・・時間の流れが、歪み始めた。


ガゴォォォッン・・・!! ドズゥゥゥッン・・・!! ゴグシャァァッ・・・!!
止まりゆく鼓動に切り取られた全ての瞬間が、美しかった。迫る終焉の時まで一撃たりとも姿勢を崩さず
華奢な全身を爪先から捻り、輝く汗の粒に黒髪を舞わせ、無上の拳を贈り続ける雨宮さんが、愛おしかった。
鼻骨は粉々にすり潰され、逃れ得ぬ恐怖に狂奔する鮮血は行き場を失いついに溢れ出す。眼から、耳から・・・!
僕は魂ごとスロー映像に閉じ込められ、完膚無きまでに破壊された理性の極北で・・・安らぎを、感じた。


――雨宮さんの「おくりもの」・・・しっかり受け取ったよ。
少女は画面の向こうから、穏やかな笑みを返してくれたように・・・思えた。
最高最期の一撃が、ゆっくりと僕の顔面へ吸い込まれていく。轟く異音にひび割れ、完全に破壊される画面。
――ありがとう・・・
全てが終わり・・・僕の意識は、砂嵐の向こうへと失われていった。



おくりもの(3) 誓いの右ストレート


入院の間に、雨宮さんは学校を去っていた。お別れ会に出席できなかった後悔はあったが
僕につらい別れを再び味わわせたくなかったのだろう、温かな思いやりが心に沁みた。


思い出の保健室を訪ねる。新しい先生によると、吉原先生はもう辞めてしまったのだという。
開設の意義を失った女子ボクシング部は解散し、部室には誰一人として立ち入る者もなかった。
一切の繋がりが、消えてしまっていた。この喪失感を慰めるものは・・・あの映像しかなかった。


最初は動物的な衝動に駆られるまま・・・今は人間として、観るたびに愛おしい気持ちが溢れてやまない。
もう一度、あのパンチの硬さを確かめたい。この治った鼻で・・・それは今や、叶わぬ願いなのだった。


・・・


それから半年後、一通の手紙が届いた。
差出人は手書きで・・・凄い、何語なのかもわからない。だがこの乱暴な字、間違いない・・・!


封筒の中身は、発売前のシングルCD・・・そして、番号"1"のファンクラブ会員証。
「雨宮ゆりえ」の丁寧なサインは、よく見ると「え」の字の終わりが、慎ましやかなハートに巻いている。
震える手で「再生」ボタンを押し、息を呑んだ。トラック1に、僕へのメッセージが入っている・・・!


「久しぶりだね・・・雨宮ゆりえです。先生は今、個人プロデューサーとしてわたしを支えてくれています」
あの大手事務所から雨宮さんを奪い取ったという事か・・・本当にこの人は、底が知れない。
「先生のおかげで、デビューが決まったの。今はあなたにだけ、聴いて欲しくて・・・」


次は、舞台にも挑戦するのだという。このデビューシングル「誓いの右ストレート」発売の暁には
全国から申込ハガキが殺到する事だろう。僕は最初のファンとして選ばれた無上の光栄を噛み締めると共に
禁断の拳の契りを交わした想い人が、ついに遠い世界へ旅立ってしまった寂しさに揺れていた。


「♪ もう届かない 誓いの右ストレート 遠すぎて・・・」
清らかに沁み渡る歌声は、どこか切なくて、涙が頬を伝った。トラック3のカラオケが終わり
「取出」ボタンに指を掛けたその時・・・10秒にも満たない隠しトラックが、魂を熱く打ちのめした。
「次の土曜日、22時・・・あの部室で待ってるから」


・・・


僕は懐かしいリングの上で、最愛の人と再会を果たした。見知らぬセーラー服が、何だか舞台衣装みたいで
真紅の試合用10ozに似合って・・・言葉もなく鼻を押さえ涙をこぼすと、痛い程に柔らかく抱き締められた。
甘酸っぱい芳香が熱く鼻を撃つ。その肢体は、紛れもなく拳闘士として磨き抜かれていた。僕だけの為に・・・


「ちょっと・・・もうその辺にしなさいよ。いくら今日はキミ達が主役だからってさぁ・・・
 いい? これからは歌って殴って踊れるアクション女優の時代よ! 全国公演は近いわ!
 美少女ボクサーと人間サンドバッグの恋を描いた直撃ノースタント撲殺巨編・・・ほらっ、これがホンよ!」
台本を投げてよこされる。ははは、全然読めない・・・だけど内容はもう、わかっていた。


こんなツアーじゃ、死んでしまうよ・・・今日来てくれた事自体が、僕を思いやった、優しいお芝居なのだ。
思わず、声を上げて笑ってしまう。先生もカップ酒片手に笑いを堪えられない。
雨宮さんも上品に右のグローブで口許を隠す。笑いすぎてこぼれた涙を、今度は僕が拭ってあげた。
僕も今から立派な役者だ。やり抜いてみせる。この魂、燃え尽きるまで・・・!


「ああ、私の目に狂いはなかったわ。さあ役者さん・・・死ぬ覚悟でかかりなさい。
 この舞台をやり切れるのは、キミと雨宮さんしかいない・・・だから私たちは、ここに来たのよ!」
渾身のキューが出される。煌めく10ozが高らかに三度打ち鳴らされ、朱い左拳が僕の鼻先へ突き付けられた。
「ふふっ、わかってくれた? 行くよ・・・鼻の骨の一本や二本、覚悟して。痛いの、好きだもんね・・・?」
残酷ながらも、どこか憂いを帯びた囁き・・・
「違う・・・痛いのが好きな訳じゃない。僕は雨宮さんのパンチが・・・雨宮さんが、好きなんだ!!!」


硬い10ozが鼻を圧しつけ、あのカメラに抉られ剥き出された鉄柱へと、僕の頭蓋を直接擦り付ける。
永かった・・・そして、還ってきた。この歪んだコーナーこそが、僕の魂の収まるべき、安らぎの座だった・・・
憧れは妄想を呼び、妄想は映像を生んだ。その映像は今、10ozの紅い現実と化して、僕の顔面へ炸裂する。


「♪ もう逃がさない 誓いの右ストレート 受け取って・・・!」
清冽な歌声が響き、百合の笑顔が咲き乱れ・・・魂が燃え滾り昇華する程に、深く濃厚なキスが齎された。
それは拳と顔面による・・・この世で最も、痛いキス。


スレ企画[お題で妄想]その10

[お題で妄想] その10の1 「敗北で立場逆転」「メイド」「魔法使い」「マウントポジション
「ナースのボコボコ治療」「女子3人にパンチの雨を浴びる」「おしとやかな格闘技素人の文学系お嬢様」
「無邪気に遊んでる内に男を破壊してしまう少女」「ニヤァと笑って舌なめずり」


・・・視界の下半分を覆い尽くす純白の衝撃、上半分を支配する漆黒の眼差し・・・
・・・異音と共に砕けた鼻骨を突き抜け、魂の奥底までつぅんと沁み渡る激痛・・・


「ぐぶっふぅああっ!!!」
フライトアテンダントが駆け寄ってくる。前の座席に、頭をぶつけてしまったようだった。
夢・・・長く、深い夢を見ていたようだ。それは、恐ろしくも切なく・・・儚くもあった。
絶叫で起こしてしまった周囲の乗客に深く頭を下げ、窓のカバーを薄く開けると、眼下に故郷の大地が拡がった。
間違いない。ここは、確かに現実だ。


あの子には仕事の出張と言ってあるが、本当は違った。
仏暦2560年夏、俺が家を留守にしたのは、この指輪を手に入れるためだった。
俺はこれを手渡し、愛するあの子を「解雇」する・・・主従の関係は、もう終わりだ。


「あっ・・・!」
庭を掃くほうきを放り出し、絵に描いたような美少女が体当たりするように飛び付いて来る。


「お帰りなさいませ、私のご主人様!」
眩しく煌めく小麦色の肌と調和した、白と濃紺を基調とした清楚なメイド服。
南国らしく大胆にはだけたその胸元が俺の身体に密着し、普段は控えめに見える肉質を妖艶に圧し上げる。
輝く汗の雫がその谷間に滴り、立ち昇るライムのように爽やかな美少女の香りが俺の鼻腔を鮮烈に刺激する。


メイドはこの子、「ルアン」一人だけだ。素直な働き者で、留守番も任せられる程に信頼している。
しかし、ルアン・・・こんなに幼かっただろうか・・・?どう見ても、15歳ぐらいにしか見えない。
メイドとして雇っているのだから、当然大人のはずだ。俺は何を考えているんだ・・・時差ボケか?


「ご主人様、どうしたんですか?」
俺を心配そうに見上げる、子猫を思わせる金色の瞳。その視線が、世界さえ歪むような不安を浄化していく。
前髪は一文字に切り揃えられ、丁度肩にかかる程度のセミロングの黒髪を、可愛いホワイトブリムがまとめている。
・・・本当に俺には勿体無い程の、清らかな美しさだ。
「ルアン」というのはその瞳の色から付けられた愛称で、本名は10回聞かされても覚えられない程に長い。
あの届出書の名前欄に、書ききれるかな・・・


先々月のルアンの誕生日、新しいドレスを特注してやろうと本人に絵を描かせたが、いくら一年中暑いこの地とは言え
その余りに攻撃的なデザインに俺は戦慄すら覚えた。剥き出しの鎖骨に、太腿に正気を保っていられない。
そうした希望を俺の理性の限度内で取り入れつつも、抑制の効いた上品なメイド服が小麦色のきめ細かい肌を引き立てる。


届いたばかりのその衣装のまま、都心で開かれたコスプレイベントに出た時など
「マッハブルー」が次元を越えて降臨したと、カメラ小僧がドミノ倒しの如く卒倒してニュースになったぐらいだ。
蹴、拳、膝、肘のスピリットを宿した四人のメイド少女が仏像を狙う悪を倒す格闘アニメ「撲殺ご奉仕マッハバトラー」
マッハブルーは可憐な容姿とは裏腹に、泣いて命乞いする怪人を殴り続け失神KOに追い込む冷酷さに熱烈なファンが多い。
そんな美少女が、俺の家で本当にメイドをやっているとは誰も思うまい・・・


「わっわわ・・・ふぎゃ!すっ、すいませんご主人様・・・」
悪気のないミスなのは、わかっている・・・
「許して下さい、何でもしますから・・・!」
そのドジっ娘ぶりも、可憐な容姿と相まって何とも愛おしい。
だがここで甘やかしては、この子はいいお嫁さんには、なれない・・・「俺の」嫁に。


「何でもするって言ったな?じゃあ、俺とリングの上で闘ってもらおうか!」
心を鬼にして絞り出したその言葉に、俺は自ら驚愕した。
何故だろう・・・心の中にその願望が少しでもなければ、こんな言葉が出てくるはずもない。
あのステージでの鮮烈なグローブ姿が、俺の脳裡に焼き付いていたのだろうか・・・


「やめましょう・・・私、手加減できませんから・・・ご主人様を、壊したくないんです」
その瞬間、俺の中で激情が弾けた。勢い良く転んだ拍子に焼きそばを頭からぶちまけられた事に怒ったのではない。
「手加減」「壊す」という強者だけに許される言葉に、男の闘争心が刺激されてしまったのだ。


「ふざけるな!!俺はお前の主人として命令しているんだ!」
威嚇のつもりで、その整った顔に右拳を突き付ける。
瞬きも後退りもせず、睨み付ける訳でもなく無表情に見上げる「ルアン」の眼光に、俺は逆に恐怖を覚えていた。



[お題で妄想] その10の2


特注して庭に造らせた白いリングの上、照り返す陽射しが少女のグローブ姿を一層凛々しく彩っている。
清楚なメイド服とのギャップに心を奪われたその一瞬、肉薄した少女の左フックが俺の前髪をかすめた。


ダッキングではない。腰が、抜けたのだ。拳圧に左へ逃げるも、しなやかな脚は俺を射角内に捉えて離さない。
膝が伸びる程に鋭い右アッパーが顎を撥ね上げ、視認も叶わぬ左ジャブが無数の青い閃光と化して鼻面を打ち鳴らした。
俺は込み上げる激痛から逃げるように炎天下のリングに這い、鉄板焼きの如く転げ回った。


「カウントは取りません。勝敗を決めるのはご主人様の意志です。ごゆっくり」
コーナーに戻ろうとすらしない少女。その口調に、焼けた背筋が凍り付く。
無様に尻で這って逃げても、逆光に見下ろす金色の眼は冷酷に俺を追尾し、サディスティックに魅了する。
立てば、即座に12ozの餌食・・・だが、立たない訳にはいかなかった。男として・・・


黄金の眼と対をなす青いグローブは、不可視の熱風と化して屈辱の檻に吹き荒れた。
顔面を庇う両腕に左右のフックが弾け、高らかに響く破裂音が身体ごと心の平静を揺さぶる。
両頬へ集中した意識に割り込むかの如く、ワンツーが鼻先を小気味良く弾き潰す。溢れ出す鮮血に震える肘を固めると
フックで頬を痛烈に抉られ、反射的に両手で頬を押さえればウィービングから逆の頬を痛打される。
ロープに焼けた背中の熱さも忘れる程の、一方的な滅多打ち。腫れ上がった両頬を押さえると、悔し涙が溢れ・・・


固くつむった眼を開くと、鼻先に右の12ozが寸止めされていた。その奥から俺を優しく見つめる、黄金の瞳・・・
「もう、やめましょう・・・ご主人様」
俺は、脱力してキャンバスに跪いた。芽生えてしまった可憐な少女への「怯え」に、膝がガクガクと笑っていた。
もしかしたら俺は、殴り合いという少女に決して劣るはずのない分野で完敗する事で
長く続いた主従の関係が、次のステージへ進む事を期待していたのだろうか・・・


少女を見上げながら下した、「ご主人様」としての最後の命令。少女はそれに、忠実に従った。
それは、少女が俺の主人となる事・・・
背を向ける少女。揺れるセミロングから垣間見えるうなじの美しさに、俺の自尊心は更に切り刻まれ、嗚咽が響いた。


見上げる太陽に、血飛沫が舞う。俺は少女の命を受け、毎日の如く焼けたリングに立っていた。
閃光の如き左ジャブの連打を浴び、瞬く間にコーナーへ追い詰められてしまう。
右アッパーカットが迫る。ボディ狙いと見た両腕を嘲笑うかの如く、軌道を変えた12ozが顎を垂直に撃ち抜いた。
苦し紛れに左アッパーを返すも、振り下ろした少女の右肘に止められ痛みが走る。
その勢いでふわりと黒髪を舞わせダッキングした少女、左のアッパーがフック気味に迫る。
全体重をかけた右肘で返そうとするが、内側へ軌道を変えた左拳がカウンターとなって顎を撃ち潰した。


完全に、脳をやられた。クリンチに逃げようとするも腕に力が入らず
その柔らかな胸へ顔をうずめ、白いオーバーニーソックスへしがみつき、ついには足許へ崩れ落ちる。
ズタズタの口内から溢れ出した鮮血が、エプロンドレスの胸元から紅いラインとなって塗り付けられた。


「ルアンは『ご主人様』の主人として命じます。立ちなさい」
打ち鳴らされる拳。衝撃に降り注ぐ甘酸っぱい汗のスコール。疲労と屈辱と興奮に、脳がとろけてしまいそうだ。
迫る黄金の瞳が残酷な愉悦に歪むと、唇が奪われていた。両腕を絡め起こされる事すら気が付かぬ、それは官能だった。


顔面が、脳が縦横無尽に弾け飛ぶ。相手がリングに沈むまで決して拳を休めない残虐性・・・それだけでは、なかった。
尻餅をつき、陽炎の如くぼやける視界と意識の中、少女に初めて命じられた炎天下での草むしりの苛酷さを思い出す。
途切れぬ連打を支えるスタミナこそが、少女の真の強さ・・・曖昧な思考を割って、無残に裂けた唇に熱が吸い付いてくる。


ワンツー、左右のフック・・・もはや、腕を持ち上げる気力も失せ、あらゆるパンチが顔面へ炸裂し破裂音を響かせた。
人生最高の高揚感の中で少女の躍動は更に加速し、俺はリングへ叩き付けられては起こされ、また倒された。


対角線のコーナーへ戻る少女。左の12ozが俺を招き、右の12ozが握り締められる。
俺は最期の力を振り絞り自力で起き上がると、夢遊病者の如くリングを彷徨い、愛する少女とその拳を求めた。
容赦無く鼻を直撃する右ストレート。鼻骨を通じて頭蓋が震撼し、脳へ直接響く爆裂音と共に、両の踵が浮くのがわかった。
鮮血の虹を描き、対角線を吹き飛ぶ熱風の中、俺の意識は眩しい太陽に焼き尽くされていった。



[お題で妄想] その10の3


「あぶっぐぉああっ!!!あだっ・・・!」
俺はいったい何回、こんな夢を見れば気が済むのだろうか・・・
震える手で顔をさすってみると、鼻ではなく左膝にズキリと痺れが走った。
まいったな、ベッドから転げ落ちた拍子に踏んでしまったらしい。
誰だよ、こんな所に床をコロコロする奴を置いたクソ野郎は・・・俺に決まってるよな。


足を引きずりながら、スポーツ新聞を取りに行く。西暦2019年・・・
テレビを付けると、見飽きた通販番組・・・布団圧縮袋、高枝切りバサミ・・・間違いない。今度こそ現実だ。


マンションから整形外科のある総合病院までは、真っすぐ20分程歩く必要がある。
既に20分以上時間を掛け、丁度真ん中にある教会の前に差し掛かった時、俺は眼を奪われた。
花壇に掛かった小さな虹にではなく、如雨露を片手に花を慈しむシスターの姿に。


初夏のそよ風に純白と濃紺の頭巾が、背中の中程まで伸びた黒髪と共にサラサラと波打ち、清冽な花の香りを運んでくる。
思わず足を止めて見とれていると、少女と眼が合った。投げ掛けられる、慈愛に満ちた微笑み。
俺は神秘的な赤紫の瞳に吸い込まれ・・・いや違う、美少女が小走りに向かってくるのだ。


「大丈夫ですか?膝を・・・」
「あ、ああ・・・大したことは・・・そこの病院に行こうと思って・・・」
慎み深く儚い、天使を思わせるその美声に、心拍数が一気に跳ね上がる。


結局、病院まで肩を借りる事になってしまった。
少女は、「ソルフェリーノ」と名乗った。髪の匂いにほのかな汗の香りが混じった芳香、修道服越しにとろける肉感・・・
人生最高の10分間。俺はそのきっかけを作った自らの怪我に、それを齎してくれた悪夢にさえ、感謝した。


