スレ企画[お題で妄想]その6

[お題で妄想] その6の1 「スポーツの家庭教師」「やる気ない&そっけないクールっ娘な中学生」
「彼女の隠れハイスペックに気づいたつもりが、隠していた実力は更に……」
「男と少女の温度差」「本気で勝ちたいのに、あしらわれてしまう」



ハーケスタル王国首都、その秩序の中心を担うメシュキー=デラーズ大神殿、自戒の間。
神官長が若き神官たちへ、去っていった神官達の行いを語る事で自らを省みさせる場だ。
半すり鉢状の空間を埋め尽くす、千名を超える若者達へ、教材が配られて行く。
これは、かつて神官長を務めた男がある少女と巡り逢い、そして破滅に至るまでの記録である。



DAY -36


今日の対戦相手は強かった。そんでもって、すげえ充実した闘いだった。
何でも、自分より強いやつを探しに来たとかで・・・このハーケスタルの地へ、ずいぶん東から来たらしい。
暇なやつもいるもんだよなあ。まあ、大道芸人の俺だけにゃ、言われたくねえだろうけどよ。


あいつの重い打撃と心の熱さが、まだ胸に残ってるぜ。
男同士、残雪の上で大大の字になって武を語るってのもいいもんだ。
少々サビついてるとはいえ、俺の神官極倒術と引き分けに持ち込むとは、本当に大したヤツだ。
またいつか、こんな熱く燃える闘いをやりてえな。


この男は同い年だが、「チューガクセー」の妹さんが国で待ってるらしい。
歳を聞いてビックリさ。14歳だとよ。「娘さん」の間違いじゃねえかと、俺は思ったね。
家族か。親も兄弟も知らず、物心ついたら神殿に引き取られてた俺には、関係のねえこった。


それから、「ケーサツ」ってのがあいつの国にはあるって話だ。悪い奴をとっ捕まえて説教する所らしい。
ハーケスタルでいう神殿にあたるんだろうな。まあ俺は、もう神官なんざやめちまったから、関係ないが・・・


日記なんかを書くのは久しぶりだ。やっぱり俺も格闘家なんだな。また明日も書こう。
それより、明日のネタを考えておかねえと・・・もう、手持ちのバルグも少なくなってきたしな。



DAY 0


いけねえ、もう一ヶ月以上も日記をサボっちまってた。
今日は俺の人生の最高の転機になる一日だろう。忘れねえように、ガッチリ書いとかないとな。
それにしても、こんなフカフカのベッドとでかい枕で眠れる日が来るとは、まだ俺の人生も捨てたもんじゃねえぜ。


大道芸でおひねりを貰う必要がなくなったのは嬉しいが、長い事やってたからな、ちょっと寂しいところもある。
やつに教えてもらった「ヒョーチューワリ」とか言ったか・・・これは使えた。
なんつっても今の時期なら、凍った池から氷を持ってくれば元手要らずだ。
同じく「ビールビンギリ」は、確かにウケは悪くないが・・・切ったらすぐ全部飲まなきゃならんのが難だった。


だが、どんなに熱いネタでも、同じ所で続けていれば飽きられちまう。お客さんの目ってのは、マジで厳しいぜ。
だからこうやって俺は、故郷メシュキー=デラーズから遥か東の、国境の街まで流れ着いたってわけさ。
今日の稼ぎは375バルグ。定食だって安くて500バルグはするってのに、これじゃ俺の胃袋は到底満たされっこねえ。
昨日もおとといも、同じようなモンだ。正直、本当にヤバかった。ツラさを紛らわす酒も買えねえんだからな。
みぞれ混じりの雨の中、街を食い物求めてウロついてたらぶっ倒れて・・・このじいさんに拾われてたってわけよ。


このアーヴィーって言う上品な白髪のじいさんは、本物の紳士だ。
こんな薄汚ねえ男を泊めてくれる上に、暖かいスープとパンまで出してくれる。
それにしてもスッゲエお屋敷だ。
この大広間の三枚の絵画なんか、鳥肌が立つほどだ。全部でいったい何千万バルグするんだろうな。
多分、この地方の貴族か何か・・・お偉いさんが住まわれてるんだろう。
って言うのは、このじいさんはこのお屋敷の「主」じゃなくて、使用人頭らしいんだ。


お手伝いさんは大勢いるみたいだが、このお屋敷の主は誰なのかと俺が訊こうと思った時
じいさんは俺の右手を取った。そして、


おっと、余白が無くなっちまった。続きは次のページに書かないとな。
って、まるでこれを読む奴がいるみてえな書き方だな。そんな物好きがいたら、一度顔を拝んでみてえもんだ。



[お題で妄想] その6の2


「神官様」
じいさんの言葉に、俺はギョッとしちまった。神官と呼ばれたのは、何年ぶりか知れねえ。
神官式の、右拳を左手で包み左膝を突くという、最高の感謝を表す敬礼を知っている事にも、ぶったまげたが・・・


「その右手の印、さぞ高名なお方なのでしょう。お頼みしたい事があるのですが・・・」
ハーケスタルの大地は広い。首都のある西と、辺境と呼ばれる東じゃ、言葉が通じねえ街があるぐらいだ。
こんな国の東端まで来たが、師範の証である、拳鉄槌の焼印を知ってる奴がいるとは・・・
俺は嬉しくなって、思わず饒舌になって過去を話してしまった。


俺は昔、神に仕える身だった。神官極倒術の師範として、大神殿で200人以上の門下生をまとめてたんだ。
この国では悪を裁くのも読み書きを教えるのも神殿の役割だ。唯一の処刑場も、首都大神殿の地下深くにあるんだと聞く。


俺は神官長として、全ての邪悪をねじ伏せる、強固な肉体と意志の力を弟子に与える責任感に燃えていた。
弟子達も、俺をアニキアニキと慕う、威勢の良い熱い野郎ばかりだった。
だが・・・思い出したくもない事だ。組手の最中、誤って弟子を・・・やめとこう。じいさんにも詳しくは話さなかった。
俺は十年かけて上り詰めた神官長の座を、一日で降りた。ただ強いだけじゃ、神官長にはなれねえ。
鋼の意志で常に自己を律する態度と、深い知識、敬虔な信仰があってのことだ。自分で書くのも苦々しいがな・・・
だからなおさら、神殿には居られなかった。ここまでがじいさんに話した事だ。ここ、日記に書く必要なかったかもな。


「14歳のお嬢様がおります。お嬢様を・・・どうか、助けて頂きたいのです。
しばらく神殿にも通っておりません。その極倒術で、厳しく躾をお願い致します」
14歳・・・神殿学校中等部。やつの娘・・・じゃない、妹と同じ歳だなと思った。
命の恩人の頼みだ。俺はドカンと胸板を鳴らして引き受けた。
うらぶれた大道芸人の俺が、今度は反抗期のお嬢様の家庭教師か!へへっ、なんだかワクワクしてきやがったぜ!


いかんいかん、俺の日記は長くて読みにくくてかなわん。
そういえば自分でつけた日記を読み返したこともなかったな。まあいい。いまはとにかく書きたい気分なんだ。
勘違いするんじゃねえぞ。俺を待ってる未知のお嬢様にドキドキして眠れないから日記を書いてるんじゃないからな。
って、俺は誰に書いてるんだろうな。笑っちまうよな。いいトシこいたおっさんがよ。


しばらく続けてみるかな。日記。



DAY 1


やべえ・・・このペンを持つ手が、震えている。
とんでもねえ、想像を全く超えた美少女に、俺は出会っちまった。


灰色がかった銀髪を、大きな青いリボンでポニーテールにまとめている。
すげえ髪のボリューム感だ。そして艶の美しいこと・・・!どんな滝の名所を見るより、心が奪われちまった。
これで髪を下ろしてティアラでものっけたらよ、本当にどっかの国のプリンセスと言っても1000人中1000人が信じるぜ。


中庭に冷たい山おろしが不規則に吹き込むたびに、密着して身体の線を魅せつけてくれる、薄手の灰色のローブ・・・
本当に・・・本当にすらっとした、ゾッとする程のいい女だったよ。
すらっとした、ってのは、身体の線が、抱き締めたらすぐ折れちまいそうに細いってのもあるんだが、


クソッ、インクをこぼしちまった。


纏う雰囲気自体が、抜き身の氷のレイピアみてえに・・・ああ、俺の文章力じゃ、到底まとまらねえ。
とにかく、大神殿の巫女達もまるで霞んじまう、とびっきりの・・・気品に満ちた氷の美少女だ。


俺は、なぜだか土に跪いて美少女を見上げ、名を名乗った。もう早口で自分が何を言ってるのかもわからなかった。
美少女は、硬い靴音を響かせつつコツコツと歩み寄り・・・立ち止まらずにコツコツと横を通り過ぎていった。
聞こえなかったのかと思って、もう一度己の名前を言おうとした所で、凍り付いてしまった。


一瞬だけ振り返ったその蒼い目には、人間らしい情の欠片も感じられなかった。氷の彫刻のようだった。
世の中の全てに飽いたような冷たい眼光に、俺は喉がカラカラに乾いちまって、呆然とうなだれた。


眠れねえ。明日も、あの少女と俺は、顔を合わすんだな・・・
神よ、俺の胸の高鳴りを、どうかお鎮め下さい。



[お題で妄想] その6の3


DAY 2


俺は今、怒りに燃えている。
その顔も知らねえ外道の所業に、そして・・・俺自身の心の弱さに。


俺は恩人のじいさんを伴って、あの氷の姫様へ、改めて対峙した。
屋敷は手前と奥に分かれていて、左右端の渡り廊下と、広い中庭で結ばれている。
奥の屋敷の中央、少女の居室・・・俺は一音一音、腹から声を出すようにして己の名と与えられた使命を叫んだ。