総合病院の入り口、俺は感謝の余り言葉に詰まり、涙ぐんで深く頭を下げた。
「どうかお気になさらず。私も病院に用事がありましたので・・・では、お大事に」
少女の後ろ姿を見送る。両拳にきつく巻かれた包帯に、今になって気が付いた。
自分の怪我を押してまで、見ず知らずのこんな俺に尽くしてくれるなんて・・・本当の天使って、いるんだな・・・


「じゃあ湿布出しておきますので、激しい運動は控えて下さい」
30分待たされた診察は、30秒で終わった。腑に落ちない顔をしていると
一応リハビリもしておきますか、と医者が切り出した。じゃあしておくか、一応な・・・


リハビリルームへ入ると、俺は我が眼を疑った。
「シスター・ソルフェリーノ・・・!なぜ、きみが・・・」
俺は困惑した。病院そのものが修道院をその原点とする、という話は聞いたことがあるが・・・
他の患者も、高々17歳程度にしか見えぬ少女を気にも留めない。まさか、また夢・・・俺の中で、現実感が揺らいでいく。


修道服の少女は、その大きな赤紫の瞳に愁いを浮かべ、口をつぐんだまま一番奥の扉へと俺を導いた。
「私は後から参りますので・・・」
倉庫と思われたそのドアの中には、地下へと続くエレベーターが隠されていた。


逃げ場の無い地下の密室で相対し改めて、その不安を抱かせる程に高貴な赤紫の瞳に、俺は心を奪われた。
本当に、その理知的な顔立ちから下、一分の隙も無い露出度0%の神聖美だ。隠されているからこそ、想像力が働いた。
胸元で斜めに傾いたロザリオが、柔らかな神秘の決して大きすぎない均整美を想起させ
すねまでの修道服から覗く、白い紐で堅く縛られた黒革のブーツは・・・


そう、ボクシングだ・・・少女は拳で顔面のツボを刺激する事により、全身の治療をするのだという。
健康や安心を象徴する色のはずの緑が、闘争や不安を想起させるボクシンググローブを彩る。
12ozの塊が、立ち尽くす俺の視界へゆっくりと迫り、眼窩と鼻梁を冷たく暗く圧迫する。
ぐぎゅう・・・
「左ジャブ」の予行練習だ。これから俺は、顔面を、殴られる・・・


「震えていますね・・・私のパンチが怖いのならば、やめてもいいのですよ・・・」
頭巾から露出した前髪は眉が丁度隠れる程に切り揃えられ、艶のある上品さを醸し出している。
こんな美少女に拳を向けられているという事実が、凄まじい被虐感を更に亢進させ、いつしか俺は頷いていた。


その鋭い痛みは、俺の想像を遥かに超えていた。鼻血が出ないギリギリの「深さ」を狙い撃つ、妙技だった。
鼻骨に弾けた真新しいグローブの革の匂い、少女のほのかな香り・・・そして、脳を焦がす激痛の陶酔・・・
「変態」という魂を持つ人々が住む世界とこの密室は、つながっている。
一瞬でも気を抜けば、この被虐的な興奮の虜になってしまいそうだ。


家に帰っても、破裂音の残響、グローブの感触・・・全てが頭から離れない。
薬局に行くのを忘れた事にすら、気が付いていなかった。



[お題で妄想] その10の4


地下リハビリ室。俺は再び、試合用の白いコーナーマットに後頭部を固定されていた。
メニューは、鼻へのワンツー8発を1セットとして、それを4セット・・・"32"という数字に、俺は戦慄した。


左右の12ozが打ち鳴らされる。1発、2発、3発・・・二人きりの密室に、残酷な衝撃音が木霊した。
「『あなた様も』怖いのでしょうね・・・引き返すのならば、今のうちです」
小さな木槌が渡される。俺は自らを新たな世界へと導くゴングを、震える手で打ち鳴らした。


カーン・・・!
金属音の残響が鼓膜を犯したその直後、天使は悪魔へと変貌していた。
滴る涎を舐めとるように舌なめずりし・・・「にやぁ」と笑みを浮かべる美少女。
花壇での微笑みとの凄まじい落差が、光と闇のせめぎ合う美が、交互に鼻先を直撃する緑のグローブに浮かんでは消えた。
シスター・ソルフェリーノの赤紫の瞳は、狂気と嗜虐心に爛々と輝いていた。


最初の8撃は、眼で追う事も叶わなかった。最後の右が引き戻されると鼻先が燃えるように熱くなり、激痛に息が詰まった。
極度の緊張が脳を麻痺させたのだろうか、次の8撃、重ねられる衝撃に己の鼻中隔がぷるぷると震えているのがわかった。
更なる8撃、もしこれが治療ではなくリングの上ならば・・・その妄想と破裂音の奏でるリズムが鼓動を極限に高めていく。
俺は32発の滅多打ちを締めくくる右ストレートを鼻へ浅く埋め込んだまま、涙を流して背徳の被虐感に喘ぎ、貪っていた。


一撃も鼻先を外さぬ着弾点の正確さだけでなく、一滴の鼻血も零さぬよう撃ち込む深さの精度も凄まじかった。
美しき悪魔の冷笑は緑の12ozの奥で天使の微笑みに戻り、鼻を圧し潰していたグローブが外された。
「ぶはぁっ・・・!」
急激に緊張が解けた弾みで、思わずその胸へ顔をうずめてしまう。慌てて身体を戻そうとすると
少女のしなやかな両腕が、首へ回された。少女の心臓も、張り裂けんばかりに早鐘を打っていた。


再び、診察室。もはや、どこが痛かったのかさえ、忘れてしまっていた。ただ、鼻が熱く疼いていた。
「もう大丈夫ですね」
リハビリは・・・と聞くと、必要ないと医者は切り捨て、湿布の処方箋が出された。
湿布よりも、パンチが欲しかった。


美少女のグローブ姿は「一部の男性」に限り健康増進効果があると最近証明されたらしい。
俺は2回とも、湿布の処方箋を薬局に出し忘れていた。受けた「治療」は、鼻へ弾けたシスターのパンチのみ・・・
治療は、確かに効果を発揮したのだ。つまり俺は・・・「変態」という事だ。


治ったというのに、この喪失感は何だろうか・・・ふらりと立ち寄った帰り道の教会
嗚咽を零し懺悔している少女の姿に、俺は溢れ出す激情を抑え切れず駆け寄っていた。
「『あなた様も』これが、お望みなのですか・・・」
眉間にバンテージの左拳が突き付けられる。


「私は、人を壊す事しかできない、罪深い女・・・どうか、忘れて・・・」
俺は直感した。その血腥い過去を。込み上げる戦慄が、愛おしさへと変わっていく。
「シスター・ソルフェリーノ、あなたに罪はない・・・変態である事が罪だなんて、俺には絶対認められない。
それが罪だとしたら、俺という変態を作ったきみが罪になるからだ。俺は、きみが好きだ・・・!
だから、もう一度『あの笑み』を見せてくれ。そして、その拳で・・・」


逃げ場の無いビルの谷間の袋小路で、見せ付けるようにグローブを装着するというインモラルな行為に
少女の息遣いがはぁはぁと乱れ、赤紫の瞳が爛々と輝いている。恐らく俺も、同じようになっているのだろう。


鋭い呼気音と共に繰り出されるワンツー。怖いのは、少女も同じだ。壊される恐怖、壊してしまう恐怖・・・
必死の反射は、少女の右拳が鼻の頭の皮膚をかすめてからだった。
俺は少女の拳への後ろめたさを振り切るかのように、足を凍らせる恐怖と闘い・・・一歩、「前へ」踏み出した。
その瞬間、少女も「前へ」踏み出していた。顔と顔が急接近し、どちらからともなく、熱く深い口づけがなされた。
じっとりと汗に濡れた修道服を抱き締め、柔らかな身体の重みを受け止めるうちに、背中にコンクリートの感覚。


糸引く唾液を舌なめずりで絡め取る少女。最後の迷いは、断ち切られたのだ。
左拳で俺の後頭部を壁に密着させ、右拳を突き出す。ナックルが左耳をかすめ塀を打つのが、頭蓋の伝導でわかった。
深々とめり込んだグローブが鼻骨をすり潰し鮮血を爆裂四散させ頭蓋を撃ち砕く破滅の妄想が、俺の脳を焼き焦がす。
胸の前で十字を切る少女。その赤紫の眼が見開かれ、口許が「あの笑み」に歪む。
視界一杯に拡がった渾身の右ストレートは、湿った爆裂音と共に俺の意識を暗緑色の恍惚に塗り潰した。



[お題で妄想] その10の5


「どぅわあああっ!!!」
酔い潰れて眠っていたのだろうか。夢・・・だったようだ。
俺の絶叫で叩き起こされた賞金稼ぎ風の男が、血相を変えて2階から降りてくる。
大魔法暦2015年・・・思い出した。この前、冒険の記録をつけた宿屋・・・間違いない。ここは現実で、俺は勇者だ。


店番に宿代を、殴り掛かってきた男に足蹴りと治療代をくれてやり、町を後にする。
あいつも暗黒龍が目当てか・・・だが「水の指輪」が無ければ、炎のブレスで黒焦げにされておしまいだ。
アバラが何本か折れただろうが、それで命が助かるんだから安いもんだろう・・・


暗い空を見上げる。浮遊島が鉛色の雲を掻き分け、俺の真上に差し掛かろうとしている。
千年の時を生き、地上の全てを知り尽くすという大魔導師「知の番人」が、あの天空の魔法都市に住んでいるらしい。
求める指輪の手掛かりも・・・そう思った、その直後だった。


青緑の閃光が迸るや否や、渦巻く暴風の嵐に巻き上げられた所までは覚えている。
ここがどこなのか、何もかも全くわからない。だが、浮遊する椅子に腰掛ける少女の美しさだけは、俺を確かに圧倒した。


大気中のマナを吸収するという超古代魔導着「スク=ミズ」・・・しかも世界に唯一とされる純白、伝説の「白スク」だ。
白スクの薄い生地はきめ細かい少女の肌に密着し、ふくらみかけの危うい曲線美を直視出来ぬ程に魅せ付けた。
濃紺のマントは風も無いのに柔らかに波打ち、魔導着と素肌、浮かび上がる二つの純白が俺の視線を釘付けにする。
上品に眉のラインでぱっつんと切り揃えられた前髪が、高々13歳前後にしか見えぬその無垢なる清らかさを更に強調し
清楚なミスリル銀のサークレットがヘアバンドの如く頭頂を飾り、その両端からエルフ特有の長い耳が鋭く伸びている。


長い脚を艶かしく組み替え、分厚い魔導書を片手に眼鏡を直す美少女・・・俺に気が付かぬ程、本に集中しているのだろう。
恐ろしい程の美貌とは裏腹に、繊細な指先にはおしとやかな気品が漂い、日々魔法の研究に余念がない事が伝わってくる。


「あっ、ご挨拶が遅れ申し訳ありません・・・私は知の番人『シアン』。ようこそ、導かれし勇者様・・・」
魔導書が閉じられ、アクアマリンのような緑がかった青の瞳が、優しく微笑みかける。少女に夢中で気が付かなかったが
俺を5人縦に並べても足りぬ書棚が壁一面に並び聳えている。「知の番人」が、こんな年端も行かぬ美少女だったとは・・・


少女を「お嬢様」と慕う使用人達のもてなしを受け語らう中、俺は少女の年齢に仰天した。
1013歳・・・丁度1000歳は若く見える。改めて俺は、伝説の大魔導師の魔法力を思い知った。


「この魔法都市には最近になって、攻撃魔法の効かない魔物が出没するようになりました。
天空から勇者様のご武勇は拝見しておりました・・・私に『ボクシング』を教えて頂きたいのです」
紡ぎ出されたその単語と、言葉の主の幼く華奢な肢体とのギャップに、俺は紅茶を零しむせ返った。
確かに少女の細腕には、重い武器術よりも格闘技が向くだろう・・・
疾さが命のボクシングは、エルフの敏捷性を最も活かせる戦闘法の一つだ。しかし・・・


「勿論、ただでとは言いません・・・付いて来て下さい」
その膝下まであろうかという流麗な黒髪は、風も無いのにサラサラと揺れ、漆黒のオーロラの如き艶を放っている。
書斎の奥には、俺の求める「水の指輪」が安置されていた。
「わかりました・・・俺などで良ければ、お相手しましょう」
この慎み深い、いかにも文学系のお嬢様と拳を交えるのかと思うと、不思議な興奮が抑えられなかった。


本当に、透き通るように白い指だと、バンテージを巻きながら思う。
それにしても何故、勇者とはいえ見ず知らずの男と二人きりで、この少女には一人の護衛も付かないのだろう・・・
くそっ、俺は何を考えている・・・また、夢だとでも言うのか・・・


ジャブ、ストレート、アッパーカット・・・流石は全てを見通す「知の番人」だけあって
どのフォームも教則本通りの美しさだ。しかし所詮は素人のお嬢様、パンチ力が全く付いて来ていない。


だが、リングを広く使う優雅な敏捷性、鼻腔に吸い込まれる清冽な疾風は、初日から俺を魅了するに充分だった。
少女にボクシングを教えるという事は、最終的に俺自身をノックアウトさせる事が目的・・・
この少女の操る真紅のグローブが俺の顔面を叩きのめしリングに這わせる事で、クエストは達成されるのだ。
眼鏡の奥から俺を見つめる、大きな青緑の瞳。甘い吐息を弾ませ軽やかに舞う脚捌きに、尖った耳が揺れている。
見とれた隙に視界を覆う真っ赤な12oz。その心地良い弾力を、俺は得体の知れぬ幸せな背徳感と共に堪能していた。



[お題で妄想] その10の6


おしとやかな、格闘技素人の、文学系お嬢様・・・そう思っていた。昨日までは。
レッスンを中断し駆け込んだ自室、鼻を押さえ震える両手の隙間から、枝分かれした鮮血が肘を伝って垂れ落ちる。
幻惑のステップが俺に一瞬の隙を作り・・・少女はそれを見逃さなかった。


「勇者様!大丈夫ですか・・・?入りますよ・・・」
(見ないでくれ!!)
声を絞り出そうとして、初めて俺は、自分が「泣いている」事に気付いてしまった。
顔面に迫り弾ける紅い右ストレートの幻影に涙が溢れ出し、美少女に「泣かされてしまった」事実に嗚咽が止まらない。
「・・・明日のレッスンは、お休みにしましょうね」
ドアを薄く開けた少女はそう言い残し、去って行った。


少女の習熟速度は、想定を遥かに超えていた。その実力が瞬く間に俺と拮抗し、追い抜いていく。


高らかな破裂音を響かせる左ジャブの鋭さに受ける右手が腫れ上がり、見かねた少女にミットを手渡された。
神秘の膨らみを微かに揺らしつつ、濃紺のマントと長髪を舞わせ周囲を旋回する疾風のフットワークに
俺は為す術なく翻弄され続け、腕で受け切れぬ真っ赤な12ozは頬や顎へ「寸止め」された。
儚く可憐な少女に「気を遣われてしまう」その毎日が、俺を徐々に壊し始める。
複雑な激情が綯交ぜとなった涙に枕を濡らしつつ、俺は少女を想い続けた。


そしてついに、その時はやって来た。


「参りましたか」
4発目・・・苦し紛れの抵抗は、かすりもしない。その身の軽さはエルフの域を超え、まさに風そのものだ。
手数こそ少ないものの、的確に隙を突く美少女のパンチは全てが顔面へ寸止めされ、その度に屈辱の言霊が精神を蝕み壊す。


「参りましたか」
12発目、真紅の左拳が顎を持ち上げる。臨界点を越えた被虐感に・・・俺はとうとう、リングの上で声を殺し泣き始めた。
この地獄から抜け出すにはガードを開き、鼻を狙うだろう次の「寸止め」に自ら強く踏み込むしか、なかった。


「直撃」によりこの惨劇に終止符を打とうとしたのは、少女も同じだった。俺の無残な姿を憐れむその優しさが
13発目、カウンターの右ストレートと化して俺の鼻梁を撃ち抜き、弾む程に激しく後頭部をキャンバスへ叩き付けた。
脳震盪を起こしたのか四肢が痙攣し、止め処なく溢れ出す鼻血を拭う事すら叶わぬ惨めさに、俺は失禁していた。
返り血の飛沫を浴びた眼鏡の奥から、青緑の瞳が俺を見下ろす。最後は、美少女自身により10カウントが数えられた。


「勇者様、泣かないで・・・この世界を救えるのは、勇者様だけなのですから」
指輪を土産に地上へ送り返されてから半年・・・もう勇者としての使命など、どうでもよくなっていた。
俺は今、闘技場のリング上で王者として挑戦者を待っている。少女に奪われた、強者としてのプライドを取り戻す為に。


その時、対角線上に突如巻き起こった暴風がリングを激震させた。
咄嗟に両腕で頭上を庇った俺の顎を、真紅の右拳が痛烈に撥ね上げる。
見上げる先には、あの魔法都市・・・崩れる俺を抱き止める主は、美しき知の番人「シアン」・・・!