――臭い。唾を飛ばさないで――
少女は白い脚を艶かしく組んだまま、百の言葉よりも雄弁に、唇を閉じたまま、その切れ長の二つの瞳で語った。
凍った沈黙が俺たちを包んだ。


すげえ、圧迫感だった。だが、俺も神官長まで上り詰めた男、誇りにかけてここは退けない・・・
そう思った瞬間、少女は椅子を蹴倒して立ち上がり、


くそっ・・・書きたくない!
書きたくもない事だが、元神官としての「自戒」の意味を込めて、その恥辱を記す事にする。


鼻先へ、小さな左拳が突き付けられていた。
俺は「ひゃあ」と喚いた。余りの滑稽な悲鳴に、自ら笑いと恐れの中間の表情で、固まってしまっていたはずだ。
甘酸っぱい匂いの紅茶が霧になって、見上げる顔へ吹き付けられた。俺は、腰を抜かしてしまっていたのだ。
じいさんに、またも助けられた。膝が笑って立ち上がれない俺を、部屋の外へ引っ張り出してくれた。


以下はその夜、手前の屋敷でじいさんと食事をとっている時に聞いた話だ。


少女は父に愛されなかった。
「ゲルメズ」という、この地に伝わる、天を駆け災いを撒き散らす悪魔の名が与えられたのも
貴族の地位を維持する為の、男児が産まれなかった腹いせからなのだと・・・


俺は思わず、父親への義憤にかられた。あの可憐な少女の心が荒んでしまったのも、そいつのせいなのだ。
腕をへし折ってやるからそいつを連れてこいと、俺は怒りに任せて叫んでから、自らの非礼を深く詫びた。
「いいのです。ゲルメズお嬢様のお父上は、もうここにはいないのですから」
沈痛な表情だった。俺は、じいさんにこれ以上の事情を聞くことを、やめた。


「無理は言いません。ただ、お嬢様の将来が心配なのです・・・」
命の恩人の言葉が胸に刺さっている。
明日からは気合いを入れ直して、家庭教師としての責務を果たそう。



DAY 3


しつけは、まず上下関係を・・・理解させる事が基本だ。
今日は、それを力で分からせてやる事が、目的だった・・・


俺はじいさんと昼食を済ませると、少女がよく通るという、中庭で待つ事にした。
心の準備も出来ていない内に、少女は奥の屋敷から出てきた。


奥と手前の屋敷を結ぶ細い石畳、俺は足を横に開き両手を斜めに広げた。
俺の鍛え抜かれた肉体をさらに大きく見せる、神官極倒術独特の構えだ。
どうせまた寸止めの威嚇だろうが!この、人を殴る勇気もねえ小娘が!
そう思って、そのまま組み伏せようと


嫌だ。何で俺はこんな事を日記にしなければいけないんだ。今も、涙がこぼれて、止まらない。


顔面が、弾け飛んだ。
こんなに何の躊躇もなく人を殴り、そして左拳とローブを汚す返り血に戸惑うどころか
何の感情も感じてすらいない・・・こんなヤツは、初めてだった。痛み自体も、桁が違った。
十の拳を一に凝縮したような、百戦錬磨の格闘家である俺の許容量を一撃で溢れさせる、死霊の拳だった。
恐怖を読まれまいと、必死に表情を繕う程に恥辱が増し、涙があふれた。


――どきなさい。クズ――
少女はうずくまる俺を、死んだ眼で見下ろした。歩く道すがらの小石を無造作に蹴飛ばすかの如く
俺の潰れた鼻面を柔らかな太ももで圧しのけ、真っ直ぐに屋敷へと歩いて行く。俺は湿った土に突っ伏した。


ふさふさと揺れるポニーテールが遠くなる。怖気がするほど、その後ろ姿は綺麗だった。
俺は、格闘家だから、背を向けた相手は、襲えないんだ・・・!
刺すような痛みと、一瞬に迸った冷酷な視線に起き上がる事すら出来ない、己の心の弱さへの情けない自己弁護に
俺は食ったばかりの昼食を、嗚咽と共に吐き戻した。


やる気の欠片も感じられない両手を下げた状態から、構えも無しに顔面を打ち抜く、必滅の衝撃・・・
左拳に返り血が付いていたのだから、左の拳なのだろう。だが、それが何なのかは、全く視認できなかった。
言うならば「美しい弾丸」だ。この弾丸の謎を暴かなければ、俺は・・・


日記は続ける事にする。
この先どんな屈辱が待っていようが、洗いざらい記録する。
それを止めたら、俺という男がこの年端も行かぬ美少女の拳に、敗北を認めたことになるからだ。



[お題で妄想] その6の4


DAY 4


少女は、四つん這いに鼻血を垂らす俺の背を椅子代わりにして、虹を眺めながら寛いでいた。
極上品だろう紅茶で退屈そうにうがいをし・・・生ぬるい屈辱が、頭へ吐き掛けられた。
中庭のグズグズに湿った土に、ポットから直接紅茶が注がれた。
後頭部に硬い感触・・・靴だった。鼻血と紅茶と少女の唾液が交じった泥をすすり、俺は泣いた。


「美しい弾丸」は、今日も痛みと屈辱だけを、俺に与えた。
今日は他に書くこともない。



DAY 5


今日は神殿学校でも休日だ。気晴らしに、広い外庭を散歩する事にした。
美少女は、背伸びしてりんごの木の枝へ手を伸ばしていた。何回か飛び跳ねるが、拳二つ分ほど届かない。
そのたびにひらひらと、丈の短いローブが風に舞う。悔しいが、綺麗な脚だ。


可愛い所もあるじゃないか。取ってあげよう。本当に親切心で、そう思った。
ついでに、大道芸技のりんご潰しで男の逞しさを見せつけてやろうか。そう考えを巡らせているうちに
少女の左手にはりんごが握られていた。結局、少女は俺に気づかぬまま、山側の屋敷の裏へ消えてしまった。


昨日の、少女の柔らかく儚い重みが、まだ背に残っている。
魅惑の芳香を放つ銀髪が、風に揺れ頬を撫でた。その後の苦い味は、昨日書いたからもういい。


あの子には、俺しかいないのだ。
まさに氷の少女・・・凄まじい温度差だ。俺の燃え盛る熱血の炎で、氷に閉ざされたその心を溶かしてやる。
待ってろよ。俺のお姫様。



DAY 6


見てはいけない物を、俺は見てしまったに違いなかった。
見てしまった以上、絶対にこれだけは、見つかってはならない。


まず俺は、少女に「本気を出させる」事にした。
本気と本気のぶつかり合いでこそ、結果を超えて拳の間に友情が生まれるからだ。


「今日は殴って来ないのか!もっと熱くなれよ!俺と拳で語ろうぜ!」
そう叫ぶほどに、檻の中の死罪人を憐れむような静寂の視線が、俺を虚しく斬り刻んだ。


我を忘れて突っ込むも、少女の軽快な身のこなしにかわされ、水平に翻った銀髪が柔らかく視界を塞いだ。
銀のカーテンが開けると、あの左拳、「美しい弾丸」が突き付けられていた。


――次はないわ――
拳の奥の座った眼が、そう語っていた。
二日、打たれていない。想像するだけで、得体の知れない冷たい稲妻が鼻先に走るようだった。


俺は失意の中、与えられた自室へと戻る途中・・・廊下に落ちていた、古ぼけた黒い手帳を拾い上げた。
ここは門側の屋敷だ。使用人の落し物かな、そう思って、中ほどのページを何気なくめくった。


<ボゾルグ王の治世13年 9月25日>
暴力は楽しい。
どんなに美味しい紅茶も、毎日なら飽きてしまう。
でもこれだけは、しばらく飽きそうもない。
この間、アーヴィーが呼んだ家庭教師の男、どうしているだろう。
人に言われてする暴力なんか、退屈で、嫌。
鼻を折ったら、屋敷から這って逃げていった。
もう十何人目かも、忘れた。
でも、これは寂しい楽しさだ。
お父さんは、私に振り向いてくれないから。


夢中で書き写してから後悔しても遅い。これは、あの少女の日記だった。俺はカギ付きの棚に手帳を封印した。
もう、二度と開くことはない。カギは中庭の深い池に捨てたからだ。
武の道と暴力は、断じて違うのだ。相手を敬い高め合う清い精神を、あの子に教えてやりたい。



DAY 7


中庭。人ひとりの幅の石畳が、二つの屋敷を真っすぐ繋いでいる。


頼むから、どいてくれと神に祈った。
「美しい弾丸」の間合いまで、あと三歩、二歩・・・
横に身体をどけてしまったのは、俺だった。俺はこの時点で、既に敗北していた。


少女は石畳を蹴り、わざわざ黒くぬかるんだ土を踏みしめた。
つぅんとした衝撃が、鼻の奥に弾けた。


一撃決めただけで勝者になれると思っているのか?止めを刺すまで俺を殴ってみろ!
上塗りされた敗北の苦さに、その言葉は出せなかった。


――嫌よ。せっかくの玩具を壊しちゃうもの――
冷めた眼で俺を見下ろし、去っていく少女は、誰が見ても勝者に違いなかった。


脱力の自然体から放たれる神速の左拳の正体は、未だに謎だった。
疾く、痛く、そして長い。あんなにも華奢な少女の体から、なぜこんなにも伸びてくる?
生徒より強い教師として武の道を勧める事も出来ない悔しさに、涙が溢れた。


どうして・・・この少女は見も知らぬはずの俺の心を、こんなにも叩き潰そうとするのだろうか。



[お題で妄想] その6の5


DAY 8


今日は進歩があった。「してはいけない」事が、わかったからだ。


俺と少女の身長差を考えれば、「美しい弾丸」は斜め下から来るはずだ。
ならば、肘を合わせて顔面を覆っていれば打たれない。完璧な作戦だった。


――臆病者――
侮蔑の視線が、両腕の隙間から俺の心を深く抉った。
「俺は臆病者じゃない!!」
絶叫し襲い掛かった瞬間、視界が弾け飛び石畳が見えた。全力の突進を弾き返す一撃は、痛みの次元が違った。
俺は声を殺して泣くどころか、のたうち回って鼻血を撒き散らしながら悶え狂った。



DAY 9


鼻が痺れている。石畳で打ったらしく、全身が痛い。動けない。今日は一日中、横になっていた。
そういえば、あの子の声を、一度も聞いた事がなかった。



DAY 10


凍り付くような鼻の痺れは、治まってきた。限界が、近づいてきている。


最初から防いでいれば、敗者の烙印を押される。拳に反応して腕を取れば、俺の勝ちだ。
関節を極めるまでもない。あの華奢な手首・・・少し力を入れて握れば、激痛に膝を突くはずだ。
だが、あの拳は異常だ。構えも前兆も全く無い。打ちに来た拳を取ろうとして反応できる速さじゃない。
後ろに引きこむようにかわし、戻る拳を取るしかない。早く決着を付けなければ。



DAY 11


――少しは使えるようになったみたいね――
小雨降る夕暮れの中庭、少女の銀の眉が、初めて緊張に引き締まった。
少女の領域に入る。瞬間、拳一つ半、確かに避けた。心と体と技が噛み合った、生涯最高の避けだった。
何も、間違ってはいなかった。


――などと、私が言うとでも思っていたの?救えないクズ――
少女はきびすを返した。靴の踵で飛ばされた泥が、仰向けになった俺の顔に積もった。


俺は夜を待たず、石畳の上で死人のように眠った。



DAY 12


<ボゾルグ王の治世13年 5月24日>
今日は生まれて初めて、人を殴った。
お父さんは、私に振り向いてくれない。
お父さんに認められる女の子になりたかった。
今年になってからアーヴィーにすすめられた舞操術は、私に合っていた。
お父さんみたいな逞しい先生にほめられるのがうれしくて、夢中で練習した。
膝や指が曲がらない方に曲がるという、私のからだに先生は驚いていた。
もともと私はこうだったから、他の子に出来ないのが、不思議だった。
なぜこんな退屈な技を繰り返すだけで10点満点をくれるのか、わからなかった。
でも、本当のお父さんは、私に振り向いてくれない。
悲しくて、先生にだけはもっとほめてもらおうと、教科書にない技を次々と見せた。
先生は教えることがなくなって、私を畏怖の目で見た。
今日、私の机に「死ね魔物女」と書いてあった。
同級生も、私と距離を置き始めていた。
畏怖の目は嫉妬へ、嫉妬は差別へ、差別は迫害へと変わっていった。
机に書いてある事を目の前で叫んだのは、あの先生だった。
最高の手応えの、本当の満点の技だった。
赤く潰れた先生は、次の日から神殿に来なくなった。
私のからだに本当に合っていたのは、舞操術ではなかった。
暴力だ。


俺は大広間へ駆け込み、絵画の表題を見た。
雪風の妖精」「降臨する天使」「しなやかなる慈愛の女神・流水の演舞」
どの画家も、少女の舞に心狂わされているかのような、荒々しく凄まじい筆致だった。
大神殿にいた頃は、隣国からも見物客が来る、巫女の舞を飽きるほど見ていた。
そんなものとは比べ物にもならない、壮絶な美に違いなかった。


俺は棚を引き壊して黒い手帳を取り出し、「美しい弾丸」の謎を解く手がかりを探した。
白紙の日ばかりだ。そして、最初の日記に眼を奪われた。
俺の鼻を、なぜ避けたはずの拳が打ち抜いたのか、今わかった。


謎の正体は、その驚異的な身体能力、特に柔軟性だった。
足首、膝、腰、肩、肘、手首・・・
全ての関節が、少女の全身を一振りの「意志のある鞭」と化していたのだ。
全関節の反動で引き戻される拳の余りの疾さが、瞬間に弾ける「痛み」を極大に高めた。
しかも手に持って扱う武器とは違い、血の通った拳は最も屈辱的な痛みと流血を伴う急所を正確に捉える。


そして脚の位置から、俺の予想よりも軽く拳三個分は伸びる硬い切先。
後ろに仰け反る事で拳一つ半。横にかわすには、拳一つが限度だろう。
では、俺はどうすればいい?
この少女の心を救えるのは、俺しかいない。俺には、愛する少女を救う力がない。
俺は、何のために生きているんだ?



[お題で妄想] その6の6


DAY 13


次がある、と思うから負けていた。
じいさんに使用人を全員集めさせ、手を繋がせて、逃げられない三重の檻を作った。
次は、なくなった。
眠れない。眠れない。眠れない。眠れない。檻の中で死ねば眠れた。眠れない。眠れない。
眠れない。眠れない。眠れない。眠れない。眠れない。



DAY 14


今は他人事のように、冷静に、勝者の強さと敗者の弱さを、振り返る事ができる。
全てが終わった。もう、俺じゃない。俺はもう、死んだのだから。


何故か、あの忌まわしい中庭へ足が吸い寄せられてしまっていた。
少女が、いた。俺は、凍ったまま門側へ後ずさり、一歩、二歩と、逃げた。
――逃げるんだ。腰抜け――
冷めた優越感に満ちた、だが、どこか淋しげな視線だった。
溢れる涙を、どうする事もできなかった。俺は低い階段に踵をつまづかせ、後頭部を打った。


もう俺は、おかしくなっていたのだろう。
深夜になって、使用人の目を掻い潜り、少女の寝室へ忍び込んだ。カギは、掛かっていなかった。
魔の柔軟性も、眠っていては発揮できないに違いなかったからだ。


月光に浮かび上がる、白猫の顔が散りばめられた、余りにも可愛らしい淡桃色のパジャマ。
毛布がはだけ、秘部を覆う下着の線すらも、うっすらと浮き上がっていた。
これからする行為に自己嫌悪を抱かせる程の、純真無垢な可憐さだった。
幾度も鼻に弾けた屈辱の拳の味が、劣情を更に加速させた。
その脚と脚の間に、火照った鼻をうずめようとしたその時だった。


少女の両眼は、見開かれていた。
「死んでいる」・・・俺は恐怖に弾き飛ばされ、硬直し、立ち尽くした。
死体は、起き上がった。少女は、眼を開けたまま眠っていたのだ。


俺は、ドアから入ってきた進路を真っすぐ後ずさり、廊下の壁へ頭をぶつけた。
「美しい弾丸」が、弾けた。天井まで飛び散る己の鼻血を、俺は眩む意識の中で眺めていた。
鍵が、大きな音を立てて掛けられた。
拳と鼻が触れ合う度に大きくなっていた、美少女への歪んだ恋心。
完膚なきまでに打ち砕かれた肉体と心に、噴き出す鮮血と涙が止まらなかった。


破裂音を聞いた使用人に気付かれたのだろう。じいさんが、呆然と座り込む俺の前に立っていた。
重い門が閉ざされ、閂が下ろされた。その上から、荷物袋と分厚い札束が、投げ付けられた。


どのような屈強の戦士も、眠っている所を襲われれば、無力な赤子に等しい。
少女は自己の身を守る防衛線を、一日中、ひと時も休む事なく張り巡らせていた。
悲しき氷の姫君。必殺の武器はその「柔軟性」、無敵の防壁はその「悪意察知力」だった。
涙がまた溢れてくる。屈辱も、恐怖もあった。だが、何がこの子をこうさせてしまったのだろう。
可哀想だ。余りにも、哀れでならない。あの子を救えなかった無力感に、俺は打ちひしがれた。


苔の生えた、土ぼこりまみれの、どこかの朽ちた納屋で、これを書いている。
荷物袋をまさぐると、黒い手帳が出てきた。最後までめくると、白紙ではないページが、もう一つだけあった。


<ボゾルグ王の治世13年 12月21日>
私は昨日、お父さんを殺した。
寝室にお父さんが来てくれたのなんて、何年ぶりだろう。
お父さん大好き、大好きと、私はその逞しい胸に飛びこんだ。
私は、泣いた。
愛しているよと、お父さんは言ってくれた。
お父さんに抱かれて、涙があふれて止まらなかった。
だけど、何かが違った。
お父さんは、火のように熱い舌を、私の汚いところへ伸ばした。
お父さんは、私を「女として」抱こうとしていた。
お父さんの鼻が、ぱりんと砕けた。
壁に押し付けて、鼻を、殴って、殴って、殴った。
殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴った。
お父さんの鼻がぱんぱんに腫れて、熟れすぎたトマトみたいに、ぐにゃぐにゃになった。
使用人をみんな集めて、動かなくなったお父さんを見せた。
お父さんの鼻を、殴って、殴って、殴った。
殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴った。
殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴った。
お父さんは、もう二度と動かなくなった。
私は、泣いた。
泣いて、泣いて、涙が枯れて目が覚めたら、泣く声の出し方さえ、忘れてしまっていた。