リング中央、サイドステップを交えた無数の左ジャブが暴風雨と化して俺を襲った。
向き直る事が精一杯だった。破裂音の嵐に腫れ上がった右瞼は完全に塞がり、少女が右の暗黒へ消えたかと思えば
右ストレートが左頬を射抜き鮮血混じりの唾を飛び散らせる。右へ消えた少女がなぜ左から・・・
困惑する暇も与えず、左フックで首を180度弾き飛ばされた直後、身体の真左から右の12ozが鼻を潰し頚椎を軋ませる。


「ふふっ、痛そう・・・勇者様に私の千年の退屈、わかりますか?」
鼻血で呼吸が苦しい。上昇気流にその黒髪を逆立たせた美少女の威容が、酒に酔ったように波打っている。
これも魔法か・・・突進すると、蜃気楼の如く風に消える少女。振り向く顎を、真紅の拳が冷酷に射抜く。
追撃はせず、少女はその端正な顔を再び突き出し眼鏡を直す。


エルフの敏捷性に疾風の魔法を組み合わせた、華麗なる拳舞・・・
腕力こそ華奢な肢体相応だが、死角から襲う12ozは振り返る顔面を的確なカウンターで弾き返し続け
十数発の鋭い打撃と無慈悲な挑発は確実に俺の脳を蝕み、絶望感に視界が更に歪み溶けていく。


背後に回られるなら、その背後を無くせば・・・
コーナーへ倒れ込む足がもつれ、異様に重い腕は俺の言う事を聞こうとしなかった。
視界一杯に膨張した真っ赤な右のグローブが鼻骨にみしりと食い込み
後頭部を鉄柱の頂点へ痛打した反動で、俺は潰れた顔面からリングへ墜落した。


「また付き合って下さいね・・・私の暇潰しに」
青緑の竜巻を身に纏い、眼鏡を外した少女は天空へ帰っていく。俺は甘苦い敗北感の中、静かに意識を閉じた。



[お題で妄想] その10の7


故郷へ向かう機内、男は自らの絶叫で眼を覚ました。
飛び起きた拍子に頭突きで壊してしまったのか、機内テレビが映らない。客室乗務員を呼ぼうとしたが、様子がおかしい。
何故か、男以外の人間が一人も居ないのだ。無人の銀翼は、定刻通りに空港へ到着した。
タラップを下りる先には、純白の正方形・・・灼熱の太陽に焼かれたリングが待っていた。


「お帰りなさいませ、ご主人様・・・いえ、私の『お兄様』」
鼻先に左の8ozを突き付け、黄金の瞳から残酷な視線を突き刺してくる、上品にして妖艶なメイド服の美少女。
男は戦慄した。この夢を「誰か」が作り出しているのだとしたら・・・その夢魔は、恐ろしい相手だ。
悪夢とわかっていながら、逃げる事すら許されないのだから・・・


玉の汗を振り飛ばし、妖精の舞踏が始まった。ヘッドドレスを靡かせ、眼の前でシャドウを魅せ付ける小麦色の美少女。
風を裂く8ozの描く軌跡は無数の青いホーミングレーザーと化し、流麗な軌道に交差しながら頬を斬り刻む。
飛沫く鮮血の恐怖と激痛に顔面を覆うと、鮮やかな"X"の軌跡を描く左右のスマッシュが両肘先を痛烈に弾き飛ばした。
がら空きの顔面を容赦無く右ストレートが撃ち抜き、鼻軟骨の拉げる異音と共に男を灼熱のロープへと誘う。


止め処なく鮮血が溢れる鼻を押さえようにも、肘が麻痺し、腕が動かない。余りの恐怖に気を失いかけた男の目と鼻の先で
打ち鳴らされる、薄く硬い青の8oz。その衝撃波が男の意識を蘇らせ、金色の眼が、サディスティックに歪んだ。
「ふふっ・・・『遊び』はこれからですよね、お兄様」


左ジャブ瞼右ストレート鼻左フック顎左フック頬右ストレート頬左アッパー顎左ジャブ鼻鼻鼻鼻鼻右ストレート鼻・・・
弾けた打撃の痛みすら追い抜いて次の一撃が脳を揺さぶる、狂気の連打速度。13撃目の左アッパーについに膝が砕けるも
更に8発のワンツーが崩れ行く血塗れの鼻を正確に捉え、渾身の左フックが陽射しに焼けたリングへ男を叩き伏せると
許容量を超えて蓄積していた激痛が熱をスイッチに爆裂し、失禁痙攣と共に断末魔の大絶叫を木霊させた。


滑走路上のリングに、魔性の臭気を放つ煙が立ち込める。
その正体は、男の夥しい鮮血や体液と少女の飛び散る汗が混じり合い、高温のリングで蒸発したものだった。
のたうち回って砕けた鼻で嗅ぐおぞましくもどこか懐かしい香りに屈辱が暴発し、吐瀉物の饐えた臭いが混じり始めた。


少女はコーナーに下がる事もなく、その黄金の瞳で男の狂態を逆光に見下ろした。
獲物をいたぶってから殺す猫を想起させるその微笑みは、無邪気に「遊び」を楽しむ冷たい狂気に歪んでいた。


起き上がっては、清楚なセミロングの黒髪を振り乱す左右フックの乱打に耐え切れず焼けたリングへ這いつくばる男。
降り注ぐ挑発の破裂音に燃え盛る激情が、感覚の戻った腕を小麦色の脚へ、エプロンドレスへ懸命に縋り付かせる度に
その肢体の余りの儚さ、むせ返る美少女の香りが男の屈辱の針を振り切り、血染めの陶酔へ誘っていく。
複雑な感情の入り混じった己の薄ら笑みに、男自身も気が付き始めていた。


9度目のダウン。男の両腕は再び麻痺し、痙攣を起こし始めた。蓄積された脳への衝撃が、許容量を超えてしまったのだ。
少女は男を優しく抱き起こし、耳元でそっと囁いた。
「お兄様、大好きです・・・もっと、遊んで・・・」


フックの標的が男の鼻へと切り替わり、アッパー、ストレートも加わり更に亢進した猛威で殺到した。
噴き上がった高圧の鼻血は血の雨と化して天から降り注ぎ、リングで蒸発した血の煙は輻射熱に天へ昇って行く。
男は地獄色の死合せの渦に巻き込まれ、正気と狂気の狭間で魂を焦がす激痛の恍惚に身を委ねつつ、鮮血を噴霧し続けた。
整っていた鼻梁は血肉と骨の赤黒い塊と化し、脳震盪と失血と熱波により憔悴しきった男の鼓動が弱まっていく。
背徳と至福の撲殺遊戯、その終焉の予感を二人は共有していた。


少女は倒れ込む男をその柔らかな胸に抱き止めると、左のグローブを外し、男の懐からプラチナの指輪を取り出した。
脚をスイッチする少女。鼻先に突き付けられた左ストレート、その薬指の光に、半ば潰れた男の眼から最期の涙が溢れた。


顔面の中心、潰れ切った鼻へ軽い口づけが齎され・・・誓いの左拳は、再び薄く硬い8ozに包まれた。
深く鋭く顔面を撃ち上げる右ジャブの連打。再び舞い散る鮮血の中、つま先立ちになった男は一本の棒の如く倒れ込む。
伸び上がる膝の爆発力を活かした左ストレートが男の顔面を仰角60度で撃ち返し、爆裂音と共に両足を浮き上がらせた。
男はロープに背中を預け宙吊りに揺れながら、意識が灼熱の中で蒸発していく奇妙な充実感に満たされていた。



[お題で妄想] その10の8


部屋番号"904"の主は、絶叫を残して二段ベッドの上段から転げ落ち、真下のちゃぶ台を豪快に叩き割った。
ハードコアな受け身だったと感嘆するが・・・腰を痛めてしまった。しばらく蹲っていると、ピンポンが鳴る。
真下の部屋"804"に住んでいるというその美少女は、清楚な修道服を身に纏い、マゼンタの瞳に天使の微笑みを浮かべた。
「お迎えに上がりました・・・『お兄様』」


家の隣の教会を過ぎると、その次はもう病院だ。徒歩1分の近さ・・・
アスファルトを走るストレッチャーに揺られながら、男は悪夢の連鎖がまだ終わっていない事を確信していた。
無人の総合病院。美少女と男だけの宇宙。エレベーターのボタンは [1] [B4] の二つしかない。
これは二人を導く、禁断の別世界への入り口・・・


男は地下深くリング上に安置されたベッドに横たえられ、跨る少女の儚い重みの下で、小刻みに震えていた。
人に安静の時を与える為のベッドが、闘争の舞台であるリングに・・・


「まず、『麻酔』をさせて下さい・・・ちょっとチクッとしますからね・・・」
少女の左拳が、グローブを外したボクサーの凶器が振りかぶられる。
鼻の前で腕を合わせた反射を嘲笑うかの如く、白い左拳はフックの軌跡を描いてこめかみを打つ。1発、2発、3発・・・
脳へ冷たく響く激痛は男に両手で右側頭部を庇わせ、がら空きの左側頭部を硬いバンテージの右拳が無慈悲にも撃ち抜いた。
混乱に腕を開いたその一瞬が男を破滅へと導く。男の右腕は、少女の左膝の下へ組み敷かれてしまっていた。


眩しい照明の下、男は眩む意識の中で思った。ベッドもリングも、行き着く先は永遠の「眠り」なのだと・・・
左腕のみで少女の荒れ狂う双拳を捌ける筈もなく、テンプルを通じて脳へ直接叩き込まれる硬く白い衝撃に
耳鳴りが止まず、虚ろに白目を剥く視覚は、残された左腕までもが少女の肢体に征服される瞬間すら認識出来なかった。


もはやそこからは、「暴力」という言葉を具現化したかのような、見るに堪えない滅多打ちが延々と続いた。
数十発の破砕音を経て、醜く変形した両側頭部は無残に青黒く内出血し、行き場を失った鮮血は両耳孔から垂れ落ちた。


「『麻酔』は、効いたようですね・・・それでは、『治療』に移ります」
混濁する意識に、死後硬直の如く両手両足を痙攣させ、小便を垂れ流す男。少女は「麻酔」の効果を確認すると
漆黒の靴底でベッドを蹴り飛ばした。勢い良くスライドしたベッドは、ロープに激突して止まった。
美少女は男の上半身を抱き起こし・・・まだ整っている鼻の頭を、その柔らかな胸の谷間へとかき抱いた。


「治療の前段階として、お兄様の鼻の骨を・・・へし折ります。嗅覚のある内に、私の匂いを覚えておいて・・・」
男は白と濃紺のシスター服に包まれ、本能のまま、柔らかな胸から薫り立つ甘やかな少女の香気を貪った。
少女は男の脚に跨ったまま8ozのボクシンググローブを装着し、見せ付けるかの如く口で紐を引っ張り封印した。


「麻酔」が無ければ、男はその激痛の連鎖に発狂を免れなかっただろう。少女の強さはパンチの「正確性」だった。
緑の革と赤い血肉が潰れ合う爆裂音と硬いセカンドロープに後頭部を強打する重低音が交互に響き渡り、吹き上がる鮮血が
豪雨と化して降り注いでもなお、少女の右ストレートは潰滅された鼻骨一点への精密射撃を研ぎ澄ましていく。
血に塗れた少女の唇が開かれ、清冽な歌声が紡ぎ出された。それは、男の魂を送り出す鎮魂歌だった。
荘厳にして哀切なる調べに、男はその顔面を打楽器、後頭部とロープを弦楽器として伴奏を付ける事で応えた。


重厚な阿鼻叫喚のハーモニーが終わり、鮮やかな緑色だった8ozは飽和状態にまで鮮血を吸い、紅い雫を滴らせていた。
「これが最期の『治療』です・・・」
ベッドごと男をコーナーへ立て掛ける少女。瞳を閉じ、胸の前で十字を切る。
それは少女と男にしか成せぬ、禁断の治療・・・決して覚める事のない、憧れの夢世界への扉を開く儀式だった。


擦過音と共にリングを蹴り、背中まで伸びた黒髪を舞わせ、膝、腰、肩、肘・・・あらゆる関節を捻り抜く美少女。
返り血を自ら振り飛ばし迫る弾丸・・・渾身の右ストレートは、コークスクリュー回転を伴って男の鼻梁へと着弾した。
「麻酔」は、完全に効いていた。男の精神は、自らの顔面が完膚無きまでにすり潰される神聖な被虐感と共に
柔らかに脳へ注ぎ込まれ沁み渡るマゼンタ色の愛情に打ち震えつつ、浮遊感に包まれていた。


――またどこかで、お会いしましょう・・・私の愛するお兄様・・・
8ozを顔面に深く埋め込み硬直した自分自身を見下ろしながら
天へ昇って行く意識の中で・・・男は、眼下の愛する少女へ手を振り返した。



[お題で妄想] その10の9


男は絶叫と共に、木のテーブルを蹴倒して目覚めた。人の気配が失せた宿屋に、酒瓶の割れる悲痛な音が轟く。
「お目覚めはいかがですか?愛しい勇者様・・・いえ、『お兄様』」
死の静寂を割って、両拳を後ろ手に隠したエルフの美少女、その慎み深い美声が響いた。


「・・・見せてくれ」
「ふふ・・・何をです?」
静謐なシアンの色彩に輝く瞳が、悪戯な狂気に煌めく。
突き付けられた艶めく右の8ozが男の視界を真紅に覆い尽くすと、浮遊感が襲った。
リングから這い出さんとした男の眼下には、鉛色の雲海・・・ここは決して逃れられぬ、悪夢の処刑場だった。


立ちすくむ男の鼻腔を、しっとりと清冽な芳香がくすぐる。少女の膝下まで伸びた黒髪を舞わせたのは、一陣の突風。
黒く柔らかなヴェールを割り裂いたワンツーが顎を的確に撃ち抜き、衝撃に前のめりに崩れる男の鼻面を
硬く鋭い左ジャブのトリプルが打ち上げた。フットワークを始める少女の唇が残忍に歪む。ダウンすらも、許されないのだ。


意のままに操られる烈風が、清楚な少女に悪魔の翼を齎した。残像と激痛しか知覚出来ぬ、疾さの暴力。
リング中央、男の周囲を不規則なリズムで舞い、黒髪と濃紺のマントを靡かせ破裂音のビートを刻む疾風の妖精。
人は風を掴めない。だが、風は不可視の刃と化して人を斬り刻む。
全方向から襲う左ジャブの嵐は、向き直る事すらも叶わぬ男の防御を嘲笑うかの如くすり抜け顔面を打ち鳴らし続ける。
鼻、顎、頬、瞼・・・百発を超える真紅の衝撃を受けた男の皮膚は無残な腫れにめくれ上がり、眼鏡から返り血が滴った。


間合いを取る少女。風は暴風と化し、壮絶な破壊力を生み出した。加速した右ストレートは男の鼻骨を砕くのみならず
眼窩すら陥没せしめ、迸る鮮血は180度の弧を描いたのち男の背後の白いコーナーを朱に染め上げた。
暴打の衝撃に背骨を軋ませ顔面を波打たせた男はたたらを踏み、仰け反ったままコーナーへ顔面から激突した。


純白の魔導着を返り血に染めた美少女は、3体に分身していた。それは、脳を蝕まれた男の幻覚ではなかった。
凄まじい魔法力の放出は、少女に質量を持った幻影を作り出させるに充分だったのだ。
細く儚い腕相応のパンチ力とは言え、既に顔を庇う腕の制御能力すら失った男を滅多打ちに蹂躙する6つの紅い8ozは
残り2体が隙を埋める事により全てが純粋な残酷性のままに振り抜かれ、潰れ切った男の顔面へ3倍の連打速度で殺到した。


血肉を飛び散らせ精神すら破壊する無慈悲なる拳打の嵐・・・後先を考えない渾身のフックが、ストレートが止まらない。
痙攣しダウンに逃れんとする男を阻むアッパーが、目測を誤ったのか鼻を叩き潰した事がきっかけだった。
やがて、少女達の冷酷なる好奇心は男の顔面の中心、その一点に集中し始めた。
「「「うふふっ・・・あははははっ・・・!」」」
3人の美少女が輪に並び、楽しげに駆け回り拳を振るう。妖精の輪舞が、噴き上がる鮮血の濃霧に閉ざされていく。
ステップインからの、鼻を撃ち上げる容赦無き右ストレート。圧倒的暴力の連続が男の宇宙を喰らい尽くした。


突如、連打が止まった。見る影もなく砕き尽くされた男は前のめりに崩れ・・・影の無い少女達に抱き止められた。
両腕を捕えられ導かれる先には、血塗れのグローブの奥からシアンの瞳を輝かせる美少女の姿があった。
耳を劈く爆裂音と共に男の下半身から煙が立ち上った。破滅的激痛に死を悟った男の本能、その最期の足掻きだった。
非情なる少女の拳、渾身の右ストレートがカウンターで男の脳を蝕み、生理現象の管理すら放棄させてしまったのだ。
それでも少女達は、男にダウンという名の安息を決して与えようとはしなかった。


後頭部左右と鼻面の三方向から、完全にリズムを同期させたワンツーの連打が男を襲う。鮮血に脳漿が混じり始めた。
120度間隔で的確に圧し潰される頭部。逃げ場の無い破壊は男の鼻骨に留まらず、頭蓋全体に波及し始めていた。


「私達を作り出したのはお兄様、貴方なのですよ・・・これがお兄様の望んだ、永遠の悪夢・・・!」
死にゆく視覚に歪む美少女の姿は、再び集束していた。血に塗れたミスリル銀の眼鏡を投げ捨てると
ついに暴走した魔法力は狂気の暴風と化して対角線上に迸った。吹き飛ばされた男を、少女の返り血が水平に襲う。


吹き荒ぶ狂風を背に受け、左腕で鉄柱に掴まり解放の時を待つ少女。硬い鉄柱に後頭部を擦り付け、その時を待つ男。
止めは、顔面への右ストレートだった。慟哭の如く猛り狂った暴風は少女を一撃の弾丸と化し、狂気の弾丸は男の顔面を
完膚無きまでに猛爆し、制御不能の爆撃は頭蓋を貫通し鉄柱をへし折り、そして、雲海へ沈んで行く男の意識を断ち切った。



[お題で妄想] その10の10


西暦2013年、夏。
無慈悲な陽射しに焼けた総合病院通りのアスファルトを、風の妖精を思わせる一人の美少女が駆け抜けて行く。
純白の体操服に濃紺のブルマ、腰まで伸びた艶のある黒髪が軽やかに靡き、飛び散る汗は宝石粒の如く煌めく。
道行く誰もが弱冠11歳2ヶ月の少女の瑞々しい美しさと、その漆黒の瞳に宿された鬼気迫る意志力に足を止める。


授業を早退した少女は着替える事も忘れ、息を切らせて愛する兄の部屋へ走り込んだ。
眉の高さで上品に切り揃えられた前髪が滴る汗で額に張り付き、密室に甘酸っぱい少女の香りが充満する。


「お兄様、お兄様っ・・・!私です、妹の『儚(はかな)』です・・・!」
反応がないどころか、虚空を掴む両手はいびつに強張り、脚を痙攣させ時折白目を剥く男。
朝より、更に酷くなっている・・・少女は戦慄した。かくも恐ろしい悪夢を男に与える、夢魔の存在に。


為す術無く男の苦悶を見守り続ける事、数時間・・・その発見は電撃の如く少女の脳裡を撃ち、直ちに行動に移された。
鍵は、男の微かなうわ言に含まれる二つの単語だった。一瞬の逡巡の後、男に馬乗りになった少女は
白く小さな左の「拳」を、男の「顔面」へ強く押し付けた。


・・・


少女は三階層に亘る悪夢、その余りにも支離滅裂で凄惨極まる有様に耐え切れず、拳を離すと床へ舞い降りた。
己に夢魔の如く人の夢を見る能力が眠っていた事よりも、夢の少女三人の容姿が少女に驚きを齎した。
瞳の色こそ違うが、どの少女も「少女」・・・2年後・4年後・6年後、成長した妹への兄の憧れが生み出した姿だった。


その平坦な胸に、兄の鼻軟骨の感触が残る左拳を当て、漆黒の眼を閉じる。
コスプレイベントなど、二次元文化の浸透ぶりに圧倒されたタイ旅行・・・
ただの風邪なのに毎日お見舞いに来てくれた、ミッション系の病院・・・
ヒロインに自分の名前を付けてくれたRPGを、毎日一緒に楽しんだ事・・・
今までの思い出が、鮮血に舞う夢の少女達に投影されていた事は間違いなかった。