笑っちまう程の、人間の出来損ない。俺と、全く同じだ。違うのは、こいつは死んで、俺は生きてる。
なぜ、神は俺の身体を生きさせているのだろう。そろそろ、休みをくれ。



[お題で妄想] その6の7


DAY 15


どこへ行くのかさえも、決めていなかった。ただ、この街から、逃げたかった。
どこか遠くへやってくれと札束を寄越すと、御者は悲鳴を上げて、こんな大金は受け取れないと言った。
一番上等な酒を買ったのも、早くこの金を使い切りたかったからだ。全てが、どうでもよくなっていた。


その時、一条の光が俺の眼を撃った。光輝の主は、真っすぐに歩み寄ってくる。天使は、髪を下ろしていた。
道行く全ての人間がその神々しい美に足を止め、美少女の後ろに、無数の石像が造られていくようだった。
自嘲に凍え切っていた熱血の炎が、爆裂し燃え上がった。俺を追って来てくれたのだと、信じて疑わなかった。
俺は辻馬車から飛び降りると、愛する少女の名を叫びながら、両手を振って駆け寄った。


氷の眼は、俺ではなく、「進行方向の一点」のみを見据えていた。
白銀の大瀑布は俺のすぐ横をすれ違い、乾いた風に舞いながら遠ざかっていった。
完全なる、無関心だった。
憤怒、憎悪、殺意・・・熱血の炎はどす黒い狂気の豪炎と化し、獣の叫びが街に木霊した。


握り潰した酒の瓶を両手で腰溜めに構え、背後から全体重を載せて突きかかった。
格闘家としての誇りも、何もなかった。ただ、振り向いて欲しかった。


煌めく銀のカーテンを割って、必滅の左拳「美しい弾丸」が、「真後ろ」へと撃ち抜かれた。
少女の「柔軟性」をもってすれば、操る関節の向きなど、瑣末な問題だったのだろう。
鉄壁の「悪意察知力」は、少女にその可憐な顔を振り向かせる必要すら与えなかった。


一瞬の浮遊があった。着地の勢いで、更に転げてうつ伏せになった。鼻がへし折られたのが、自分でもわかった。
銀のシルエットが、紅く歪んだ視界の中で、小さくなっていく。俺はもがいた。
衆人環視の中、酒瓶の破片にまみれながら、少女の名を泣き叫び続けた。
少女は、自らを殺そうとした相手に一瞥もくれず、そのまま俺の視界から消えていった。


俺はこの街の神殿へと送られた。未遂とはいえ、殺意は明らかで目撃者も多かった。そして、俺が罪を自ら認めた。
これから待っている処遇は、俺が神官だった頃、悪人共を裁いたものと全く同じだろう。書く必要はない。
日記も今日までだ。



DAY 97


俺の人生は何だったのだろう。
もうすぐ、俺は故郷へ帰る事になる。死罪人として。


奴らに与えられ続けた屈辱は、言葉では表せない。


俺はやり場のない憤怒と少女への想いを、人生を賭けて極めた技に込めて、奴らにぶつけた。
一人ずつ、首を極めながら全体重を掛け、頭から石の床へ叩き付ける。
かつての一番弟子、バーランの命を奪った、忌まわしい禁じ手だ。
四人投げた後、止めに入った神官達にも、次々と同じ技をかけた。何人投げたか、覚えていない。
囚人・神官殺し・・・その罪は、俺を己の育った大神殿の独房へ移すに充分だった。
唯一、罪人を「殺す」事が許されるのは、首都メシュキー=デラーズ大神殿のみ。


全てが、終わった。



DAY 1025


<ガルブ王の治世2年 12月20日
天職を、見つけたと思った。
何十人殺しても構わないどころか、褒められるだなんて、最高だと思った。
神殿に殺巫女という役目があるなんて、知らなかった。
だけど暴力にも、もう飽きてきた。
どんなに楽しい遊びも、続けていれば飽きてしまう。
だから、あなたが最後の相手。
あなたがここへ来るのを、ずっと待っていた。
逞しいあなたに、お父さんの面影を重ねていた。
ありがとう。恩返しをさせて。私の心のお父さん。
血の赤って、意外とペンにのりにくい。
左手の指で直接書くことにする。
どう?お鼻、気持ちいい?
あなたの大好きな「美しい弾丸」、おいしい?
この口枷、あなたの為に手作りしたのよ。
折れた鼻だけでおいしい血の空気を吸いながら最期を迎えるなんて、素敵でしょ?
何か、書き遺す?
生まれてなんか来なければ良か
つまらない。
あ、死んじゃった?
良かった。
ホッとしたらおしっこしたくなっちゃった。
その間に、考えておいて。
お皿から溢れるぐらい出たね。
じゃあ、書いて。
面白ければ藁の枕で一発、つまんなかったら鉄の枕で五発、さっきと同じよ。
俺は今、懐かしい大神殿の地下にいて、与えられない死を待っている。
この日記は誰が読むのだろう。
もし、未来ある神官が読んでくれるのならば、俺のようには、決して
つまらないわ。
あなたと、最期まで一緒にいてあげるから。
書いてみる?
誰か殺してくれ
目の前にいるのが、あなたの愛した処刑人よ。

スレ企画[お題で妄想]その5

[お題で妄想] その5の1 「巨乳」「ハードパンチャー」「強いという自覚のないおっとりお姉さん」
「男子プロボクサーがフルボッコにされる」「お姉さんは経験はあるけど浅い」


(>>1注※この回は、○○に皆さん自身の苗字や愛称を、□□に皆さんの好きだったり憧れる女の子の苗字や愛称を
それぞれ入れてお楽しみ下さい。例えば、エディタに一回貼り付けて置換機能を使うなどするとスムーズです)


「鮨匠 たか居」
――ああ、見栄なんか張るんじゃなかった・・・!回らない寿司屋に行く事じたい、俺の人生で初めてなのに・・・
男は、己を威圧するかのように見下ろす、檜一枚の看板に圧倒されていた。拳を握り締め、気合いを入れて戸を開く。
――男だろ、○○!・・・憧れの□□先輩と二人きりの時間を過ごせるなら、何も惜しい事なんてないはずだ!


・・・


「○○クンは飲み込みが早くって、うらやましいなぁ。私なんかさあっ・・・三年目なのに怒られてばっかりよぉ」
「いや〜、僕の力じゃないです・・・□□先輩の教え方が良かったんですよ」
「こぉ〜らっ!ホメても何も出ないぞぉ、少年?・・・でも、うれしいな。あっ追加で・・・エンガワと大トロとウニ!」


熱燗から漂う湯気に、美女の眼鏡がうっすらと曇る。所々、値札の付いていないネタがあるのは恐ろしかったが・・・
こんなにも麗しい先輩と二人きりの寿司デートをする日が来るなんて、もう死んだって構わない・・・そう男は思っていた。


男は新入社員兼プロボクサーだった。いくら客の前で試合を見せる「プロ」とは言え・・・ジムの取り分を引いた
ファイトマネーは、本当に雀の涙のようなものだ。大学時代に四回目の挑戦で何とかライセンスを取って以来
一度もその昇格はないのだから尚更だ。少なくとも一試合分の手取りが、今夜で丸々吹っ飛ぶ事は確実だった。


男が働く会社は、古くからプロボクサーの積極採用を行っている。
扱う商品について精通して貰うには、それに対する興味関心の高い若者を・・・と言うのが、会社の狙いだ。
実際、上限年齢以下の本社勤務社員の、半数以上がライセンスを持っている。つまりプロボクサーだ。


高い安全性と確かな耐久力には定評のある、設立86年の歴史ある総合ボクシング用品メーカー「ダンシング」
「蝶のように舞い 蜂のように刺す! DANCING」のCMで、一躍世間の注目度を上げている。


ここ十数年の観客スポーツ人気低迷のあおりを受け、ボクシング興行界自体もかつての勢いを失いつつあった。
拳に夢を感じられなくなった若者のボクシング離れによるジムの閉鎖も相次ぎ、ダンシング社は業績低迷に喘いでいた。
・・・二年前、あの広告、そしてCMを打つまでは。


自社の製品試験室のリングを舞台に、一人称視点によりギャラを節約し、ただ一人のモデルにも社員を起用する
徹底的に制作コストを抑えようとした上層部の苦肉の策が、思わぬ効果を呼んだ。


おっとりとした柔らかな佇まいながらも、眼鏡に知性を感じさせる「その女性」が、ボクササイズ用品の広告モデルとして
女性誌やボクシング雑誌の紙面に登場すると、徐々に業績の低迷は止まり・・・
CMの放映を皮切りに日本全国でボクササイズブームが爆発的に再燃し、注文の電話がけたたましく鳴り響いた。
その女子新入社員は、まさにダンシング社を救う勝利の女神だったのだ。


男に□□先輩と慕われる女子社員は、短大卒の入社三年目だった。
男は大卒の入社一年目。年齢は変わらないのだが、彼女の方が業界の先輩にあたる事になる。
□□先輩、○○クン・・・研修の中での呼び合いが、お互いの距離を幸せに縮めていき
自然と社外での付き合いも多くなって、こうして一貫いくらとも知れぬ寿司に挑んでいる今の二人があるのだった。


――それにしても、気っぷの良い食べっぷりが止まらない・・・そして、この引き締まったウエストだ・・・
――健康と綺麗を維持するトレーニングは、今も一日たりとも欠かしていないのだろう・・・
――お魚くん達も本望だよな。こんなにも芸術的な肉体の一部となって生きられるのだから・・・



[お題で妄想] その5の2


思わず、いけない事だとはわかっていても、その豊満な胸元へ視線が吸い込まれていってしまう。
内側から突き上げる重厚な肉の圧力に、紺色のジャケット、その一番上のボタンが今にも弾け飛びそうだ。


「ん?○○クン・・・どったの? はっはぁ〜ん・・・さてはぁ〜、お姉さんの魅力にノックアウト寸前なのかなぁ?
・・・お〜っと○○選手!□□選手のパンチの前に滅多打ちだぁ〜!一発!二発っ!三発ぅっ!次々と顔面を捉えるぅ〜!」
そう言うと彼女は、右ストレートの真似で、その白い拳を鼻先へ一度、二度、三度突き付け・・・
「物凄い返り血です!たまらずレフェリーが止めに入るっ!あ〜っと、フィニッシュの右ストレートが決まったぁ〜!」
四発目は、優しく鼻の頭に触れ、軟骨をグッと潰した。酢めしの匂いと心地良い圧迫痛が、男の鼻腔をつぅんと刺激する。


「はぁうッ、ふうっ・・・!たは、たはは・・・!よっ・・・よっ、ぱらっ、ちゃったのかな、□□先輩・・・」
男は己の視線の行方と、テーブルの下に隠されてはいるが今にも暴発寸前の己自身に赤面し、慌てて眼を逸らした。
――白くて、本当に綺麗な手だ・・・学生の頃ボクシングをかじっていただなんて、とても信じられないよ・・・
――食べる仕草も本当にセクシーだな、と思う・・・この、顎のほくろのせいかな・・・横に二つ、並んだ・・・!?
――横に二つ・・・!?まさか・・・!!


ドクンっ・・・!!
その艶ボクロへ記憶がリンクした瞬間、停止した血流が下半身へ殺到すると共に、男の視界が真っ白にフラッシュした。
咄嗟にお茶をこぼしたのは、男の人生最高の機転だった。ズボン表面にまで染み出た、その情欲の白濁を隠す為に・・・


・・・


結局、「男としてここは払わせて下さい」「私の先輩としての立場はどうなるのよー」などの会話を経て
ワリカンにされてしまった・・・だが、男はもう支払いの事など忘れ、ただ、自室のモニタへと全神経を集中させていた。


カーン!!
甲高いゴング音が、視聴者の注意をモニタに一気に惹き付ける。
カメラが「健康美」という語をそのまま具現化したような美女を下から舐め回し、三箇所にパンしてくる。


「蝶の・・・ように・・・舞い・・・」
リングを蹴るシューズ、ヒップを柔らかく包むトランクスと引き締まった腹筋、グローブの奥に揺れる二つの果実
それらが、社長本人による渾身のナレーションに合わせてスローモーションで映し出され・・・
特にその、スポーツブラに明らかに収まりきっていない圧倒的な肉質の躍動感に、視聴者は男女を問わず釘付けになる。


「蜂のように・・・」
カメラは、ほくろも艶やかなその唇から胸元へかけて固定される。そして、真っ赤な練習用12ozが下から持ち上がり・・・


「刺す!!」
一瞬のステップインの直後、全ての教則ビデオに載せたい程に美しいフォームの右ストレートがカメラへ迫り、炸裂する。
直撃のインパクトでヒビが入るという「画面演出」の後、見上げた眩しい照明をバックに、社名ロゴが表示される・・・


風呂上がりに、最高画質で録画した我が社のCMを堪能する事が、男の日課だった。
モニタに思い切り顔を近づけると、スピーカーから轟く、対戦相手・・・男の鼻骨の砕け潰れる生生しい「効果音」が
その正体を完全に把握しきってもいない男の内なる昂奮を更に高め、帰宅後最初のノックアウトへと導いて行く。


筋金入りの変態貴族達が集う、とあるネット上のフォーラムでも、それは伝説として語り継がれる映像だった。
女性の唇までしか映っていないので、「ダンシングの二連艶ボクロの子」については、様々な憶測が飛び交っていた。


そう、男はCMの美女・・・その右ストレートに心を撃ち抜かれ、ダンシング社の門を叩いたのだ。
――「ピンポーン・・・私が『ダンシングの二連艶ボクロの子』よ。ふふ、驚いちゃった、かな・・・この事は、内密にね」
男の上ずった声に、視線を宙に遊ばせつつ答える美女の表情には・・・どこか憂いが含まれていたような、そんな気がした。


そして現在、入社前から実はお世話になっていた彼女の指導のもと、男は充実した社員生活を送っている・・・
――□□先輩の秘密を知っているのは、俺だけなんだ・・・!
その深夜・・・男は、「しからば掲示板」の、何とも欲望に正直すぎるタイトルのスレッドを閉じると
無上の幸福感と共に、本日四度目、帰宅後三度目のノックアウトを果さんとしていた。



[お題で妄想] その5の3


男に、世間一般の人間には到底理解し難い、「その手の」特殊な嗜好があった事は事実だ。


だが、男は高校・大学とボクシング部に所属し、ボクサーとしてのキャリアは変態としてのそれよりも長かった。
プロでの戦績は2勝2敗0KO。派手なダウンもスリリングな攻防もない、全てが余りに地味で、無味乾燥な試合だった。
男のような「華のない」ボクサーに、次の試合が組まれるという保証はない・・・
しかし僅かなりとは言え、拳で金を稼いでいる「プロボクサー」としての自分を、男は誇りに思っていた。


男は見抜いていた。華やかな胸元にばかり視線が行きがちだが、ハードパンチャーに必要な筋肉が充分に走行しており
その上に、豊かな脂肪が乗っている事を。日々のトレーニングを欠かしていない証拠・・・彼女もまた、ボクサーなのだ。
同じリングに立ち、彼女のボクシングを感じたい・・・その純粋な闘魂に燃えていた事も確かだった。


翌週・・・勇気を振り絞って、男はスパーリングを直訴した。絶対に顔は打ちません、怪我もさせませんから・・・
いくら懇願しても、土下座すらしても、美女は頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。
だが、彼女は断り切れぬ優しい性格・・・正体を明かした以上、男がこうなる事も想定し、ある物を予め用意していた。
「早まらないで、これを見てから・・・考え直して、ね? これからもずっと○○クンと、一緒に働きたいから・・・
それから、これは『社外秘』・・・誰にも、絶対言っちゃダメだからね・・・『絶対』だよ」


そのほんわかとした母性的安らぎを感じさせる美貌に、誰もがボクシングをしていたとは、にわかに信じられない。
だからこそ、彼女のボクサーとしての資質を見抜く程の男ならば、当然そのお手並み拝見といきたくなるもの・・・
女性と、それもこんなアイドル顔負けの美女と拳を交える機会など、ありえないからだ。


彼女自身、この手段を使う度に、心の痛みを感じていた。このディスクは、彼らに美女への「恐怖」を植え付ける事で
挑戦を諦めさせる・・・つまり、彼らが男の世界で築き上げてきたプライドを砕く事に繋がりかねないからだ。


・・・


男は、大きく深呼吸してからディスクをセットし、再生ボタンを押した。それは、彼女と、彼女が打ちのめしたカメラを
リングの下から別のカメラで撮影した記録映像・・・言わばCMのメイキングビデオだった。


画面の中の彼女は、明らかに緊張していた。12ozとその双果が、ぷるぷると震えている。
「ねーちゃん、□□さんって言うたっけ?ごっついパイオツやなあ・・・まるでメロンやでしかし!」
「わっわわわ、カントクさん!あんっ、もうっ・・・どこ触ってるんですかっ!」
「ふっ・・・そうや、その意気や。あのレンズをわいのドスケベ顔やと思って・・・思いっきりカマしたりや!」
「・・・はい!」
被写体の緊張を解きほぐす、絶妙の手腕・・・だけど幾らなんでも、それは揉みほぐし過ぎだろうと、男は思った。
「よっしゃ!カーン!と鳴ったらタッターッ!とフットワーク!こいつに向かってバシーッ!それでいってみよか!」


和やかな撮影風景は、その爆裂音によって修羅場と化した。
カメラが、激しく動揺しながらもう一人のカメラマンへ駆け寄る。まるで爆破テロ直後のような緊迫感が現場を支配する。
カメラマンはコーナーに後頭部を強く打ち、重いカメラに潰された頭の下には、ガラス片混じりの血だまりができていた。
思わずその場に座り込んでしまった美女の姿はフレームから消え、スタッフの阿鼻叫喚だけをマイクが拾っていた。


余りにもリアルにひび割れた画面は、「演出」などではなかった。
朴訥な彼女は、ゴングを聞くとCMディレクターの指示通り右拳を撃ち抜き、分厚いレンズを叩き割ってしまったのだ。


それでも、凄まじくキャッチーな映像が撮れた事で、高額なカメラ代は個人の弁償沙汰にはならなかった。
実際、現在のボクササイズ教室でのシェアの拡大を考えれば、彼女は損害に余りある貢献を会社にしたといえる。


・・・


「おっはよー、○○クン・・・どうだった?・・・お姉さんとのスパーの件、あきらめて貰えたかな?」
男は震える手でディスクを返すと、眼の前の美しきハードパンチャーの前で、拳を持ち上げていた。
あの恐怖その物の映像を、何度も何度も眼に焼き付けるうち、魂の炎は益々どす黒く燃え上がっていたのだ。


「○○クン・・・あなたが、初めてよ・・・わかったわ。21時、リングに来て」
もはや、その身に直接恐怖を刻みこむしか、彼女には方法がなかった。



[お題で妄想] その5の4


ダンシング社には唯一の社内部活動があった。言うまでもなく、ボクシング部だ。
若いプロボクサー社員は、業務が終わればそれぞれの所属ジムへ向かう事もあって
現在は既にライセンスを失効した年齢の、ベテラン社員によるボクササイズ部と化している感もあったが・・・