昨夜、少女は兄の部屋で見慣れぬ物体を見つけた事を思い出した。純白の紐式グローブで、10ozと表記があった。
不思議な感触を確かめるように両拳を打ち鳴らすと、残虐な衝撃音に思わず二人して悲鳴を上げてしまった。
脱ごうとする左手首を取った兄の眼は、今思えば異様な程に血走っていた。


跪き左拳を鼻に当てる男。鼻の軟骨が左へ右へ移動する異様な感触に耐え切れず、左拳を戻した捻りで右拳を・・・
撃ち出した直後、咄嗟に男の鼻先で止めた。思えばあのパンチが「右ストレート」だった。
その一撃が、魂に燻っていた誰にも打ち明けられぬ背徳の渇望「女の子に顔面パンチされたい」その想いを爆発させ
男を憧れの非日常の世界へと閉じ込めてしまったのだ。


夢は隠された願望を映す鏡・・・
少女は幾層にも重なる悪夢の中の悪夢で、男を打ち据える少女達と五感を共有していた。
怯えた視線を向けられる優越感が、鼻の骨を殴り潰すおぞましい快感が忘れられない。
拳が疼いている。もっと私のパンチでお兄様の望みを叶えてあげたい・・・心からそう思った。


柔らかな右のグローブが眠る男の顔面の凹凸へ自ら潰れながら食い込み、更に拳と顔面を、心と心を密着させる。
その漆黒の瞳を閉じ、少女は男の精神世界へダイブした。


・・・


光の奔流。一面の純白の世界。
清楚なメイドの少女。慎み深いシスターの少女。そして、静謐な美を纏うエルフの少女・・・
眩い閃光を背に、三人の美少女の姿が重なっていく。
イエロー・マゼンタ・シアンの瞳が、青・緑・赤の光沢あるグローブが溶け合い
漆黒の瞳と、純白に輝くグローブを携えた黒髪の美少女が、男の眼前に降臨した。


「儚、お前が・・・」
「ええ、お兄様・・・」
全てを悟った、兄と妹。二人の間に、これ以上の言葉は要らなかった。


張り詰めた右の10ozが視界を覆い、男の宇宙は純白の光に閉ざされた。


・・・


跳ね起きた弾みで、眼の前のグローブに自ら顔面をめり込ませ呻く男。
少女の右腕に、拳が鼻骨と軋み合う心地良い圧迫感が駆け上ってくる。
男は、食事を持とうとグローブを外しかける少女を抱き締めて制した。込み上げる幸せに、滂沱の涙が溢れ出す。


床に片膝を突き、白い右の10ozへキスをする。
「ずっと、お前のパンチに飢えていた・・・さあ、来い!!!」
少女は唇を真一文字に結び、両拳を打ち鳴らす響きで兄の想いに応えた。


視界の下半分に迫る艶やかな純白の弾丸、鼻が潰れる異音と激痛・・・全てが、愛おしかった。
――どうかこの幸せが、「夢」ではありませんように・・・
そう心から願い・・・男の意識は視界の上半分、漆黒に輝く瞳へと吸い込まれていった。

スレ企画[お題で妄想]その9

[お題で妄想] その9の1 「バニーガール姿のラウンドガールが王者防衛戦に乱入」
「RGが挑戦者の顔面をワンパンで粉砕」「王者がRGにサンドバッグにされる」
「RGが王者の頭をパンチボール代りにたっぷり弄んでからKO」


王者防衛戦前日、男の自室。男と挑戦者の静かな攻防が繰り返し巨大モニタに映し出される。
ガードが堅いし、劣勢と見ればジャッジの死角に上手く入る・・・
男は思う。相変わらず、カラーの自分を白黒コピーしたような選手だと。


嫌だな・・・と、6ラウンド0分21秒KOの勝ち名乗りを受ける自分を見ながら思う。7度目の防衛戦・・・
全ての攻め手を出し尽くした相手は6ラウンド目、どのカメラにも撮られぬよう、一瞬だけ顎のガードを開いた。
雑誌には必殺の流星アッパーと讃えられたが、実際には最後の右はヒットしていたかどうかすら疑わしい。


この防衛戦が決まるまでに、男の陣営は世界中のジムと実に半年近くの交渉を要した。
要するに、「挑んでくれる」相手がいなくなってしまったのだ。


男は、パンチ力もテクニックも中の上という所だったが、徹底した相手選手の映像研究により
攻撃・移動・・・全ての動きの微かな前兆や筋肉の癖を掌握し、決して大きなパンチを貰わない観察眼が強みだった。
ただでさえ選手層の薄い階級だ。男はもう、挑戦の可能性のある上位ランカー全員を知り尽くしてしまっていた。


「最強の孤独」を感じるようになるなんて、思いもしなかった。
何のエキサイトもない、作業的な勝利。こんな事ならボクシングなんかやるんじゃなかったと、男は思う。


落ち込んだ気分を高めるために、一ヶ月前に収録があった放送の録画を見る。
いつも何気なく流しているスポーツニュース内の、「チャンピオン母校に帰る」という小特集だ。
10連続防衛の前にやるなんて、気が早い。ちょっとした皮肉だなと男は思う。


やっぱりうさぎは可愛いよな・・・と、男の心が和む。うさぎと言えばバニーガールだ。
誰が美少女とうさぎを最初に組み合わせたのか知らないが、ノーベル賞をあげたいと男は常日頃思っていた。
ディフェンシブなファイトスタイルだからこそ、バニー姿のラウンドガールは何度も見ることになる。
あの艶姿が、つまらない試合でも男にやる気を与えてくれたのは間違いなかった。


抱き上げたうさぎに頬ずりする自分を見て、嫌な記憶が蘇った。
男は小学校低学年の頃、生き物係で増え過ぎてしまったうさぎを担任の頼みで捨てにいった事があった。
目が覚めるように美しい黄金の体毛を持つ雌で、特に可愛がっていた「みつき」・・・
担任によるくじ引きで「平等に」決められた十「羽」余りの中に、彼女は入っていた。
偽善者めくそったれがと、男はリモコンを叩き付ける。


担任からは、うさぎは「月に帰される」のだと聞かされていた。当時、誰もそれを疑問にすら思わなかった。
何の意味があってこの子達はこんな汚くて狭い檻に閉じ込められているのだろうと、それは疑問に思った。
「みつき」を含めた、生きた十「匹」余りのうさぎを詰めた棺を打ち上げるスイッチの、冷たい感触が蘇る。
大人になって、あの棺に月へ到達する力などない事、宇宙や月でうさぎは生きていけない事を改めて知った。
民間人による打ち上げの成功から数百年、科学の進歩は宇宙ロケットをごく身近な存在にしていた一方で
宇宙ごみ問題を深刻化させていた。その片棒を知らず知らずに担がされていた児童は多い。


再び挑戦者の映像に切り替える。すぐ見飽きて天井モニタを切ると、満天の星空が男を見下ろした。
この開閉式のモニタを兼ねた天窓は、男が王者となった後ファイトマネーを溜めて最初に買ったものだ。
ベガ、デネブ、アルタイル・・・ヘルクレス座もくっきり見える。
こうやって寝そべっていると、星となった先人達と時を超えて会話できるようで、それが男には心地良かった。
「あんた、ヘラクレスにはどうやっても見えないよな・・・俺ならバニーガール座と名付けるのに・・・」
10連続防衛を達成したら、ボクシングをやめて星の世界に進むのも悪くない・・・その思い付きが、男の気を引き締めた。


国内選手としては久々の快挙となる10連続防衛への期待が、ゴールデンタイムでの全国中継を可能にした。
第二の人生へ旅立つ為に、明日はボクサーとしての有終の美を飾ろう・・・男はそう決意し、天窓を閉めた。



[お題で妄想] その9の2


「全国1000万人のボクシングファンの皆様こんばんは
この番組は風が語りかける十万トン饅頭で有名なたいさまハイパーアリーナより実況生中継でお送りしております
今宵はチャンピオンに喫した2度以外KO負けの一切無い鉄壁の防御を誇る挑戦者をリベンジに迎えて
リングという小宇宙空間に闘いのワンダーランドが展開される事は間違いありません
孔子は三十にして立ち実況は三十にしてフリーとなりました闘魂ビンビン物語魔羅勃伊痔郎(まらだち・いぢろう)」
「あ〜、え〜〜〜〜〜解説h」
「解説はカルロス・ボッシュを破った15回の死闘も記憶に新しいご存知炎の鉄人こと一本糞棒一さんでお送りします」
「一本薫です」
「大変失礼しました一本薫棒一(いっぽんがおる・ぼういち)さんでお送りします」


「さて今宵の激闘はラジオでも同時放送しておりますので出来るだけ精っ密にお伝えして参りたいと思います
9連続防衛中のチャンピオンに挑みますはコンドル・マチュピチュまさにその鋼の胸板は筋肉の終着駅」
「でもね〜顔面をこう、っパァーーーーンといったらね〜いくら筋肉あっても意味ないn」
「ペルー生まれのメキシコの星は我々実況の滑舌泣かせのリングネームを持つただならぬ男であります
続いて我らが王者が赤コーナーから颯爽と入場して参りましたさあ後は決戦のゴングを待つばかりで」


「「あーーーっと!」」


「瞼を開けていられない程の閃光が迸るや否や何故か1ラウンド開始前だと言うのにラウンドガールが現れました
ライトアップの故障でしょうか花束贈呈にしては何も持っていませんがどうでしょう一本薫さん」
「ん〜〜、美しい・・・中学生、いや高校生ですかねえ〜〜特にこのふさふさした金ぱt」
「何の情報も入っておりませんしかし何という可憐な少女なのでありましょうか
ショートボブの金髪は歩く度にふさふさふさふさとラジオの前の皆様にこの顔をうずめたくなる柔らかなふさふさ感を
お伝えできないのが残念無念でなりませんがボリューミーに揺れて耳を隠しております耳といえば付け耳です
何か入っているのかまるで生き物の如くぴょこぴょこと動いておりあたかも本物のうさぎさんのようであります」


「あ〜、僕もうさちゃんをね〜飼ってまして〜あの獣臭がたまr」
「私もベーター・エンドルフィンの血中濃度が上がって参りましたああクンカクンカしたい!失礼しました
このむきたてのゆで卵のような艶のある白い肌そして碧い・・・いやライトブルーの艶々レオタードがそのおっぱ・・・
失礼しましたぎりぎりで片手に収まるかどうかの肉質を辛うじて抑え込む様はまさに均整美の表面張力の限界であります」
「ん〜、泣いてるんですかね〜眼が真っ赤っ赤ですg」
「黄金の髪白い耳青の服黒網タイツ白い腕に憂いを帯びた赤い眼・・・まさに男の視覚を翻弄するミュラー・リヤー錯視
それを実現する大胆不敵にして儚げな肢体はボッティチェリのヴィーナスもまっつぁお私はホタテ貝になりたい」


「あ〜〜それに白いのはグローブですかね〜僕m」
「その手には真っ白いグローブがはめられておりますそして向かう先は闘いのリングこれは一体どうした事でしょうか
なんという超挑戦的超々挑発的な出で立ちなのでありましょうか眩しいフラッシュの洪水に妖しく咲き誇る一輪の花
顔面ナスカの地上絵挑戦者コンドルは肩をすくめセニョリータまだ出番は早いぜとでも言いたげにアピールしており」


「「おーーーっと!」」
「「あーっと!なっなっ・・・!!」」


ブツッ


「カメラ!いけますか!?・・・のっぴきならぬ異常事態がアリーナを阿鼻叫喚の渦に包み込んでおります
この魔羅勃も本部席まで飛び散った血の雨に膝が震え戦場カメラマンの皆さんの心持ちを多少は理解できたのでしょうか」
「いや〜『しばらくお待ちください』っていうあの画面、僕好きなんですよね〜アr」
「申し訳ありませんここからはモザイクやピー音をかけて放送せざるを得ない部分もあろうかと思われます
未だ事態の全容は掴めておりませんがコンドルは飛んで行きましたそしてチャンピオンは・・・」
「ん〜、コンドルはもう顎がピーー、再起不能どころかピーーーー、ピーーー」
「早速音声に仕事をさせないで下さいしかし史上例を見ないマッハの攻防が行われた事は確かです
私も肉眼で追えないどころか通常のカメラでさえ少女の動きを捉える事は出来ませんでした
たった今スーパースローカメラの映像が届きました世界最強を争う男達が次々に破壊されたその結果はひとまず忘れ
美少女の真っ赤に染まった右のグローブは何を齎したのかを一つ一つ紐解いて行きましょう」



[お題で妄想] その9の3


「映像はまず血の雨浴びた美少女があーっとこれは何という事か挑戦者の消えた青コーナーから赤コーナーまでを
一歩ですたった一歩で7メートル以上の対角線を斬り裂き男へ肉薄しました信じられません
その網タイツの美脚を左右均等に開き拳は左構えとも右構えともつかぬシンメトリーの拳闘兎妖精
既にインファイトの間合いしかしながらフットワークすらもない魔界のお見合い殺法一本薫さんどう見ますか」
「僕も〜カルロスを破った試合は〜こんなのボクシングじゃないとか言われましたけd」
「その一本糞さんが見てもボクシングとは言えないと」
「一本薫です」


「リプレイですあーっとこれは危ない!着地の衝撃に揺れるその神秘がこぼれ落ちそうで何故かレオタードから離れない!
しかしチャンピオンは乳には目もくれずこれまでのどの防衛戦よりも全毛穴眼球毛細血管野郎であります
この謎の美少女を一瞬の油断もまさしく比喩表現ではない命取りとなる魔物として捉えているのでしょう」
「勝負は眼ですね・・・先に瞬きした方がワンパンチで沈みまs」
「この緊張感スポーツというよりこれはまさに剣豪同士の死に合うと書いて死合であります」


「あっとおーっと!ここからは10000倍スーパースローリプレイでお送りします
ついに均衡が崩れましたなぜ少女はこの状況で瞬きを一回もせずにいられたのでありましょうか」
「え〜、うさちゃんってのは1時間に10回そこらしか瞬きしないそうd」
「人間の話でお願いします」


「さて血化粧の艶姿涙娘はわずか0.12秒の瞬きの隙に右拳を腰溜めに構え
挑戦者をリング下に葬った対人間ロケット砲を装填チャンピオンの眼球が僅かに下へ動きかけますが」
「ん〜、観察眼、洞察力、反応速度・・・これこそ王者の強さd」
「王者はあえて自らの顔面に近い左拳へ視線をキープここです少女の左拳が微かに緊張するのがわかります
恐るべき美少女の巧妙な死の罠王者は真の脅威を左フックと見るや右のボディフックを狙うダッキングあーーっと」


「まさに魔性です真のブラフはアッパーではありませんでした瞬きも許さぬ一刹那の攻防リプレイお願い出来ますか
弾丸と化した少女の柔らかな身体が男の右肘をロープに挟み完全に殺しています左フックの美しき幻影に惑わされた王者
咄嗟に顔面を庇おうとする左顎のグローブその親指部分が摩擦で黒く焦げ今まさにその鼻骨へ破壊の右拳がああっ」
「え〜、右アッパーをブラフと見せかけた左フックを更にブラフと見せかけた、右ですn」


「しかし見た事もない何とも形容し難い・・・何というパンチなのでしょうか」
「あ〜、『ジョルト』ってのがありまして、ふつうハードパンチってのはステップしてから着地の勢いd」
「つまりは着地せず踏み切った勢いを空中でそのまま叩き付けるパンチという事ですね」


「お茶の間の皆様にはやむを得ず全画面モザイクでお送りしておりますが我々にも直視し難い残虐シーンです
リプレイで確認うわっ・・・!ショートレンジからアッパーともフックとも付かぬ白地に血の紅い斑点の右拳が
鼻へグギュウとめり込み・・・既にこの状態で鼻骨が惨たらしくベギゴギと変形し正視に耐えません
まさに顔面を挟み潰す人間スクラップ工場まさか硬いコーナーを使う為にわざとダッキングを誘い・・・私は恐ろしい
画面を覆う赤色はカメラの異常ではなく返り血です鮮血滴るグローブが白目剥く王者の顔面と極限に潰れ合い
鼻と口とをコーナーへ縫い付けると行き場を失い高圧に飛沫く鼻血が口内へはち切れんばかりに充填され
やや縦気味の拳をまっすぐに鼻と眉間だけを覆うように抉ると・・・カメラ止めて下さい
前歯とマウスピースが堰を切った夥しい血の奔流と共に吐き出される様子は放送コードの限界を越えています」


「あ〜・・・ジョルトは空中技だから皆さんは足を据えたパンチに威力が劣ると思うかも知れませんが
この子の跳躍距離は長く、初速と終速の差が激しい。その爆発的な初速を活かすには最高の一げk」
「苛烈なしかし数十分の駆け引きを一瞬に凝縮した素晴らしい攻防でもありました一体何が勝敗を分けたのでしょうか」
「ええ・・・王者に挑戦して来る世界ランカー達は、当然それまでに幾つもの試合を闘っているんですね。
この子の動きは、王者にとって全くの未知n・・・」


「「おーーーーっと!」」
「何という事でしょうか我々がモニタに夢中になっている内にリングにはどす黒い血だまりだけが残され
あの二人は忽然と姿を消してしまいました神隠しでしょうかそれ以前にあの美少女は何者だったのでしょうか
多くの謎を残したままアリーナからお別れしなければなりません皆さんさようなら」



[お題で妄想] その9の4


唇に、熱く柔らかな圧迫感・・・ぼやけた視界が開けると眼球を更に熱い液体、少女の涙が叩いた。
藁のベッドが心地良い。糸を引く唾液は、ニンジンの甘い味がした。
恐怖、高揚感・・・七色の感情が綯交ぜとなった困惑の眼差しが少女を見上げる。


「きみが・・・食べさせてくれたのか」
拳で涙を拭き、笑顔を作る少女。耳が縦に揺れる。
少女が再び覆い被さってくる。男は自らの上半身を僅かに起こし、舌と舌を絡めた。
脳へ甘い官能が、少女の声なき意志が深く注ぎ込まれて行く。


その事実は、男の理解を超えていた。


地球時間で十数年前、ある生物を乗せた一つのロケットが、この星へ偶然に流れ着いた。
星の造り手はその哀れな骸を痛ましく思い、彼らに地球人類を模した姿を与えると、瞬く間に彼らは繁栄した。
赤道ですら地球の2倍の高重力環境下、急速かつ強靭に育った星の民は、溢れる力を持て余し武器を作り戦争を重ねた。
戦火は瞬く間に星全体へ拡がり、何の罪も無い多くの命が失われた。