本社ビル地下のエレベーターを出ると、非常階段とトイレへ続く廊下を隔てて、L字形の広大な空間が広がっている。
入ってすぐの左右には、当然全て自社製の各種トレーニング設備がひと通り揃っており
右奥、左奥、左奥の更に奥と、立派なリングが3基も用意されている。製品試験室も兼ねているのだ。
"L"の左辺外周には、バンテージから計量台まで、あらゆる自社製品がショーケースにずらりと並び
その空間は研究開発、商談から小中学生の社会科見学まで対応できる、多目的部室となっていた。


右奥の更に奥の空間は、天井まで聳える壁に仕切られ、カードキースリットと暗証番号式ロックに守られた
「立入禁止」の重そうなドアに仕切られている。恐らく、機械室か何かなのだろう・・・誰もが気にも留めなかった。


20時50分・・・眼鏡を外した彼女は、入り口から見て右奥のリングで男を待っていた。
「い、いくからね・・・よ、よけるか、ガードしてね・・・たぶん、すっごく、痛いから・・・」


カーン!!
高らかに響くゴングの音と共に、美女はその雄大な乳房を激しく左右に揺らしつつ、徐々に空間を食い尽くしていった。
まるで、迫る肉の壁だった。横に回り込むという発想すら、空間を埋め尽くすパンチの幻影に叩き潰されるようだった。
硬いロープが、男の背に当たる。たおやかな美女の激しい脚捌きが「前」へと切り替わり、隠された狂気が牙を剥いた。


コンビネーション、それもどの教則本にも載っている基本中の基本「ワンツースリー」・・・
たった三発のブローが、男の闘いの目標を、カウント10まで意識を保たせる事へ変えてしまっていた。
結局・・・返り血にまみれた美女本人による涙混じりのカウントは、7までしか聞こえなかった。


男が九死に一生を得た理由は、打ち合いを想定していた彼女が「眼鏡を外していた」という点にあった。


固く閉ざしたガードを易々と弾き飛ばす重い左ジャブは、練習用12oz二枚を隔てて、両手小指の爪すら叩き割った。
鼻骨を叩き割られる恐怖に、首を更に仰け反らせた事が功を奏した。目標を大きく上に外れた必殺の右ストレートは
顔面で最も堅牢な部分・・・額へ浅く炸裂し、皮膚と頭蓋の間の薄い肉質をグジュグジュに潰滅するのみに留まった。
止めの左フック・・・脳が激震し膝が崩れていた事も助けになったが、彼女の目測がやはり上に外れたのだろう。
狂気に加速した左拳は「打撃」から「斬撃」へ変貌し、右拳の一撃により真紫に内出血していた額を、横一文字にかすめた。
噴出した鮮血は、男の視界を赤いカーテンを下ろすかの如く染め抜いた。


短大でボクシングを始めた彼女の、対プロボクサー生涯戦績は、これで2勝0敗2KOになった。
かつて彼女の「肉体」に惚れ込んだジムの会長が、話題作りの為に男子とのエキシビションを組んだ事があった。
相手は「見に来てもらってドゥームすいません」のマイクで会場を極寒地獄に閉ざす事で恐れられた、ドゥーム一ノ谷だ。
ボクシング雑誌はページの欄外を使って、ドゥーム「失踪か」と伝えた。彼女の存在は、全く言及されなかった。
元々実力皆無の選手だった事もあって、すぐに存在自体を忘れられたが・・・真実は、違っていた。


両中手骨8箇所の骨折と、ドゥームの変わり果てた姿が、優しい彼女にこれ以上の拳闘技術の追求をやめさせてしまった。
結果的に、彼女のボクサーとしてのキャリアは浅くなった。だが、その魔拳の疼きは止まらなかった。


どのようなハードパンチャーも、パンチ力の100%を発揮しているわけではない。
自らの肉体の崩壊を抑える為の、本能のブレーキが掛かるからだ。だが、彼女は違った。
ゴングの音に反応して、理性の「タガ」が全て吹き飛び・・・野獣と化してしまうのだ。
異常な闘争本能が、自覚なく相手を叩きのめしてしまう。それも、KOという結果では済まない程に・・・
だから彼女は社外秘のディスクを使ってまで、リングに上がる事を避けてきたのだ。


「しからば掲示板」の某スレッドでも、CMのリアル過ぎる効果音に、本当に鼻を砕いてその音を録音したのではないかと
一時期話題になったが、その投稿者の冗談交じりの書き込みは、半分当たっていた。
あの生々しい壊滅音は、余りのハードパンチで12oz越しに彼女の拳の肉が潰れ、骨が砕ける音を拾っていたのだ。



[お題で妄想] その5の5


「すまんが□□君・・・私と資料室へ来てくれないか」
男の退院以来、初出社の日・・・課長に□□と呼ばれた美女は、胸騒ぎを抑えられなかった。
「まず、このサイトを見て欲しい・・・」
「えっ、こんな・・・!」
美女の両拳が握り締められ、思わず驚愕の口許を隠す。
「私も驚いたよ・・・人間の欲望というのは、本当に無限大だな・・・だが、問題はこの掲示板の存在じゃない」


「レス番9397・・・この男を、□□君は・・・知っているね?」
書き込み日時は、40分前、今日の昼休みだった。あのメイキングビデオも、地下リングでの血の惨劇も
興奮が収まらぬのか大量の誤字を挟みながらも、余りにも詳細に記録されていた。
「私もかつて、あのディスクを渡された身だ・・・君の力は知っている。彼には心苦しいが、社長直々の懲罰命令だ・・・
『終われば』、今日はもう帰っていい・・・後の『処理』は、我々がやる。よろしく頼む・・・暗証番号は、君の誕生日だ」


ダンシング社のグローブは、耐久性安全性こそライバル企業を圧倒していたが
それゆえにKO決着を呼びにくい事が、興行主からの不満としてあった。


社内ボクシング部、右奥の更に奥の空間は、よりスリリングなコーナー際での攻防を実現すべく
リング面から高さ250cmの鉄柱とコーナーマットを使用した、第四のリングだった。
社員による安全試験の最中、不幸な事故が起こり、余りの危険さに封印された魔性のリングは
来るべき「懲罰」の舞台として、人知れず残されてきたのだった。


・・・


「バンテージ、余っちゃったね・・・○○クンにも巻いてあげよっか・・・」
まず、左右の手首がトップロープに封じ込められた。
続いて、抜糸が済んだばかりの9cmに亘る裂傷を避けるように、男の眉のラインがコーナーポストヘと固定される。
「課長からこのカードキーを借りるときに聞いたわ。この部屋が使われるのは、初めてなんだって・・・」


「本当は、こうなる事が望みだったんでしょ?・・・変態クン」
男は恐怖に涙を流して必死に首を振ろうとするが、肉に食い込むバンテージがそれを固く阻んだ。
「でも、あのスレッドを見て・・・疼いちゃった。私も○○クンと同じ穴のムジナ・・・変態な女だったのかもね」


くいっ・・・
美女は見せ付けるように閃く眼鏡を直し・・・試合用8ozの紐を、口で固く結んだ。
「事務仕事で視力が落ちちゃってね・・・眼鏡をかけてボクシングするのは・・・○○クンが初めてなんだ」
自らの鼻に突き付けられる8ozに、男の情欲を何百回と打ちのめしたあのCMが、究極の臨場感と共に再生される。
「たぶん、すっごく、痛いから・・・・・・楽しんでね」


カーン!!
美女は弾丸の如く対角線上を駆け抜け、男の顔面の中心・・・鼻を、寸分の狂いも容赦も無く、ワンツーで撃ち抜いた。


左ジャブの直撃を受けた鼻骨は粉微塵に砕け、人へ決して向けてはならぬ初速で放たれた右ストレートの猛威は
硬いボクシンググローブとコーナーの狭間で限界を超えて圧し潰された男の顔面のあらゆる骨組織を木端微塵に爆滅し
行き場を失った鮮血は顔中の穴という穴、そして塞がりきっていなかった額の傷口から真紅のレーザーの如く迸った。
グローブ、頭蓋、コーナーの三重の防壁を貫通した魔の衝撃は、鉄柱を蛇の如く歪ませ轟音と共にリングを震撼させた。


止めは、テンプルやや下を突き上げるように撃つ、左のフックだった。
着弾点を中心にクモの巣状に頭蓋骨の破壊が進み、布は千切れ飛び、異音と共に男の首の筋肉が骨ごと断裂する。
異常に伸び切った男の首はコーナーに巻き付くように斜め後方へ吹き飛ばされ、鮮血の帯が壁一面を犯し尽くした。
そしてつま先が浮き上がり、鮮血噴霧器と化した男はロープに背中と両手首を支点としてぶら下がったまま、静止した。


溶岩の如く噴き上がった鮮血に天井のスプリンクラーが誤作動し、血に汚れたリングを洗い流していく。
冷たい水で我に返った美女は、熱い涙を流しつつ、男の残骸へと呟いた。
「私たちは、遅かれ早かれ、こうなる運命だった・・・」


グローブを脱ぎ捨てエプロンへ舞い降りると、彼女は男の右眼へ・・・眼球があった所へ、優しく、逆さまのキスをした。
どす黒い穴から血と脳漿の混じった液体がゴボゴボと溢れると、男は左眼に安らかな笑みを浮かべ・・・そっと閉じた。
「バイバイ・・・・・・大好きだったよ、○○クン」
美女は真っ赤に砕けた両拳で、その豊満な胸元へ男の顔面をかき抱いた。


後日、ボクシング雑誌はページの16分の1を使って、○○選手「失踪か」と伝えた。

スレ企画[お題で妄想]その4

[お題で妄想] その4の1 「指定RでのK・O予告」「ふかふかグローブ」
「ダウンを奪って無邪気に喜ぶ格闘経験なしのロリっ子」「教育するつもりが教育されてましたぁ〜〜ンッ!!」


<火曜日―a.m.08:25 廊下>


男は、高貴なる妖精たちの楽園を彷徨っていた。
「聖ロリス女子大学付属小学校」、通称ロリ小・・・小中高、そして大学まで一貫教育の、超名門女子小学校だ。
昨日のあれから一睡もできていない。充血しながらも虚ろな眼のまま、長い、ただひたすらに長い廊下を歩む男。


ごきげんよう、先生」「ああ・・・」
生徒の誰一人として、立ち止まり微笑んでの挨拶を欠かさない。歩く一挙手一投足に、気高い淑女の気品が漲っている。
――妖精・・・いや、これこそ淑女と言うのだな・・・将来、この国を支える逸材なのだろう・・・あの悪魔とは違って・・・
・・・「五の桜」・・・「五の蘭」・・・廊下の末端に近づくにつれて、足が、鉛の如く重くなる・・・「五の椿」を過ぎ・・・
女子トイレを挟んだその先が・・・「五の藤」。楽園は、ここまでだった。この扉の先は・・・地の獄だ。
冷たい取手に指を掛けたその瞬間・・・赴任当日、精神の奥深く刻まれた屈辱の記憶が、男の脳裏へフラッシュバックした。



<月曜日―a.m.08:20 五の藤>


「はっ、はっ・・・せーんせ、ごきげんよーっですぅ!」「・・・あ、ああ」
少女は、男を追い抜きざまにスカートの端を軽くつまみ上げ一礼すると、男の初舞台となる教室へ駆けていった。
その美は男に、返す会釈すらも忘れさせた・・・まるで、精緻なフランス人形・・・そのボリュームあるスカートは
白とエメラルドグリーンを基調とし、目が覚める程に華やかながらも、奥ゆかしい抑制の効いた清純美を醸し出している。
複雑にロールし絡み合いながら自らの膝まで伸びている、そのダークブラウンの髪がゆさゆさと揺れるたびに
ふうわりと思春期独特の少女のからだが発する匂いに混じって、微かなベルガモットの芳香が鼻腔をくすぐった。


――さながら、妖精達の女王だな・・・あの髪・・・何人がかりでセットさせるのだろう・・・ああ・・・いい、匂いだ・・・
小五女児の発する、五感を貫く圧倒的な官能美は、男に教師としての自覚を忘れさせるに充分過ぎた。
――はっ・・・!落ち着け、俺・・・!これじゃまるで、ロリコンだ・・・!相手は、子供だぞ・・・!
男は聖職者として、備忘録に「人形少女 服装注意」と書き込みながら・・・ズボンの中身の収縮を待たねばならなかった。


「勧迎 ロリコン変たいせんせい」
「五の藤」で男を待っていたものは、あの妖精の女王と、黒板に書かれた挑発的な文言だった。
目隠しをして左手で書いたような酷く歪んだ字で、しかも「歓」の字が違っている、などと言う事は瑣末な問題だった。
男は予想外の屈辱に我を失い、「己の名を名乗るより先に」その白線を消そうとした。
しかし、黒板消しは「ロリコン」の文字の上を虚しく何度も擦り付けるだけだった。


「くく・・・白のごくぶとペンでかいたから、きえないのですよ〜だ。ロリコンたいせーんせっ」
7名のクラスは、最前列に1名、二列目に6名が横並びになっていた。声は、男のまさに真っ正面から聞こえてきた。
――他の生徒を全員足しても及ばぬ、この存在感!・・・廊下の少女だ!・・・ドレスの胸の名札は、「皇みどり」・・・?
わずか7名か、さすがエリート中のエリートが鎬を削るロリ小と、男は驚いていたはずだ・・・本来の精神状態であれば。


「こ、『こう』?みどりさん・・・・・・すっ、座りなさい・・・!」
「ぷぷ・・・ぷきゃーっはははっはっ!! ひらがなもよめなくて、よくもせんせーになれたものですぅ〜!!」
よくよく見れば「皇」の下半分、「王」の部分の四つの空間に・・・「す」「め」「ら」「ぎ☆」と、書いてある。


「わたしは、すっ!めっ!らっ!ぎっ!!・・・みどりですぅっ!!バーカ!はーくちっ!むがくもんもー!!」 
飛び跳ねるたび、目と鼻の先で微かに、だが確かに揺れる胸を凝視する内に・・・男はまたも、興奮に息を詰まらせた。
「せーんせ、わたしの匂い、そんなによかったのですかぁ?・・・ふふ、この教だん、けったおしちゃおっかなぁ〜・・・
そのくっせーくっせービンビンちゃんを、白日のもとにさらされたくなかったらぁ・・・そこにはいつくばるのですぅ!」



[お題で妄想] その4の2


<月曜日―a.m.09:30 五の藤>


――俺は、今朝出会ったばかりの美少女に、罵倒され、土下座させられ、頭を踏まれ・・・ああ!あんな、子供に・・・!
男は一時間目の屈辱を無自覚に反芻しつつ、黒板の高さ70%を覆う屈辱の文字列から逃げるように
上下15%ずつの狭い余地を使って、怒りに震える右手で数式を書き始めた。


「よっこらせっくすっ・・・っとぉ」
机に小さなお尻を乗せ、教壇に細い脚を投げ出し、椅子を枕に堂々と寝そべる少女。
両手首までを完全に覆うスリーブから、百合の花の如く白く繊細な手指が伸び、机の上の漫画本を拾い上げた。
目的は一つ。言うまでもない・・・挑発だ。


――くそっ!こいつは、何様のつもりなんだ・・・うッ・・・!ロングスカートから、かぼちゃぱんつが丸見えだ・・・
――緑・・・いや、白か?何か、書いてあるぞ・・・
男は、幼き神秘に吸い寄せられていく己を、精神力で自制しきれなかった。
その異様な有様は、大きく葉を開いた食虫植物が憐れなる獲物を誘い込み、まさに捕食せんとする瞬間を想起させた。


「はじを知れ 社会のゴミ」
秘部を覆う薄い布に書かれていた悪意の呪文・・・その魔力は、男を激しく跳ね返し硬い黒板へ後頭部を激突させた。
自らの歯ぎしりで、奥歯が欠けそうだった。男は漫画本を没収した。淡い緑の付箋が貼ってある・・・嫌な予感がした。
「さっさと死ね ぱんつぐるい」
白いページに「予め」赤字で書かれていた12文字に男は悲鳴を上げて仰け反り、屈辱の黒板に再び頭を打って座り込んだ。


「すーっ・・・すぅー・・・ぴぃぃー・・・」
そのまま少女は寝息をたて始めた。男は教壇から身を乗り出し、漫画本を握り締めた怒りの拳を・・・やり場なく下ろした。
――抑えろ、抑えろ俺・・・!こんな程度の侮蔑で・・・あの「抑止力」を使うなど・・・ロリ小教師の名が泣くぞ!!
スカートとその内部から漂う魔性の芳香に、男は煩悶の50分間を過ごした。教科書は、予定の半分も進まなかった。



<月曜日―p.m.01:35 職員室>


「世界で通用する淑女になろう」
この学園の校是は、新年度から変わった。校舎設備も大規模な増築がなされたらしい。
男は新生ロリ小最初の新任教師である事に、無上の誇りを感じていた。
国内の女子教育の頂点を極め続けていたロリ学園は、更に全世界へとその野望の版図を拡げつつあったのだ。


職員室前、全校に一つしかない男子トイレ。吐き気を堪えつつ、冷水を頭からかぶって頬を濡らしていた涙を洗い流すと
男は興奮を押し殺し、憎っくき皇みどりの服装、そして教師への態度について問いただした。
瀬波洲一郎・・・珍しい苗字の、温厚そうな白髪の男だ。男の面接官を務め採用した、いわば心の恩師でもある。
「いいんですよ。あの生徒は・・・ええ、あなたが、気にすることではない・・・」
初老の教師は、何故か目を伏せたまま、消え入るような声で答えた。
――やはりそうだ・・・この男も腐っている。世界が憧れるロリ小淑女を育てる教師が、この体たらくでいいのか!?