造り手は、自ら地に放った彼らにより繰り返される殺戮を嘆いた。
そして火器を持てなくする為に現在の彼らの膨らんだ拳を与え、殴り合う事により争いを解決する事を学ばせた。
星から「戦争」という概念は無くなった。


地上から「殺人」が無くなると、彼らの際限のない繁殖本能は
殺される事によって危ういバランスが取れていた食糧資源を急速に枯渇させ始めた。
飢えて死に行く仲間の肉に群がる彼らの姿は、造り手を更に悲しませた。


少女は「エラー」の最初の実験体として造り手自身により生み出された。
口から栄養を摂取するのではなく、その拳から相手の生命を摂るようにプログラムされている。
高重力下で祖先の敏捷性と人間の体格をそのまま組み合わせれば、制御不能の力が生まれてしまう。
それを危惧して造り手は彼らに祖先の身体能力を与えなかった。少女はその両方を兼ね備えていた。


幼き少女に与えられた強大な力と生きる為の闘争心は、生後6ヶ月で星の全ての拳闘士を死骸へ変えた。
少女を恐れた民は暴力を忘れているがゆえに殺す事もできず
飢えた少女を転送装置に乗せ、地球へ向けて追放したのだ。


男は、なぜ少女の眼がこれ程までに赤いのかを理解した。
身体を完全に起こし、胸の中で存分に泣かせる。優しい少女は毎日、独りぼっちで己の殺戮を責めていたに違いなかった。
形の整った乳房が男の胸で柔らかに歪む。美しい金髪を撫でてやると・・・
少女には、耳にあたる部分に耳がなかった。


男の中に燻っていた少女の正体に対する恐怖心を、愛おしさが掻き消していく。肌を合わせて初めてわかった。
熱病のように体温が高い事。碧いレオタードや網タイツのように見える物も、全て皮膚と体毛である事。
その事実と、それを承知で身体を預けてくれた少女への想いが、更に力強く男に少女を抱き締めさせた。


「きみの名前は・・・何というんだ」
首を横に振る少女。
「そうだ・・・『みつき』というのはどうだろう」
頷く真っ赤な瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。その喜びに満ちたあどけない笑みに、男も微笑みを返す。


男はかつて己が味わった孤独感を少女に見出していた。
うさぎは、寂しすぎると死んでしまうというのを聞いたことがある。
この子の孤独さ、寂しさは考え得るどんな事よりも残酷だ。それも永久に続く、理不尽に与えられた孤独だ。
男は、「最強の孤独」などという自分勝手なセンチメントに浸っていた己を恥じた。


少女と対峙した数秒間、男は王者になってから初めて、真のボクシング・・・倒すか倒されるか・・・
十数年のキャリアで培われた眼を一刹那毎に酷使する、凝縮された血沸き肉踊る決闘の醍醐味を満喫し
その瞬間、生まれて初めて鼻をへし折られる激痛と共に、KOされるボクサーの快感に人生最高の絶頂を迎えていた。


「泣く事はない。きみは俺より強かった・・・いい闘いだった」
男は最高に痺れる敗北を与えてくれた少女の為に、何かしてあげたいと心から願い・・・「それ」を思い付いた。


「飢えているんだな・・・」
少女は涙を零すばかりだった。
「きみは優しい。その涙が、何よりの証拠だ・・・恩返しをさせてくれ。必ずやり遂げてみせるから」
男は自らの計画を話した。


少女の拳が、部屋の隅へ向けられる。山積みの藁を手で払うと、歪んだ穴の向こうにはあのアリーナが広がっている。
まるで「アリス」のうさぎ穴のようだと、男は思う。


少女の白い右拳を取り、自らの鼻へ導く。一瞬の逡巡の後、拳は握り締められ男の鼻梁と柔らかに潰れ合った。
「あの思い出の舞台で、必ずまた会おう、『みつき』・・・」
男は、うさぎ穴に飛び込んだ。



[お題で妄想] その9の5


「雲一つない満天の星空の下たいさまハイパーアリーナのリングを漆黒のヴェールが隠しております
その告知から僅かに一週間チケットは当日席のみしかも王者の対戦相手さえも一切不明まさに真夏の夜の夢
謎謎謎の謎尽くしのワンマッチ興行にも関わらず超超超満員のお客さんがおーーっと会場内凄まじいどよめきであります」


「両手首には手錠そして両足首も封印され更に手首と足首を太いチェーンで繋がれ一つのループと化したチャンピオン
世界最強の名を欲しいままにしていた孤高の王者がこのような海老反り姿に堕ちるとは誰が予想し得たでありましょうか
リングの対角線に渡された鋼鉄のパイプに吊り下げられ揺れるその姿はまさに死と再生の象徴ウロボロス
「「おーーーーっと!」」


「閃光と共に『あの少女』がリングに舞い降りました場内のボルテージは最高潮重低音ストンピング攻撃がぎゃあひっ
息が息ができません円盤状の鮮血爆裂音の嵐フックでありましょうか超高速回転する王者はまさに顔面遠心分離器
ただ今スーパースローリプレイが届きました一本糞さんも私も血の圧力に本部席から転げ落ち恐怖と闘っております」


「一本薫です。ああ・・・フックではなく横からのストレートですねこれh」
「目視絶対不可能の人智を超えたスピードです一撃ごとにコマの如くスピンする王者激しく捻れ削れる鋼鉄の鎖
その発狂したトルクをカウンターの爆裂力に変換した拳が王者の頬を波打たせ全身に破壊の波紋を送り込んでおります」
「なんと、凄まじい・・・まず王者に肉薄する一段目のステップを布石とし、踏み締めた勢いそのままに
加速した二段目の超人的跳躍の最高初速で顔面を撃ち抜き、逆サイドへ抜けた反動を更に利用する
ステップ式の強打とジョルトを組み合わせた言わば『ステップジョルト』、人間では不可能でs」
「まさに華麗なる死出の舞踏ダンス・マカブル拳撃の葬送曲そして現在のリング上あーっとこれは」


「人間・・・サンドバッグ・・・!」
「思わず眼を覆わずにはおれぬ残虐であります足を据えたパンチも反応出来ぬ速度と視界を天へ仰がせるに十分な威力
王者自らの血を吸った真紅の拳が砕けた鼻へ正面から爆裂し決して逃れられぬ撲殺連鎖これが人間サンドバッグです」


「ああ・・・左左右左右右左、ジャブもストレートもこの子にはないのです。それどころか左も右もない・・・」
「リプレイが入りましたうわっ・・・鼻血が激突の一瞬にミストと化して全方向へ爆裂四散し潰れた鼻腔からも噴水の如く
私は鼻の奥の奇妙な疼きが抑えられません胸も脚も耳までも王者の返り血に染まり益々その躍動美を加速していく少女
まさにリングに降り立った妖艶なる夢魔しかし王者の魂を焦がす激痛は夢ではありませんこれこそ生き地獄であります
恐らく王者には視界の中で急速に巨大化し暗い激痛と一瞬の窒息感の直後美少女の顔と共に眼下へ消えて行き
再び戻った視界を無情にも弾き飛ばす真っ赤に染まったグローブがあっとここで少女一旦距離を取りました」


「「うわーーーっ!」」
「つっついにジョルトアッパー禁断の対人間ロケット砲発射舞い上がる少女は月面宙返り着地も両足で完璧に決めました
人間サンドバッグの惨劇に破裂音の合間々々の啜り泣きすら聞き取れる程に静まり返っていた場内が
宇宙人の攻撃にでも遭ったかの如く阿鼻叫喚のあひっぶっげほうっ血っち血のシャワー直撃であります何も見えません
まさに我々滝行に来たようであります最初に魅せたステップジョルトの嵐が横への血の華ならば
これは縦への鮮血の仕掛け花火うさぎ花火とでも申しましょうかまるで本部席を狙ったかの如く」


「まっ・・・魔羅勃さん王者の様子g」
「なっな何という事でしょうかリプレイ映像が届きました信じられません壮絶な一撃に王者の身体が頭上のバーを乗り越え
風林火山大車輪状態であります始めは処女の如く後は脱兎の如しとはこの事であります
一体この可憐なる兎娘の何処にこのような残虐狂暴性が隠されているのでしょうか私は恐ろしい
あーっともう一撃更に凄まじい右アッパーが男の顔面を圧縮し顎の骨も歯もメリメリメヂメヂと潰滅していきます
トップロープを越えて舞い上がった美少女は照明に煌めき空中二回捻り妖精の如く返り血を振り撒き舞うその下で
王者は一回転二回転三回転そして哀れ王者四回転半の回転を経て膝をパイプに掛け鮮血を垂れ流すこの姿はまさか・・・!」
「ああ・・・『人間サンドバッグ』だけではないんでしょうね・・・」
「言葉がありません全世界の皆様この王者とこの少女その覚悟の姿最期の晴れ舞台どうか刮目してご覧下さい」



[お題で妄想] その9の6


「軽快にパンチングボールを弾く美少女その一心不乱の姿は一見してジムで汗を流す乙女と変わりません
しかし今破裂音と共に弾けているだろう赤い物体は紛れもなく一個の人間世界王者の顔面
弾けている『だろう』というのは少女の両肘から先の速度を視認する事も困難な為であります
通常カメラの映像をご覧下さいこの赤い光の帯が恐らく少女の拳と王者の顔面ですただ今スロー映像が届きました」


「ああ・・・全ての拳が正確に顔面を・・・」
「スピードバッグという言葉すら追い付かぬその速度はまさに人間ガトリング砲
それも100%の命中率で逆さ吊りの王者の顔面へ殺到しております
もはや王者の頭蓋内の惨状を想像する事すら憚られますこれは人間の可能性その限界への挑戦です」


「・・・拳圧にゆがんで解りにくいですが、王者の顔・・・この表情はまさか・・・
人間、恐怖と苦痛が限界を超え、精神に異常を来すと笑いが出ると・・・」
「いや・・・それは違うと私は思います見て下さい美少女も笑っておりますそれも互いの存在を確認し合う信頼の微笑み」


「ここで少女その真紅に染まった拳を下ろしましたあっと・・・王者のトランクスから・・・」
「ああ、魔羅勃さん・・・これ以上h」
「・・・あの鮮烈な激闘の後我々は最期まで彼らを送り出す事を約束したはずです
私はテレビマンとしての生命などとっくに捨てています・・・一本薫さんもそうでしょう」
「ええ・・・そうでしたね。彼は僕に憧れてこの世界へ足を踏み入れた・・・僕にもその勇姿を見届ける責任がある」


――この世界に入ってから、薄めた人生を送る気はさらさらなかった。
――あの「死合」で、きみは俺にボクシングの醍醐味を、この世に生を受けた意味を教えてくれた。
――俺は最期まで、きみという強者の為に、俺たち二人の望みの為にこの身を捧げたい・・・!


「濃厚な接吻が終わりました・・・二人とも血の涙を流しているかのようです」
「「おーーーーーーっと!!」」


「まっまたしても鮮血のスコールが本部席を襲いしかも何という事でしょうか
余りの回転速度にチェーンが鉄パイプに擦れ火花すら散り鮮血が煙幕と化して立ち昇っております
リプレイです凄まじい脚力にリングに渦が穿たれ少女は月面宙返りそしてあーっと頭上のパイプを蹴り急降下」
「左のチョッピングブロウが顎を・・・王者にとっては真上からのアッパーカットに等s」
「重力すらも操る一撃に仰け反った首筋の皮膚が張り裂け背骨と命が軋む音が聞こえてくるようであーっと!」
「着地の反動を利用した右のアッパーが鼻へ・・・右ストレートに等s」
「少女最強の殺戮技右のジョルトアッパーがストレートと化し王者の鼻骨を粉々に破砕しました
人智を超えた二連撃はその背骨すら砕き尽くし足枷の間に潰れた頭蓋を咥え込ませそして回転が始まりあーーっと!!」


「・・・『ラビットパンチ』ですね・・・」
「一瞬にステップアウトした少女なんと掟破りの後頭部への右ジョルトアッパーであります王者は反動で逆回転
今まさにリング上で『ラビットパンチ』の連打が続いております余りの回転に王者が再び逆回転して見える程です」
「・・・血、血が・・・」
「鮮血の雨が止み・・・そして少女は鉄パイプの反対側その右拳を握り締め高速回転するその顎へ狙いを絞った・・・!」


「・・・最高の、アッパーでしたね・・・」
「ええ・・・リングに散乱する金属片は千切れた鎖そして画面を覆う淡桃色の液体は王者の・・・脳漿です
まさに闘いの会者定離その裂けた唇が最期の言葉を絞り出し瞼が静かに閉じられました
今まさに男は少女から失われました少女は愛する男の骸を抱きかかえ・・・ああこんな涙だけは見たくなかった・・・!」
「「誰かどうかあの子を・・・!うわっ光が・・・おーーーーーーーっと!!!!」」


・・・


「・・・という出来事があって、少女と男を可哀想に思った神様が二人を天に飛ばし、いつまでも殴り合わせたそうです。
なんで『三月(みつき)座』が夏の空にあるのか、みんな、わかったかな〜?」


たいさまシティちびっ子宇宙科学館、満員のプラネタリウム室は静寂に包まれた。
――そりゃそうよね・・・大昔にこの話を考えた人、絶対精神状態おかしいもの。キチ○イよ、キチ○イ・・・


「よっ、クヨクヨすんなって!」
「やんっ・・・このセクハラじじい!」
すれ違いざま長い耳をさすった職員は、顎を撥ね上げられふらつきながらも親指を立てた。
「わわっ、大丈夫ですか・・・?」
「おふっ・・・いいアッパーだ。次も頑張れよ!」


――伝説の拳闘うさぎ、ねえ・・・
新人解説員は微笑みと共に柔らかな両拳を打ち付けると、次の番組の準備へと戻った。

スレ企画[お題で妄想]その8

[お題で妄想] その8の1 「12〜13歳の美少女」「美少女を舐めきった対戦相手」「挑発・言葉責め」「血で染まる」


「深雪(みゆき)!今日も張り切ってトレーニングしようか!」
「変質者なんか、いるわけないって・・・集落の人はみんな顔見知りなんだから・・・」
本当に雪のように白く可憐な指だと、見とれてしまう。大切な妹の拳を守るべくバンテージを厚く巻きつつ、兄は続けた。


「お兄ちゃんがいれば、お前をいつでもどこでも守ってやれる!だけどな、いつもお兄ちゃんがいるわけじゃない。
深雪も、12歳になったんだから護身術のひとつぐらいは身に付けておくべきなんだ!だから、頼む!!」
「もう、馬鹿なんだから・・・今日だけだからね」
「今日だけ」が、あれから毎日続いている。少女は跪く兄の肩を優しく叩くと、装着した10ozの白い紐を咥えて見せた。


強くなりすぎて相手になる奴がいなくなったとは、兄自身の弁だ。
去年の初秋、一村兄妹は山菜を採りに出かけていた。村は、その面積の多くが山野と耕作放棄地で占められている。
熊から妹を守り、ボクサーとしての命である脚に深い傷を負った事が、ボクシングをやめた本当の理由だ。


――「俺が引き付ける!早く逃げろ!絶対に背を向けるな!てめえ、よくも深雪を恐がらせたな・・・許さねえ!!」
小型の熊とは言えど、その一撃は容易く人の骨を断つ。恐怖と闘う兄の鬼気迫る表情が、少女の記憶に深く刻まれた。
好きなボクシングも、命までも投げうって自分を守ってくれた兄の気持ちが、痛いほどに少女の胸へ沁みた。
だからこそ兄の退院後、少女は見るのも嫌だったグローブに渋々ながらも拳を通すようになったのだ。


ここ数日は雪こそないものの、日中も氷点下10度に冷え込む真冬の村。だが、一村家は今日も異様な熱気に包まれていた。


「俺の一村幸一って名前は、一つでも幸せを見つけられるようにと名付けられた。
お兄ちゃんが人生で見つけた唯一の幸せは、お前だ。本当に愛してるよ、深雪・・・」
これはプロポーズの言葉ではない。れっきとした、血の繋がった実の兄妹の「日常会話」だ。
これって軽い拷問だよね・・・と、少女は10ozの拳をぶら下げたまま苦笑いを隠せない。


――俺がお兄ちゃんじゃなかったら、お前のような天使を絶対放っておかない!
――なんでお前は、俺の可愛い可愛い「妹」なんだ!うらむぜ、父ちゃん母ちゃん!
――でも、父ちゃん母ちゃんがいなければ俺も深雪も産まれなかった・・・やっぱりありがとう!
この男を形容するには、「馬鹿」という単語が最も適当だった。
妹とボクシング、それ以外については、辞書に最初に書いてある意味の「馬鹿」
妹とボクシング、特に妹については・・・愛しすぎるがゆえの「馬鹿」だった。


本当に毎日、どの角度から見ても飽きないどころか
実の妹なのに、熱い視線を向ける事に背徳感を感じてしまう程に、少女の美は兄を打ちのめしていた。


少女は、服装の流行に無頓着だった。純白の半袖生地に明るい桃色の衿、大きなリボンのように帯を後ろで縛っている。
その飾らない和装が、かえって少女の素朴な愛らしさを引き立てていた。
腰まで伸びた髪は、陽の当たり方によってどこか青みがかったような幻想的な光沢を湛えていた。
まるで、理想美をそのまま形にした二次元の存在だ。真紅のグローブが、更にその美の破壊力を増す。


一村家に、一対の10oz以外の練習器具などない。構える掌へ、爽やかな刺激が弾ける。
「よし!連打連打!いいぞ!強いぞ深雪!!」
立てた右掌に左のジャブ、伏せた左掌へ右のアッパーカット。
あえて強く押すように受ける事で高らかに破裂音を響かせ、少女に爽快感を、己に痛みと興奮を与えていく。


兄は、少女の凛々しいグローブ姿と心地良い両掌の痺れに心臓が高鳴り、涙が出そうだった。
レーニングは、スタンスとパンチのフォームを確認する3分間を終え、「仕上げ」へと入っていく。
30秒後、今日も兄は込み上げる倒錯した幸せを、じんわりと噛み締めていた。


「お兄ちゃん・・・もう、本当に馬鹿なんだから・・・」
少女は膝枕に兄を抱える。丈の短い着物は、ミニスカートを思わせた。むき出しの太腿へ、兄は火照った顔を埋めた。
ほんのりと甘い、神秘の香り・・・天使の子守唄が、男を安らかなまどろみへと誘っていく。


兄は妹へ無限無償の愛を注ぎ、妹は兄の濃厚過ぎる愛にどこか辟易しながらもそれを優しく包容する・・・
安息に満ちた兄妹のひと時は、永遠に続くかと思われた。



[お題で妄想] その8の2


減りゆく人口は推計で1000人に迫り、人口密度は1km四方で5人にも満たない・・・
少女の言う通り、この険しい山々に隔離された村に、変質者など存在するはずもなかった。
旅立つ者は多くとも、入り来る者など一人もいない。少女の集落を構成する世帯数は、両手の指で数えて足りる。


だが「その男」は、首都からやってきていた。
鉄道・バスを乗り継ぐ事11回。目的は、美少女・一村深雪・・・それだけだった。


少女の通う小中学校は、開校111周年を数える歴史ある学校だ。全校生徒は11名。小学生が7名、中学生が4名。
修学旅行・・・5年男子2名、6年女子1名の生徒達は、初めて見る大都会の幻想に酔いしれていた。
とある巨大動物園。男は動物を見に来ていたのではない。動物を見る少女達を視姦する事が、何よりの愉悦だった。


5年生の2名は既に慣れていたが、少女の瑞々しい愛らしさは、どの動物よりも男達の眼を釘付けにした。
すれ違ったその一瞬、男のギラついた視線はその名札をしっかりと捉えていた。
「・・・いちむら・みゆき・・・」
帰っても、少女の眩しい太腿が、青く輝く流麗な髪が、男の眼球に焼き付いて離れなかった。
21世紀を迎えて数年、進歩した携帯電話には立派なカメラ機能も付き始めた。なぜ撮っておかなかったのか・・・
男は深く後悔し、日ごとに募るばかりの歪んだ恋心はついに最後の良心を吹き飛ばし、この旅を決断させたのだ。


「・・・お兄ちゃん・・・私、お風呂に入りたいんだけど・・・」
兄は温かく柔らかな桃源郷から、あわてて飛び起きた。
「ふはっ!・・・すまん深雪!いい汗をかいたな!じゃあ今日こそはお兄ちゃんと一緒にお風呂で・・・」
パンッ、と音を立て、少女の軽い左ジャブが右頬へ弾ける。
「ぐふっ、やっぱりダメか・・・」
兄は本日二度目の、幸せなノックアウト負けを喫した。


翌日。村に一つしかないスーパーへ歩いて行ける事は、一村家の特権だった。
「遅くから吹雪らしいし、お料理の材料だから・・・私が行ってくるね」
「待てい深雪!灯油も買うんだろ?ならばお兄ちゃんに任せろ!」
「だーめ。この前もネギとウド間違えたでしょ?馬鹿のお兄ちゃんに任せたら変なもの買ってきちゃうし、それに・・・」
「それに?」
「それに・・・脚もまだ治りきってないしね」


少女は雪国育ちで寒さには慣れているとは言え、白い腕と太腿が露出したこの格好で外を出歩く訳にはいかない。
やはり白と桃色で統一されたフード付きのコートを羽織り、氷に滑らぬよう底が工夫された青い雪靴を履く。
そして、その手には兄の真心がこもった、明るい桃色のミトン式手袋がはめられた。


大きな左の掌が下に向けられる。少女はおずおずと右拳を上へ向け合わせる。
「気を付けろよ」「変態にはアッパーだからな」と、兄は妹の外出の度に口を酸っぱくしていたのだが
それが度を過ぎ妹に説教され、思わず涙してしまったことがある。
馬鹿で、しつこくて・・・本当にどうしようもない兄だった。だが、少女には兄の気持ちがわかっていた。
少女は本当に自分の事を心配してくれている兄の気持ちを汲んで、このような挨拶の決まりを作る事で
ボクシングの技を、アッパーカットを忘れないでくれという兄の想いを己の拳へ確認させているのだ。


幸い、雪はまだ降っていない。灯油用に、一番大きく丈夫なソリを選ぶ。
――行きは灯油もないし、近道の林道にしようかな・・・


少女が兄に買い物を譲らなかった本当の理由は・・・翌々日に兄の誕生日が控えていたからだ。
ケーキの材料を、こっそりと買うつもりでいたのだ。
――うふふっ・・・いきなりケーキを出したら、お兄ちゃん心臓発作で倒れちゃうかも・・・


男は前日からこの村へ入り、少女の家とスーパーの位置、そして周辺の地理を調べ尽くしていた。
地図上の直線距離では近そうに見えるが、実際は山を「Ω」の字に迂回するため、舗装道を行けば二倍近い遠回りになる。
荷物のない往路は、狭く人目につかぬ林道を通るはずに違いなかった。


閉鎖中の公園、深い雪から顔を出した唯一の遊具、ジャングルジムの頂上から望遠鏡で一村家の様子をうかがう男。
――やっと、出てきたな!
男は急いで林道の出口へと走り出した。少女に先に林道を越されては、全ての計画が台無しだ。
凍った路面に何度も転び寒さに冷え切った身体とは裏腹に、下半身は灼熱の如く怒張し、湯気すら立てていた。


少女は自然と家族を愛する優しい性格の、その類稀なる美しさを除けばごく普通の少女だった。
殴り合いなどした事もないし、これからの人生も、全く流血沙汰とは無縁の生活を送るつもりだった。
この男と出会うまでは。



[お題で妄想] その8の3


――硬い根っこが雪に埋まってるから、気をつけないと・・・
仄暗い林道に夕陽が射し込んでいる。雪に反射した木漏れ陽が、神秘的に美少女の姿を照らし出す。
近道とは言え、片道60分の道のりが35分になるというだけだ。高齢化が止まらないこの集落で
高低差が激しく複雑に曲がりくねるこの木々の隙間を「道」として捉えている住民は、一村兄妹だけだった。


林道も三分の二を過ぎた頃、見知らぬ男が小走りに向かってくるのが見えた。
――郵便局のドライバーさん・・・じゃない。新聞配達のおじさんは知ってるし・・・


少女は違和感を感じながらも、異様に息の乱れたその様子に、ソリを木に立て掛け話しかけた。
「あの・・・大丈夫ですか?胸が苦しそう・・・きゃあっ!」
男はジッパーにしがみ付くかの如く一気に引き下ろすと、少女のコートを力任せに脱がせ、自らの後方へ投げ捨てた。
「何、するんですかっ・・・!?お巡りさんを呼び・・・あっ!」
携帯電話は、コートの胸ポケットに入っていた。


男は少女の腰の細さ、余りの身体の柔らかさに言葉を失い、野獣の如く首筋の匂いを貪り嗅いだ。
火のように熱く白い息が顔にかかり、ひび割れた醜い唇が天使の顔へ迫り来る。
そして、着物の脚と脚の間へ男の左手が伸びたその瞬間


――助けて、お兄ちゃん・・・!
――「深雪!・・・アゴを、突き上げろ!」


「いやっ・・・やめて下さい!!!」
バチッ・・・!
無意識の反射だった。密着の間合いを垂直に斬り裂き、男の前髪をかすめた桃色の弾丸。
静電気でも走ったのだろうか、男はその右拳に思わず尻餅をつき、頭を振った。


――「無理なくパンチが打てて、すぐ距離を取れる体勢をキープするんだ。脚はこう、拳の位置は・・・」
少女は兄の言葉を思い出す前に、拳を構えていた。毎日叩き込まれていた習慣が、そうさせたのだ。
男は雪を払って立つと、少女の凛々しいファイティングポーズを眺め回した。体格差、年齢差・・・そして性差。
「面白えじゃねえか・・・よお、『みゆきちゃん』。クヒヒ・・・手袋もまるでボクシンググローブみてえだなあ。
俺をノックアウトしてくれるってのかい?・・・逃げねえのなら好都合だ。しゃぶりつくしてやるぜ!」
男は少女を完全に舐めきっていた。大人の男の力で軽く押し倒せると、当然の如く思っていた。


見知らぬ男が自分の名を知っていて、からだを狙っている・・・込み上げる恐怖に、少女の長く美しい脚が震えた。
――お兄ちゃん、どうしたらいいの・・・?
兄が愛する妹へ教えたのは、あくまでボクシングをベースとした対変質者用の護身術だ。兄の言葉が脳裡に蘇る。
――「逃げろ!だが、立ってる相手に絶対に背を向けるな!小柄なお前は、大人の男に追いつかれてしまう!
――打て!打つんだ深雪!顔面を思い切り打ちのめした後、倒れた隙に思い切り走って助けを呼べ!」


二つの白い息の沈黙。身体の内からわき上がる熱い火照りに、露出した腕にも太腿にも、少しも寒さを感じない。
その正体が何なのか・・・初めて兄以外の人間へ拳を構えた少女には、未だにわからなかった。


――「まずはジャブで距離を測れ!軽いパンチとは言われるが、鼻に決めれば素人は痛みと涙で動きが止まる!」
両腕で抱き締めようとする男。しかし出足が雪につまづいたのか、棒が折れるようにグニャリともつれた。
思わず前につんのめったその鼻を、少女の左ジャブが鋭く打ち上げた。
ぱきっ、とクリスピーな感触が、少女の拳に伝わる。紛れもない、おぞましい「暴力」の味だ。


男は鼻っ柱につぅんと弾けた痛みと、美少女の思わぬ抵抗に驚愕するが、それが却って情欲を沸騰させた。
狩りは獲物が抵抗するから面白い。組み伏せてしまえばこちらのものだと、意気込んで突進する男。
だが雪に足を取られた訳でもないのに、またしても何故か、膝が動かなかった。上半身だけが、倒れ込む。


――「距離を制する者が勝者になるんだ!俺の手袋で打てば、お前の拳は傷つかない。鼻を折るつもりで打て!」
幾度となく「仕上げ」を飾った「ダブル」・・・左ジャブの二連発が特訓通りに男の鼻をクリーンヒットした。
残酷な異変が、起こり始めた。右の鼻が突然詰まり、左でしか息が吸えない。いらついて思い切り右鼻をすすると
「ゴホッ!!」
喉に鉄錆の味が逆流し、男はむせ返った。少女の白い脚に、薄い血痕が点々と飛び散る。


薄い左の手袋、中指の関節にあたる部分に小さな紅の染みができている。
――ここで、この人を、殴ったんだ・・・
痛痒いような不思議な痺れが、いつまでも消えない。生まれ出た激情は、その小さな胸の中で解放の時を待っていた。



[お題で妄想] その8の4


兄手作りの、満12歳の誕生日プレゼント。それは誰が作った物よりも妹の手にフィットし、抜群の断熱性を発揮した。
少女も、手袋をしたまま親指で携帯電話を扱える操作性と、手首を覆うモコモコの可愛らしさを気に入っていた。
0ozのグローブを意識し、兄が無い知恵を絞って妹の為に考え抜き、指を針傷だらけにして作ったものだ。
もしもの時にも使えるようにと、ナックルの部分は硬い布地を二重に仕上げてある。一見して柔らかなシルエットだが
少女の打撃への躊躇を払拭し、被撃者の顔面を確実に破壊する・・・バンテージに近い、言わば「凶器」だ。


1発ならば、可愛い抵抗として許せた。だが3発も一方的に顔面を打たれては、まるで人間サンドバッグだ。
男は恥辱に我を忘れていた。少女のからだを掴むはずの両腕が空を切り交差し、またしても顔面が露わになる。
何故か、目測自体が手前に50cm以上も外れていた。長髪が風に舞い、桃色の衝撃が視界の下半分へ迫り来る。


悶え転がる兄の姿が蘇る。少女は柔らかな唇を噛み締め、決意と共に男の鼻を右拳で捉えると、撃ち抜いた。
――「顔面へのパンチは、急所を捉えれば深雪が打った10倍の苦痛を与える!ハァッハァ・・・俺でさえ10oz越しに
――鼻血を噴くんだからな・・・あの手袋で思い切りストレートを叩き込めば、相手は鼻が折れ血の海に沈む!」


拳が骨まで達したのが、手応えでわかった。男の鼻が、ぶじゅう、と潰れる感覚が拳へ伝わる。
既にダブルジャブで鼻腔に溜まっていた鮮血が押し出され、天を仰いだ右鼻から勢い良く破裂するかの如く噴き出した。
首が戻ると、直撃を受けた左の穴からもどす黒い血が止め処なく溢れ出し、男の顎からボタボタと垂れ落ちる。


「いっ、いやっ・・・!大丈夫っ、ですか・・・!?お、お鼻が・・・!」
「はがァ・・・!もぶェはがっがァ・・・!!」
こんな残酷な光景、どんな映画でも見た事がなかった。少女を襲う恐怖は、見知らぬ変質者への恐怖ではなく
12年間己の拳に封印され、今まさに開放されんとしている未知なる力への恐怖に変わっていく。


正視に堪えず、思わず眼をつむりそうになる少女に、兄の言葉が蘇る。
――「絶対に背を向けるな!どんな時でも相手を見据えろ!」
男は狂乱し両拳を振り下ろそうとした。だが、拳を持ち上げようとする動き自体が、滑稽な程に遅れていた。
見開かれた少女の眼には、男の両腕が顔面を通過するのを待つ余裕すらあった。


「ワンツーパンチ」・・・その破裂音は、少女の耳には「ぱんっばちぃっ」と、男の脳には「ごっぼぐぅっ」と響いた
少女の眼に、何かが入った。雪ではない。返り血だった。
少女は唇を艶かしく舐め、明るいピンクの手袋に幾つも破裂した紅色へその舌を這わせると、味を比べた。


少女は、この瞬間に己自身がどれだけ残虐で妖艶な笑みを浮かべたか、意識していなかった。
両鼻が血で塞がれ、巨木を背に息を切らせている男。鼻と少女の肩が、同じ高さに並んだ。
――「連打には緩急を付けるんだ。深雪の武器は鼻への右ストレートだ!右を思い切り打ち抜け!」
――うん・・・わかってる・・・お兄ちゃん・・・
淡桃色の弾丸は一撃ごとに鮮血の紅に染まりつつ男の顔面へと殺到し、男は生けるサンドバッグと化した。


左ジャブ鼻、左ジャブ鼻左ジャブ鼻、右ストレート鼻、左ジャブ鼻右ストレート鼻
左ジャブ鼻右ストレート鼻左ジャブ鼻右ストレート鼻左ジャブ鼻左ジャブ鼻右ストレート鼻右ストレート鼻右ストレート鼻


哀れな男はこれだけ一方的に少女のパンチを顔面へ浴び続け、ぐったりと腰を落としても
なお美少女を、全身をほのかな紅に染めた雪の天使を舐めきった態度を崩していなかった。
己の肉体が精神から乖離し続けている冷厳な事実さえ、認めようとはしなかった。


――どんな女もこいつを見れば泣いて俺に服従する・・・男の強さにひれ伏すがいい!
大木を後頭部と背中で登るように立ち上がり、ついにナイフを取り出す男。その顔は鼻血と涙に濡れている。


見せ付けるように右手で弄ぶが、明らかに指がもつれており、投げ上げた柄ではなく刃を掴んでしまう。
少女は一瞬の隙を見逃さなかった。紅に染まりつつある右拳が視界を覆い尽くすかの如く男の鼻梁を上から圧し潰した。


特別に少女の反射神経や運動能力が優れていたわけではない。全てを決めたのは、最初の一撃だった。
「ピンポイント・ブロー」・・・男の顎先を偶然にかすめた右のアッパーカットが、脳へ致命的なダメージを与えたのだ。
そして男の行動全てが自己の意志から遅れ始め・・・頭蓋へ弾ける少女の拳が、そのタイムラグを更に拡げていった。



[お題で妄想] その8の5


硬い右拳と大木に顔面を圧搾されながら、男は激痛の暗黒の中、苦し紛れに刃で掴んだナイフを投げ付けた。
――「右ストレートは諸刃の剣だ。絶対に左拳のガードを下げるな!」


この手袋と兄の教え、どちらかでも欠けていれば手首か喉を裂かれていた。削ぎ取られ、綿雪のように散った生地。
白いモコモコの内側には、妹の手首を守る為のステンレス糸が編み込まれていたのだ。
少女の清潔な歯が、ギヂギヂと軋んだ。刃を向けられた事よりも、兄の心がこもった手袋を切られた事に、憤激していた。
そして少女は怒れば怒る程に、氷の刃の如く冷徹に精神が研ぎ澄まされて行くタイプだった。


懐から二本目のナイフを出し、全身全霊を込めて背中で大木を蹴り、倒れ込むように右手で突き掛かる男。
明確に向けられた「殺意」・・・動作は緩慢だが、少女の骨を容易く断つ程の体重が載っている。
貞操の危機は生命の危機へと変わり、先週教えられたばかりの、あるレッスンが脳裡に蘇ると同時に行動へ移された。


――「お兄ちゃんも、これだけはマスターできなかった・・・お前に教則ビデオを見せるしかないなんて、恥ずかしいよ」
「カウンター・パンチ」・・・相手の右を沈み込むように躱し、伸び上がる膝のバネを活かした右のストレートだ。


これまでと違っていたのは、パンチの質・・・少女の「自制心」の有無だった。
インパクトの瞬間、その凶悪な威力は壮絶なる反作用に示された。柔らかな長髪が全円に青いオーロラの如く拡がり
右拳と顔面の僅かな隙間から迸った鮮血を受け止め、この世ならざる魔性の艶を魅せ付けた。
今までは、たとえ相手が犯罪者であっても必要以上に叩きのめさぬよう、無意識のブレーキがかかっていた。
怒りの鍵が、少女の狂気を封印していた禁断の箱を開いてしまったのだ。


機関銃を思わせる左ジャブの連射が砕けた男の鼻を正確に捉え続け、再び大木へ縫い付ける。
10発、20発・・・男の顔面を貫通して共鳴する脅威は枝先にまで伝わり、積もった雪が舞い散った。
自らの力への恐怖は、雪に混じって迸る返り血に洗い流され・・・いつしか残酷な優越感に変わっていた。


伸ばされた右手は、少女への「怯え」・・・男の生存本能そのものだった。
真紅に染め抜かれた左拳で思い切り撃ち払い、見上げたその顔面へ、少女は非情の右拳を打ち下ろした。
直接教わってはいないが、兄がKO勝利を得た唯一の試合のビデオを何度となく見せられ覚えていた
「パアリング」というボクシングの防御テクニックだ。
男は雪の下に隠れていた木の根に後頭部を強打し、動かなくなった。


少女のパンチが男を一方的に翻弄できた理由は
兄の過剰とも言えるボクシングの熱血指導にあった。その方法は、どのような名トレーナーにも真似が出来なかった。
「いいぞ!ナイスパンチ深雪!じゃあ『仕上げ』は・・・サッ、サンドバッグだ!」
ジムならば常識的な台詞だが、ごく平凡な中流家庭の一村家にサンドバッグなどはない。
この台詞を聞く度、美少女は身の毛もよだつ恐怖に震えた。即ち、兄の言いたい事は
パンチを教えた仕上げとして、己の顔面をそのグローブで打ち抜けという事なのだ。


確かに、兄の教えるパンチはいつ襲い来るか知れぬ変質者を打ち砕くためのものだ。
実戦に近い練習は、理に適っていた。だが、その方法が優しい少女には余りにも残酷すぎた。
兄の、鼻先を、攻撃目標を差す指が小刻みに震えている。当事者すらも、少女のパンチに、恐怖しているのだ。
「おっ俺の、顔面をっ!ハァッハァハァ・・・変質者だと思って・・・叩きのめすんだ!!」


余りにもおぞましい、10oz越しに実の兄の鼻軟骨がグニャリと歪む感触。
最初のレッスン「左ジャブ」の「サンドバッグ」特訓は、まず両手で少女の10ozを取り
自らの鼻へナックルを押し当てながら、拳と鼻の骨が押し合い、鼻中隔の変形する感触に慣れさせる事から始まった。
次第にスピードを早くする事により、7日目にして初めて「パンチ」と呼べる左ジャブが男の顔面を弾いた。
「右ストレート」の「サンドバッグ」は、特に凄惨を極めた。兄は、指の間から垂れる鮮血を妹に見せぬべく床に伏せ
妹は、兄の鼻を撃ち抜いてしまった罪悪感にその顔を覗き込むしかなかった。


かくも恐ろしく積まされた「人を殴る経験」が、実際に身を守る段になって妹の精神的財産となった。
実の兄が毎晩自分のパンチで脂汗を流し鼻を押さえて苦悶するのが、痛々しくてたまらなかったが
その酸鼻たる有様が、少女へ知らず知らずの内に「自分のパンチでも人を壊せる」という自信を与えていた。
そして的確なダメージの積み重ねが男に刃を出させ、図らずも少女の内に眠る獣を目覚めさせてしまったのだ。



[お題で妄想] その8の6


責める言葉の口数は少なかったが、どの一言も、幼さ故の無慈悲な残虐に満ちていた。
虫も殺さぬような清楚で優美な容姿と滴る返り血のギャップが、ますます男の心を引き裂いていく。


「悔しいんですか?」
喉元へ切先を突きつけ、少女はいった。上着を剥ぎ取られ大木を背にした男。震える血塗れの頬を、涙が伝った。
「死にたいんですか?」
ナイフ三本、スタンガン一個、携帯電話・・・全ての武器と希望を奪われた男は、返事の代わりに絶望の嗚咽を漏らした。
「そんなに悔しいのなら自分で死ねばいいんじゃないですか?ほら、あと少しだけ前に・・・首だけなら動かせますよね」


少女は、ナイフを突き刺した。男の左耳の横で、大木に咥え込まれた刃がぶるぶると揺れている。
「死ぬ勇気もない、意気地無し・・・じゃあ、『こっち』が好きなんですね」
紅と桃色の手袋を思い切り打ち合わせる。そのおぞましい爆裂音に、「以前の少女」ならば自ら恐怖したはずだった。
奪われたコートの中から、携帯電話のみを回収する。燃え盛る狂気の炎が、少女に防寒着すら必要とさせなかった。


「『お手柄女児(12)、兄譲りのボクシングで変態刃物男を壮絶ノックアウト』・・・新聞が楽しみですね。
・・・私があなたなら、恥ずかしくて生きていけないと思います」
逆らえなかった。男は恐怖に支配されるがまま美少女に手を引かれ、眩む意識の中、林道を引き返した。
足が異様に重く、雪に精気を吸い取られていくようだった。林道を抜けた直後、男は力尽き大の字に転がった。


灯油の代わりに男を載せ、長い縛り紐で両腕までも後ろ手に拘束する。
少女はスーパーの方角に背を向け、村唯一の交番へソリを引き始めた。夕陽は沈み始めていた。


それから10分・・・街灯が二人を照らし出すと同時に、突然ソリは停止した。
「今から質問をします。よく考えて二つのうち、一つだけを選んで下さいね」
振り返る少女の、屠殺を待つ豚を見下ろすような冷たい視線に、男はガクガクと頷いた。
「交番さんに突き出されたいですか?」
男は首を横に振った。
「私のパンチが恋しいんですか?」
男は首を更に激しく横に振った。
「失格。二つに一つと言いましたよね。たぁっ・・・」
白く甘い吐息を吹き掛けた左拳を握り締めると、飽和状態にまで染み込んだ男の血が、ボタボタとソリへ垂れ落ちた。
「・・・ぷりと、殴り潰してから、交番さんに突き出してあげます」


それから更に10分・・・凍り付いた摩擦の少ない路面とは言え、灯油缶より重い男の体を引くのに、少女は飽きてきた。
男の足を外し、歩かせようとするが・・・すぐに膝を突いてしまう。少女は再び男をソリに正座させ、更に厳重に縛った。
「もう自分で歩く力も残っていないようですね。今日の夜は吹雪・・・放置すれば、あなたは確実に凍え死にます」


――「フックは俺も苦手だし、身長差を考えると深雪には勧められない。一応、覚えておいてくれ」
――そう、腰を斬るように回して、肘を固定したまま・・・
左拳が鮮血を振り飛ばし空を斬るたび、異様に丈の短い着物が風圧でめくれ上がり、男は見上げる神秘に圧倒された。


「可哀想だから交番さんで暖めてあげようと思ったのに・・・人格破綻者さんの考える事は、理解に苦しみます、ねっ!」
少女の「左フック」は目測を誤ったのか、あろうことか男の砕けた鼻だけを真横から圧し潰した。
鼻腔内で固まっていた血の氷がズタズタに肉を裂く刃と化し、体内から迸り出た熱い鮮血をビチビチと吸いながら
振り抜いた全身の反動を活かした「右フック」が、今度は狙い通りに男の顎を撃ち抜いた。
下り坂の歩道を激しくスピンしつつ、鼻血を撒き散らして滑走していく男。
凍った路面に残された紅の幾何学的曲線は、理性の光を失った美少女の眼を大いに楽しませた。


「Ω」の字、南東の自宅から真西に林道を抜け、南西のスーパーを背にして円形の頂点までやってきた少女と男。
ここから北へ45分程歩けば、交番に着く。5分程歩いた所で、少女の足取りが止まった。


放置された公園は、「冬季閉鎖中」の立て札すら積雪に埋もれていた。身の丈をゆうに越す雪の壁へ、ソリを立てかける。
「誰か」が「何らかの目的」の為に雪を除けたのか、入り口近くの滑り台の階段を登ると容易にその上部へ到達できた。
殆どの遊具が埋もれた、静寂の白。何故、少女はこのような場所に、男を引き上げたのだろうか。


閉鎖的な、何の娯楽施設もない山村の中、無意識に鬱屈していたどす黒い欲望。
――ヒトって、どんなふうに壊れるのかな――
幼き氷の天使、その胸に秘められた無邪気な残虐性・・・今まさに、雪の中にその真紅の花が開こうとしていた。



[お題で妄想] その8の7


「アッパーカット・・・」
少女は僅かに桃色を残す右拳を握り締め、最後のパンチが残っていた事を思い出し、うわ言のように呟いた。
林道で男の顎をかすめ脳を蝕んだ無意識の一閃を、少女は攻撃として認識していなかったのだ。


――「アッパーカットはセルフディフェンスには一番のパンチ・・・お前の力でも、大人の男を一発で倒せる必殺技だ!」
頼むからこれだけでも覚えてくれと、脚へすがり付く兄の姿を今でも覚えている。
――「こう、抱き付いてくる相手の顎へ・・・あぶっ!・・・そうだ!フォームはそれでいい!
――もっと膝を使って、鋭く・・・ぶぐふっ!はァッ、ふゥ・・・そっ、そんなんじゃ相手は、手を離して・・・!
――・・・がほおぅっ!おぶぅっ!・・・ひっ、ひいっ・・・今日はもう、やめて・・・!ぶっふゥ・・・」


――サンドバッグで私の右ストレートをどんなに顔に受けても、やせ我慢していい気持ちだとか言ってたお兄ちゃん・・・
――ぐったり倒れてきたお兄ちゃんの顎を、つい撃ち抜いちゃって・・・失神して、大騒ぎになっちゃったんだっけ・・・
切り裂かれた左の手袋に、愛する兄との楽しい思い出を汚された憎悪が溢れ出し、直ちにその激情は行動に移された。


「発射」された男は、空中で海老反りに硬直し、頭頂部から雪へと突き刺さった。
滑り台の頂点を足場に、膝の爆発力を意識した芸術的な一撃を祝福するように、鮮血の雨に混じって白い粒が降り注いだ。
それは雪ではなく、歯だった。柔らかな唇が、淫らに歪んだ。二度と再生しない身体の一部分を奪ったという事実が
魂の奥底に僅かだけ残っていた良心の呵責を完全に取り除き、美少女の拳を純化させた。


「死にました?」
額を踏み躙られ、男は血の泡を吹き返し言葉にならぬ命乞いの視線を向けた。月明かりに銀歯が見えた。
「まあ痛そう・・・虫歯の治療をしてあげますね。あいにく麻酔は切らしてまして」
踏み締めた足が僅かに雪に沈み込み、右拳の軌道が狂い・・・男の砕け切った鼻梁を垂直に猛爆した。
夥しい鮮血と断末魔の絶叫が、寒村の死角に爆裂した。少女は迸る鮮血でうがいをすると男の額へ吐き掛け
マウスピース代わりのつもりなのか、掘り起こした白雪を男の口内一杯に詰め込み、左手に携帯電話を構えた。


正確性を意識した右アッパーカットの連打・・・目標は男の鼻だ。地上に、地獄が現出した。
13発目の右拳で赤黒く挫滅した鼻を塞ぐと、喉へ逆流した鮮血が雪に混ざり合い、口から溢れ出す。
「うふふっ・・・氷イチゴですね」
紅く染まった画面。13枚の連写で見せ付けられた己の壊れ行く姿は、男の自我すら崩壊させるに充分過ぎた。


<何でもしますから許してくださいお願いします>
鮮やかな指裁きで、13枚目の「氷イチゴ」の画像にタイトルが付けられた。
男は十数秒も掛けて頷き・・・幼き死の天使、その狂気の眼光が雪原を焼き払った。
足跡を辿り、行き着いたジャングルジム。登ってみると、一村家の灯が見える。足跡の主への疑念は、確信へと変わった。


雪の下に少女を支えるべき確固たる足場が浅く隠れ、雪の上に男が罪を償うべき磔台が露出していた。
「何でもするって、頷きましたよね・・・それでは、噛んで下さい」


鉄骨の内側へ男を跪かせるように押し込み、鉄棒を口に咥えさせる。
足場から力を得た真なる右のアッパーカットが、男の顎へ鼻へ、交互に炸裂し続けた。
鼻へのアッパーカットの齎す激痛が神経系を狂わせ全身の血流を頭部へ集中させ
顎へのアッパーカットにより迸る鮮血の飛沫に骨と肉片が混じり地獄の一切を狂気の色彩に塗り潰す。
男も雪も少女の拳も顔も全てが完き真紅に染め抜かれ、反射した街灯の光が殺戮の天使の姿を神々しく照らし出した。


鮮血と歯の織り成す爆風が、やがて紅色だけとなり、その勢いも次第に弱まっていく。
もはや、撃ち分ける必要はなくなっていた。顎を正確に撃つ拳は、砕けた顎を貫通して鼻を潰すようになっていたからだ。


男は鉄の棒を咥えたまま冷たくなり始め、ついに、あれだけ苦悶していた鼻への拳撃にも、何の反応も示さなくなった。
――もう、壊れちゃった――
男のズボンから、白い煙が立ち昇った。それは、最期の瞬間に子孫を遺そうとする、原始生命の足掻きに他ならなかった。


――つまんない――


<着信:お兄ちゃん>
血に凍り付いていた携帯電話が、鳴り始めた。


「もしもし、お兄ちゃん?・・・うん。遅くなってごめんね・・・あのね、お兄ちゃん・・・二日早いけど・・・
お兄ちゃんにプレゼントしたい物があるの・・・これから帰るから・・・『サンドバッグ』の用意をしておいてね」

スレ企画[お題で妄想]その7

[お題で妄想] その7の1 「中学生くらいのボクっ娘」「化け物/妖怪退治」
メリケンサック/カイザーナックル」「攻撃するたびに揺れる髪/ツインテール」 


螺旋に舞う濃紺のプリーツスカート、同じく濃紺と純白を基調とした半袖のセーラー服
そしてツインテールに結んだ艶めく黒の長髪が、生温かく吹き付ける澱んだ風になびいている。
百年の昔から変わらぬ、清純にして無垢なる女学生・・・
現代でも充分に通用する「美少女」のイコンその物のシルエットが、満月の光に浮かび上がる。
その少年を思わせる一人称と中性的な顔立ちが、対峙する全ての男を魅了し
得体の知れぬ不安に満ちた、それでいて決して視線を逸らす事の出来ぬ、魔性の憧憬を与えずにはおかない。


西暦2113年春、この国では年が変わると共に、突如として異形の者達が出没するようになった。
人々は彼らを「妖怪」と呼び、恐れた。政府は全国から年齢性別にかかわらず霊能力に優れた者を集め
対妖怪特殊部隊 "Reinforced Infantry as Opposed to Strangers" 通称、RIOSを結成していた。


博物館から借りてきたような、アンティークを感じさせる折り畳み式デザインの通信端末を開く少女。
携帯電話・・・21世紀の初頭まで、国民に広く普及していたとされるものだ。
勿論、中身は通常の端末と変わらない。少女のマニアックとさえ言える懐古趣味の表れだった。


「あーあー、マイクのテスト中・・・こちら、ライオス第五小隊第六分隊第四班、美那
FORCE R-TYPE IIを要請する。座標、333434・・・」
岩陰に隠れ、端末を耳に当てる少女は、その妖しい美貌を除けば、普通の女子中学生と何ら変わらない。


少女は慣れた手つきで端末を折り畳むと、シニカルな笑みを浮かべ、遠く蠢く今宵の標的へ視線を戻した。
――ふふ・・・下らないとは思わない?こんな、子供じみた戦争ごっこ・・・
――第四班も第六分隊も第五小隊でさえ、ボク一人しかいないってのにさ・・・


対妖怪捕縛用レーザーフィールド "a Field Optimized to Restrict Cruel Enemies" 通称、FORCE。
工業用レーザーを基にした兵器で、目標物を必要以上に傷つけぬよう、過剰な放熱を抑え反発力を発揮する。
少女はRIOS特S級の権限により、自身の戦闘スタイルに合わせたフィールドを形成できる。
R-TYPEとは、正方形の領域を4本のレーザーが囲む、言わばリング式の檻であり
標的のサイズにより、R-TYPER-TYPE II、R-TYPE IIIと分かれる。


通常のFORCEは、妖怪を狭く囲み、外側から麻酔弾などで捕獲する為のものだが・・・
「ていやぁっ!」
勇ましい掛け声と共に、赤白青白のレーザーフィールドを飛び越し「リングイン」する少女。
少女の戦闘スタイルは、自らも檻の中へ入り、標的をその白銀の拳で叩き伏せる「ボクシング」だった。
FORCEが照明代わりとなり、檻に閉じ込められた妖怪と少女の姿を眩しく照らし出す。


――カバ?キリン? 違う。赤いし・・・うん。キミはかまぼこクン・・・そうしよう。
――「ぼこ」って語感が、たまらないなあ・・・皮膚は厚そうだし、マトも大きいし・・・


異形は、その所業から「妖怪ロリなめ」と呼ばれ、忌み嫌われていた。
僅かな凹凸のある豆大福のような、シンプルな胴体。少女の肩口あたりの高さから、多関節の長く太い首が伸びている。
落ち武者を思わせる頭部は真っ赤で、縦横に成人男子の1.5倍はあるが、目鼻口などの構造は人間と全く変わらない。
よくよく見なければ分からぬ程その体躯に埋もれてはいるが、4本の足が申し訳程度に生えている。


――フラットで、硬さも充分。磁場も異常なし、っと・・・
少女はトントンと跳ね、大地とシューズの感触を確かめる。FORCEは、領域内に強力な磁場をも発生させる。
妖怪は、突然閉じ込められた事と、恐らく己を「駆除」しに来た戦士の余りの可憐さに戸惑っているようだった。


「どう?この、平成どころか昭和さえ感じさせるフォルム・・・カワイイとは思わない?
なんていうの?ほら・・・『ザ・暴力』って感じでさ・・・って、ボクの言葉がわかるわきゃないか」
少女の白く儚い両手の指へ、禍々しい光を放つ銀のナックルが装着される。
甲高い金属音が、美と醜、獣と獣の闘いの幕開けを告げた。



[お題で妄想] その7の2


長い首を持ち上げ、鉄槌の如く振り下ろす妖怪。少女は鋭いステップインを中断し、優雅に身体を開いてかわす。
更に伸ばした首が斜めに振り上げられる。ダッキングに髪をふわりと舞わせ、地を蹴り飛ばし距離を開ける。
妖怪もその腹を引きずるように、短い脚で緩慢に後ずさった。


――へえ、予想通りの抵抗だけど、なかなかやるじゃない・・・
――リーチは長いし、ハンドスピード・・・いや、ヘッドスピードっていうのかな?・・・それは褒めたっていい。
――・・・だけど、アウトボクシングでボクの「脚」に敵うと思っているのかな?
――それに、ボクシングと頭突きだなんて・・・組み合わせが凄惨すぎてさ・・・見てられないと思わない?
――あ、キミを選んだのはボクだったっけ・・・ふふっ、ボクは悪い子だなあ・・・


口笛の音を合図に、幻惑の舞が始まった。妖怪は首を伸ばしたまま、美少女を視界に収める事がやっとのようだった。
常に相手の間合いの外に位置取り、打たせずに打つアウトボクシングスタイル・・・
ボクシングシューズを模した磁力調節靴が、少女の全身の躍動を更に高める。
拳も、脚も使わない。調節はマウスピース型コントローラで行われる。
噛み締める左右の圧力が、靴底がフィールドを捉える強さに連動するのだ。
左右に切り返すたび、長く伸ばしたツインテールが研ぎ澄まされた刃の如く空間を切り裂く異音が、妖怪を怯えさせた。


目が覚めるように硬く鋭い左ジャブのダブルが鼻を弾き、妖怪の視界を一瞬フラッシュさせた。
そして、右ストレートが一閃する。顎を砕かれ、初めて打たれた事に気が付く程の、恐るべきノーモーションだ。
踏み締めた少女の左足が、地に吸い付いている。その唇の奥に隠された機構により、打撃の反動吸収も思いのままだ。


少女の恐ろしさは、その小柄な体躯に似合わぬ鋭く正確なブロウが一撃では終わらない、コンビネーションにある。
追撃の左フックは下へかわされるも、息も付かせぬ右ショートアッパーのダブルが鼻を潰し、続いて顎を弾き飛ばし
既に右ストレートで砕けていた前歯の混じった、血飛沫の霧が立ち込める。
左右フックの四連打が顎顎頬頬と炸裂し、銀の拳と風になびくツインテールが交互に妖怪の顔面を襲った。


一気にノックアウトを狙うかと思えば、血を振り飛ばし繰り出された反撃の横振りをかわし
戻る頬を打つ左ジャブの反動でフットワークへ戻る少女。ステップアウトの余りの疾さに
返り血を吸ったツインテールが鞭のようにしなり、その叩き合わされる衝撃音が妖怪を嘲笑うようだった。
クレバーに洗練された少女の拳闘技術が、妖怪の表情を次第に怒りから怯えへと変えていく。


ハンドクラップにも似たツインテールの奏でるリズムを埋めるように、拳の金属音が加わる。
妖怪の眼には、加速し続ける少女の姿が二人にも三人にも分裂し、ついには何人かもわからなくなった。
ナックルが残す青白い火花を追う度に、恐怖が膨れ上がる。


射程外から一瞬に襲う、左ジャブのトリプル、鼻鼻鼻。激痛と共に妖怪の視界から少女が消える。
――ふふ・・・こういう趣向は、どう?
溢れる涙に視界が霞んだ直後、その首の下に入り込んでいた少女。
左奥歯を噛み締め、遠心力を活かした渾身の右フックが、血に塗れた鼻梁へ正面から激突する。
更に追い打ちを掛ける、鼻腔を抉り取るような左ショートアッパー。そして冷酷なまでに正確な、鼻骨への右ストレート。
反動で距離を取りワンツーの3セット、鼻鼻、鼻鼻、鼻鼻。夥しい返り血を黒い翼で防ぐかの如くツインテールを舞わせ
左から右から正面から、幼き悪魔の拳が妖怪の顔面と恐怖を腫れ上がらせる。
人間なら激痛に両手で顔面を押さえ、倒れ伏してのた打ち回れるが、この妖怪には到底叶わなかった。
ギブアップも、タオルも、レフェリーストップも、ガードすらもない。地獄の責め苦が続く。


連打が一瞬止む。妖怪は所々欠けた歯を食い縛り、頭を持ち上げ全力で振り下ろした。
――ファイトだけじゃ、ボクには勝てないよ。
必殺の右アッパーカットが、芸術的なタイミングのカウンターで顎を砕き、天へ聳え立った。
再び、無数の欠片に砕けた歯が、鮮血の雨に混じって降り注いだ。
妖怪は土煙と共にその首を落とし、動かなくなった。


「ん・・・これって、スタンディングダウンでいいのかな?」
妖怪の眼の前に、ホログラムの青白い数字が映し出される。
それが意味する所を妖怪は理解していたのか、首を起こそうと必死に痙攣している。
返り血滴る少女の顔が、残酷な優越の笑みに、淫らに歪んだ。
銀の拳を突き付け、カウントを自ら数え上げる。
「・・・エーイト、ナイーン、・・・テーン」



[お題で妄想] その7の3


作戦終了から30分・・・少女は、本来防具として使う予定だったヘッドギアを、今になって装着し始めた。
相変わらず、百年前のセンスだ。猫を模したのだろうか、その頂点には小さな耳型の翻訳機が付いている。
異種の妖怪どうしが会話らしき行動を交わす事は、出没初期から観察されていた。
妖怪の言語の構造は研究により人語、それも何故か日本語に近い事が判明している。
猫耳は少女の懐古趣味に過ぎない。体表面にフォースフィールドを貼る事で、双方向に対話が可能な仕組みだ。


倒れた巨体へ飛び乗り、宙に脚を遊ばせる少女。返り血に濡れそぼった長髪が、妖怪の腹へ妖しく絡み付く。
「るぅむあァ、んいィ・・・」
「そんなにボクのパンチが効いちゃった? ふふ・・・ろれつが回ってないみたいだけど」
残忍な笑みと共に、脇腹を踵で抉り、更なる自虐の言葉を促す。
「ぐぅ、や、ひぃ・・・」
少女は、翻訳機のレンジを調節し始めた。
「聞こえない。こんな小娘のボクシングにさあ、滅多打ちにKOされて・・・男としてどう思うの?」
詰問を繰り返すごとに少女の嗜虐心は満たされ、妖怪は朱に染まった赤い顔を更に紅潮させ己の弱さを呪った。


陰惨極まる問答を堪能すると、少女は舞い降り、自らが徹底的に潰滅し尽くしたその醜い顔面をシューズで踏み躙った。
腹の肉から僅かに出る、短い脚。身体の構造上、妖怪は一度倒されたら、二度と自力では起き上がれないようだった。
猫耳が垂直に立ち上がる。少女は、翻訳機のレンジを一気に"MAX"へ設定した。
「俺は、これから死ぬんだな・・・死んだ奴が死んだら、いったいどこへ・・・」
「ふふ・・・誰が殺すって言った?」


妖怪は驚愕した。そして、思わず・・・救いを求める眼で、少女を見上げてしまった。


・・・


「お注射の時間ですよぉ〜」
ナース服に身を包む少女。小さな帽子の脇には、やはり猫の耳を模した翻訳機が装着されている。
そしてその両拳には・・・医療への冒涜を形にしたような、銀の凶器が光っていた。
「ふふ、あざといったらありゃしない・・・でもさ、いかにも時代錯誤な感じで・・・カワイイと思わない?」


国立妖怪病院。
病院とは言うが、治療の為の施設ではない。妖体実験の為に用意された研究機関だ。


いつからだろうか。妖怪は巨大なベッドに仰向けに転がされ、長い胴体の二箇所を鋼のワイヤーで固定されていた。
少女はベッドに腰掛け、しなやかに上体を捻りながら、唇を開いた。


「ボクはね、男の子をコロしちゃった事があるんだ・・・
小六の頃・・・それはリング上の不幸な事故として扱われた。表沙汰にはならず、罪を償う場所にも入れず
ボクは自責の念で胸が張り裂けそうで、命を絶つ事すら考えた・・・でも、拳の疼きは止まってくれなかった。
中学に入って9ヶ月で9回も転校するたび、いやらしい目でボクを見るおじさんたちを、片っ端から半殺しにした・・・
もしもコロしちゃったら、今度こそ塀の中だしね・・・ふふ、飽きちゃったんだよ。人間には。
そこでさ・・・やってみたら案外カンタンなもんだね。そう、門を開いたのはボクさ・・・今年の初詣の帰りにね。
殴りがいのあるキミのような妖怪を待っていたんだ。好きだよ・・・ボクの王子様」


信じられぬ告白に、それを「聞かされてしまった」己を待つ運命を悟り、妖怪は泣き喚いた。
美少女のにこやかな沈黙は、余りにも残酷に妖怪の心を斬り刻んだ。必死に運命から逃れようとする妖怪。
「そ、そうだ!他の妖怪達を始末しに行かなくてもいいのか!それが仕事なんだろう!」
「門はさっき閉じてきちゃったよ。妖怪による死者は結局一人も出なかった。キミはこの国を救った勇者さ。
王子様で勇者・・・完璧だね。そして今・・・勇者はボクだけの、最高のサンドバッグ・・・何か言いたい事は?」


「・・・俺達に『妖怪ロリなめ』という不名誉な名前を付けたのは、お前ら人間だ。
俺達は、天界の木の樹液を主食とする。天界は、人間に殺された人間が行くところだ。
だから、争いという概念自体が存在しない。争いを起こしたものは『誰も知らない所』へ送られるからだ。
俺たちは他の種族との対立を避けるため、より高い枝を舐める事で、このように首が長くなった。
お前ら人間の都合で勝手に呼び出され、樹液と同じ成分を持つものが・・・」


妖怪は、自らの「男」を呪った。美少女の白い太腿へ、艶やかな髪へ、熱い視線が彷徨ってしまう。
「偶然、お前のような・・・美しい少女の汗だった・・・それだけなのだ・・・」


――どうして、こうなってしまった・・・
妖怪は、美少女から聞かされた屈辱のテンカウントの「後」へと、想いを巡らせた。



[お題で妄想] その7の4


「・・・テーン、イレブーン・・・ふふ・・・言ってなかったけどさ、ボクのカウントは100までだからね」
ホログラムウィンドウが横に伸長し、表示が"10"から"11/100"へと切り替わった。
20、30とカウントが進むごとに、絶望に満ちていた妖怪の表情が憤怒へと塗り替えられて行く。
妖怪は、鬱屈した激情を暴発させるかの如く顎で大地を叩き、カウント88で首を持ち上げた。


絶望的なダメージから立ち上がった選手は追い詰められ、為す術なく再び打ち据えられる・・・それがリングの掟だ。
だが、少女の風を切るコンビネーションは、全て妖怪の鼻先で止められていた。華麗なる幻影の舞い。
その目的は・・・挑発だ。連打の前に凍り付いた妖怪。その顔色が、怒りから怯えへ、再び怒りへと移り変わる。


興奮し、首を振り回す・・・言わばハンマーパンチやロングフック攻撃に出るのかと思えば、首を縮め始める妖怪。
――へえ、パキパキ言ってる。縮めるのは苦しそうだ・・・一撃必殺ストレートのお披露目か、そうこなくっちゃね・・・
少女は脚を止め、対角線上、じりじりと間合いを詰めてくる妖怪に正対しつつ、その時を待った。


哀れな妖怪は知らなかった。少女の得意技が、徹底的にフットワークと左ジャブで翻弄し
怒り狂った相手の拳に自らの拳を合わせ撃ち砕く、「拳へのカウンターパンチ」だという事を。
通常の試合の中では、いかに少女の反応速度と言えど、相手の繰り出した拳に拳を合わせる事などできない。
前後の出入りと横への幻惑を複雑に織り交ぜる、ツインテール舞う華麗なステップと鋭いジャブにより
何ラウンドもリングと相手の心を支配し続ける。そして恥辱に涙を流し大振りになった相手にこそ
伸び切る直前の最高に破壊力が乗った拳と、肘と腕と肩を根こそぎ砕き尽くす、悪魔の一撃が成り立つのだ。


妖怪もまた、少女という美しい魔性に喰らい尽くされてしまった。
渾身のバネで繰り出し、伸び切る直前のその顔面を、ステップアウトの反動を活かした右ストレートが猛爆した。
冷徹なまでに磨き抜かれたその一撃は、自らの拳を砕かぬよう、急激な捻りを加えたコークスクリューブローだ。
その瞬間、振り絞った最期の死力が数倍に増幅されて跳ね返される余りの狂威に鼻骨が螺旋状に陥没粉砕するどころか
極限まで縮め返された首が少女の十数倍はあろうかという体重を後退りさせ、妖怪をコーナーへと激突させた。
全方位へ高圧で飛び散った鮮血がレーザーに降り掛かって蒸発し、絶望の檻は禍々しい死臭に閉ざされた。


そして、全ての関節が砕けた右腕を左腕で押さえ、恐怖に泣き叫ぶ相手の
がら空きの顔面をねっとりと眺め回し・・・ダウンも許さず、葬り去る。それが少女の拳闘の美学だった。


もはや、妖怪には己の頭部を支える首の筋力も、精神力も残されてはいなかった。
フックで頬を弾かれれば、その首がレーザーの反発力に跳ね返され、またもフックが激突し頬骨が軋む。
アッパーカットで己の背と接吻し、反動で戻った顎を、更に渾身のアッパーカットが撥ね上げ続ける。
「おっと・・・う〜ん、やっぱり取れたては新鮮だ、ねっ!」
地獄絵図だった。千切り飛ばされた舌の先端を半開きの口へ放り込み、顎への右ストレートパンチ。
慈悲の欠片もない、残虐無情の一撃だった。血と骨が肉と混じり合い弾け飛ぶ。


ここからが、少女がボクサーとして年齢性別キャリアの壁を超え、対戦を忌避された理由だった。
絶望に青ざめたその顔面を、あくまで華麗なるジャブで徹底的に弄び、精神すらも破壊し尽くすのだ。


まず少女は脚を止め、その弾丸を「拡散」させる。
上下左右の空間を斬り裂き肉を削ぐ無数の散弾の恐怖が、妖怪の顔面を空間の一軸へと固定する。
上にも下にも左にも右にも、逃げられない。後ろに縮めれば今度こそ追い詰められ、終わりだ。
少女は拳の支配領域を縮めていき、そして最後は・・・
「ふふっ・・・ロックオン・・・覚悟はいい?」
銀の左拳を突き付け、宣言する。これから、魂ごと顔面を滅多打ちに打ち砕くと。


無数の破片に砕けたその鼻梁を中心に、狂気の舞いを踊りながら弾丸を「収束」させていく少女。
少女の磁力調節靴の扱いは、まさに神技だった。フィールドを蹴る瞬間、"MAX"に噛み締め爆発的な推進力を得
次の瞬間"MIN"に戻し、風に舞い流麗な残像を残す。その口内の操作を超高速で繰り返す事により
もはや腫れ上がった妖怪の眼に、加速し続ける少女は白黒赤の光の帯としてしか認識出来なかった。
銀色の激痛が弾けるたび、瞬間に焼き付けられた美少女の顔は、歪んだ薄ら笑みを浮かべているようにさえ見えた。



[お題で妄想] その7の5


音の暴力が妖怪の聴覚へ吹き荒れる。破裂音と次の破裂音が重なった不協和音に、更に破砕音が加えられ輻輳する。
防御も叶わぬ顔面を襲う、視認すら出来ぬ魔の弾丸の集中砲火。激痛と窒息が妖怪の自尊心を粉々にすり潰す。
加速と共に亢進する少女の左拳の威力は、ジャブの領域を逸脱して妖怪の瞼を斬り刻み皮膚を腫れ上がらせ
脳を頭蓋へ激しく叩き付け、残った歯すらも一本残らず砕き尽くした。
純白のセーラー服は、一片の白も残さず返り血の紅に染め上げられた。ただただ美しい、絶望のみがあった。


まず、相手を巧みにコーナーへと追い詰め、精神力を大胆に抉り取る。
次に、残った部分を丹念にやすりにかけるかの如く、削り落としていく。
最後に、絶望に打ちひしがれた魂を、肉体という土台ごと粉微塵に撃ち砕く。
少女の思い描く「理想」は、人間の耐久力では到底実現出来なかった。


「やっと巡り逢えた『王子様』・・・誰にも、渡さない・・・!」
少女は妖怪の限界を悟り、フィニッシュに入っていた。
右ストレートの連打、真っ直ぐ加わった衝撃が首を一節一節圧し潰し、ついに頭部は胴体へと深くめり込んだ。
無残に潰れきり、赤黒い肉塊と化した妖怪の鼻。それを鉋で削ぎ取るような、渾身の左ショートアッパー。
鼻に次いで、ダブルで顎を砕く会心のコンビネーションは、少女の嗜虐心を初めて満足させた。
「この手応えだ・・・キミが妖怪で、本当に良かった。大好きだよ、かまぼこクン・・・」


少女は、満たされた。ここからは、「作戦」を終わらせる為だけの、言わば消化試合のようなものだった。
両前脚が浮いた所に右スマッシュ、左の前後脚が僅かに浮けば左スマッシュ・・・
体重で少女の10倍以上はある巨体も、重ねられる拳打の波に左右に揺られ、その振れ幅は次第に大きくなって行く。
そして13発目の右で、巨体は斜めに静止し・・・血の泥飛沫を上げて横倒しになった。


・・・


国立妖怪病院。苛烈なる記憶を思い返しつつ、妖怪は長い独白を終えた。
「・・・言いたい事はそれだけ?話が長いわりに、つまらない」


少女の端正な顔立ちから表情という表情が消え失せ、爛々と輝いていた眼から、光が消えた。
耳を劈く金属音と共に、青白い火花が降り掛かる。病室を支配する、死の沈黙。
「要するにさ・・・『なめさせて』って事だよね」
妖怪は、一言も反論できなかった。


「なぁんだ・・・じゃあさ、好きなだけなめさせてあげる。ただし・・・」
美少女の眼が細められ、口許に気まぐれな猫の笑みが戻る。
「人間界の掟には従ってもらうよ。レートは1なめ5発・・・悪くないとは思わない? キミに拒否権はないんだけどね」


・・・


「ほ〜ら、食事の時間だよ。今日は特別サービスデーだから2なめ5発・・・お買い得だとは思わない?」
ベッドに体育座りし、妖怪の脇腹へ長い右脚を投げ掛ける美少女。衣擦れの音と共にスカートが僅かに下がり
淡桃色のオーバーニーソックスとの対比が眩しい白い太腿と、残酷な笑みがむき出しになる。


「あれぇ〜?なめないの?ふふ・・・じゃあ、おまけも付けちゃおっかな」
濡れ羽色の魔性、流麗なツインテールが、むき出しの肉質へ艶かしくとろけるように絡み付いた。
一度舌を伸ばしたが最期だった。妖怪は夢中になって美少女の肌を、髪を、なめ回し続けた。


対妖怪特殊部隊RIOSは解散が決まっていた。新たな妖怪の出現が、ここ3ヶ月の間確認されていないからだ。
各地に出没し、何処へ送られるかも知れぬ二度目の死の恐怖に怯えていた妖怪達は
ある者は山に身を隠し、またある者は絶望に自ら命を絶ち、人間の魔の所業を呪った。


「今日はお楽しみだったね・・・サービスデーなのに昨日より多いなんてさ。じゃあ・・・お代を頂くとするか、なっ!」
壁のスイッチが押されると、妖怪の後足側を支点にベッドが180度回転し、ワイヤーロックが外れた。
同時に病室の照明が落ち、天井から鏡を無数に貼りつけた球体が降りてくる。
目眩がする程にアナクロなレゲエサウンドが流れ、身も凍るナックルの金属音が平和そのもののリズムを刻む。


10分後・・・天井にまで飛び散った鮮血に、美少女を彩る無数の反射光は妖しい紅に染まっていた。
「アハハッ、泣いてる・・・ほら、いつもみたいに殺して欲しいって言ってみなよ!」
返り血滴る猫耳が、ふにゃりと垂れ下がる。翻訳機のレンジを、わざと緩めたのだ。
「ぶぉっろ・・・しれ・・・ほじい・・・」
「『もっとして欲しい』?・・・王子様は変態だなあ!でも・・・そこが大好きだよ」
既に原型を留めぬ程に潰滅し尽くされた鼻へ、少女の柔らかな唇が重ねられた。
妖怪ロリなめと美少女、その幸せな関係は終わらない。