男は己のデスクに戻り、時間割表を確認する。五時間目は、体育。種目は・・・ボクシングだと!?
教師の威厳を見せ付ける時がやって来た。男はそう思った。栄えあるロリ小教師として・・・そして、一人の男として。



[お題で妄想] その4の3


<月曜日―p.m.02:05 体育館・格技室>


吹き抜けの多目的球技室、そして階段を上った先にある、厳重な転落防止柵に守られた畳張りの格技室・・・
広大ではあるが、女子教育の頂点にしては、不自然な程に平凡だ・・・何だか、ガキの頃を思い出すな・・・そう男は思った。


「いいか、今日の体育はボクシングだ。では、各自自由にペアを・・・?」
皇みどりには遠く及ばないが、いかにもお嬢様然とした少女6名が2人ずつの三角形に並び、真新しい畳に正座した。
指示も言い終わらぬ内に、男は閉じ込められてしまった事になる。宿敵と二人きりの空間に・・・
「お手本がないとぉ・・・みんなわっかんねーのですけどぉ〜・・・アッタマぁ、だいじょうぶなんですかぁ〜?」
腕を後ろに組んだまま、可愛らしく首を傾げた少女の唇が憎々しく蠢く。ここまでは、何もかもが男の思惑通りだった。


理不尽な恥辱の拷問の中、男はこの少女を圧倒できるモノを必死に探し、思い付いた・・・それは「体力」だ。
――くく、魔女め・・・口は達者だが運動はどうだ?このミットを動かしてやる。無様に空振りしべそをかくがいい・・・


「青瀧院さん」
「はいっ!みどり様!」
手首を一人だけ袖の長い体操着で隠した妖精が、うやうやしく女王の足許へ跪いた。
皇みどりはその緑と白のボーダーニーソックスを脱がせただけで、ドレス姿のまま男と対峙した。


――貴様・・・!その、持ってきた体操着は一体何なんだ・・・!舐めくさりやがって・・・!
だが、巨大な明るいグリーンのグローブは、少女が生きた人形だとすれば、その構成パーツであったかの如く
その秘められた魔性とは真逆の静謐美に、余りにも自然にフィットしていた。
初々しく揺れる少女拳闘士のファイティングポーズに・・・男の息が、何故か荒くなっていった。


その舌で男を苦しめた少女も、背丈のある男を前にすると、小さな口を真一文字に結び唾を飲んだように見えた。
――もしかして、俺にプレッシャーを感じているのか・・・?
徹底的に虐げられ続けた男のプライドが0.9%から1.0%にまで回復したその瞬間、屈辱の舞は始まった。


ぐぼぉんっ!!
緑の塊が視界の中心で急激に膨張し、一瞬の柔らかな窒息感と共に、男の宇宙を暗く塞ぎ尽くした。
格闘経験の無い少女は、ボクシングというものを全く知らなかったのだろうか
あろうことか、構えたミットとミットの隙間・・・鼻面を狙い打ってきたのだ。


ぼふんっ!ぼむんっ!ぼすんっ!
踵の蹴りを加え、背伸びするように真っ直ぐ打ち出すパンチは
少女が要領を掴むにつれそのバックスイングを増していった。男の視界内でより長い軌道を加速し炸裂する顔面パンチは
結果的に「殴られる」という、男の人生最初にして最大の恐怖を爆発的に増幅させる事になった。


片膝を突いてしまったのは、生意気な美少女に打ちのめされ「怯えている」という、教師以前に男としてあってはならぬ
狂った現実から逃れようともがいた精神の摩耗からだった。背伸びの必要が無くなった少女は、唇を淫靡に歪めると
男の鼻面へ一切の遠慮も無く、左右のパンチを真正面から水平に打ち込んでいった。
おぞましくも、奇妙な光景だった。グローブが鼻を押し潰すのではなく、鼻がグローブにめり込んでいくのだ。
鼻骨の形にくっきりと凹んでは膨らみつつ戻され、再び迫り来る美少女の双拳に、いつしか男は涙に咽び震えていた。


――汗と香水の入り混じった、ミルクティーの香り・・・長髪とドレスの奏でる衣擦れのメロディ・・・
――そして何故か、少しの痛みも齎さない、儚い少女の非力の拳・・・その恐怖に石化している俺・・・!


落ち着け、恐れるなと意識する程に、視界に拡がる無痛無力の弾丸は男の恐怖心のみを正確に狙い撃ち腫れ上がらせる。
――まるでこれじゃ、俺はこの子の、サンド、バッ、グ・・・!?
脳裏に浮かんでしまったその六文字に、男の中で何かが切れ、手足の筋肉は痺れ切り芯まで石化が浸透した。


「ぷっ、ぷきゃははははははっ!! 男だから・・・おとなだからという・・・そんなくうっだらっねー理由で
ケンカこんじょーもねーロリコンクソムシがわたしたちにモノを教えよーだなんて・・・とんだおわらい草なのですぅ!!」


――全く、その通りだ・・・
男は前のめりに倒れ伏し、降り注ぐ甘酸っぱい汗のミストと無邪気に勝ち誇る少女の罵声を浴びるに任せていた。
脳が揺らされたからでも、骨を砕かれたからでも、激痛に負けたからでもない。
迫るグローブの視覚的恐怖、鈍く残響する破裂音、痛みのない・・・永久に心をすり潰し続ける拷問に敗北し
小五女児に嗚咽を漏らしてしまった自己否定の無限螺旋から抜け出す為、最後の精神力を振り絞って自らを倒したのだ。



[お題で妄想] その4の4


<月曜日―p.m.02:10 体育館・格技室>


「せ〜んせっ、これがふかふかちゃんじゃなくってぇ・・・『こっち』ならぁ、ど〜なっていたのですかぁ?」
皇みどりの罵倒は終わらない。グローブを外し、淡い緑の布が堅く巻かれた小さな拳を見せ付ける。
「うぅっ、ぐふぅふうぅうっ・・・!ボッコボコにっ、されていましたっ・・・!みどりちゃんにっ・・・!」


「くくっ・・・れーてんですぅ。もっとぐたい的に。それから『みどりちゃん』じゃない。みのほどを・・・しりなさい」
少女は左足の指で器用にも男の鼻中隔をつまみ上げ、額に唾を三連発で吐き掛けると、続けた。
「はがっ、はっ・・・!鼻がっ、へし折られっ・・・!鼻血で呼吸困難に陥りっ・・・!歯は一本残らず砕き尽くされっ・・・!
土偶のように腫れ上がった眼でみどり様の麗しいお姿を見上げながらっ・・・!悶え狂っていのち、ご・・・?」
泣き顔を隠すように伏せながら絶叫を絞り出すうちに、皇みどりとそのクラスメイトは階下へと降りていた。


くすっ・・・
「そうぞう力だけは、合格ね」
左肩からグローブの紐を下げた美少女は、勝利者の愉悦に満ちた微笑を湛えながら去っていった。


「ぬうぐおおおおおっ!!!!」
男は畳に拳を叩き付け、浮き上がった足下の畳に跳ね飛ばされ、また泣いた。



<月曜日―p.m.11:00 職員室>


男は全ての放課後業務を放り出し、泣き喚く内に公園で眠ってしまった。
泣き腫らした顔を他の教師に見られる事が、恐かったのだ。
そしてタイムカードの押し忘れを思い出し、今になって戻ったのである。幸いにも鍵は開いていた。


――まだ誰か、教員が残っているんだな・・・
奥の部屋の「誰か」に見つからぬよう帰ろうとしたその時、火災警報ベルがけたたましく鳴り響き、すぐに止まった。


――なんだ、誤報か・・・
出入口横の火報盤は、手動で復帰させる必要があった。点滅しているのは・・・「地下格技室」?
何故か火報盤の真下に「偶然」落ちていたその未知の施設の資料に・・・男は狂気の笑みを浮かべつつ、職員室を後にした。



<火曜日―a.m.08:35 五の藤>


四半世紀以上の昔・・・徹底的な廃絶が行われた抑止力があった。児童の凶悪犯罪多発を受け
長年の議論の末にその力は再び合法化されたが、校則にそれを明記する学校は殆ど無かった。
ごく一部の名門校を除いては・・・


取手から思わず指を離し駆け込んだ女子トイレで、男は襲い掛かる胃痙攣に流し込んだばかりの朝食を戻しつつ
始業のチャイムを聞きながら、教育崩壊を防ぐ最後の手段・・・「暴力」の必要性を感じていた。


黒板の文字列が、二字だけ増えていた。
「勧迎 ロリコン変たいマゾせんせい」


「変たい」の「い」と、「せんせい」の最初の「せ」に跨るように、新品のチョークの「側面」を使って
黒板の高さ一杯に縦書きされた、その太い赤字の二文字に・・・男の激情は、ついに弾けた。


「す、め、ら・・・ぎィーーーッ!!!」
少女は砕けた赤いチョークの破片を、卑猥な表紙の雑誌で防いだ。
「くすくす・・・やかましいったらありゃあしない・・・そんなに大声を出さないでほしいのですぅ。ちこくマゾやろう」


淡い緑の付箋・・・男は胸騒ぎと共に雑誌をひったくると、三たび黒板に後頭部を痛打する事になった。
――何だこれは!?この悪魔、皇みどりが・・・リングの上で読者へ、俺へ右ストレートを打ち込んでいる・・・!
男は知らなかった。「コラージュ」と呼ばれる映像技法を。
飛び散る汗の飛沫まで精巧に造られたその一枚を、男は紙面中央に鼻を押し付けるように凝視し続けていた。


男は、数十発という被弾の衝撃を完全に吸収し心のみをズタズタに引き裂いた、魔性のグローブに視線を集中させた。
紙面の少女の左手首に目をやると、ロゴには、"J.A.D.E. the Absolute"とある。
「んふふ・・・いつまでおっきっきーさせながら見てるのですかぁ?サボりマゾやろう」
少女は男から雑誌を取り上げ・・・
「ぐぼぉんっ!!」
パンチ音の口真似と共に男の顔面へ突き付けた。男は四たび叩き付けられ、落ちた黒板消しの白煙にまみれた。


「んふふ・・・いきたいとこがあるんじゃないのですかぁ?ちこくサボりマゾやろう」
――こいつ・・・知っている!!


――この時間は「道徳」・・・あの悪魔に、これから拳で「道徳」を叩き込んでやる・・・
――聖職者として、男としてあってはならぬ、この美少女へ芽生えてしまった感情・・・恐怖、そして背徳の憧れ・・・
――今こそ、最後の手段「体罰」の禁を解く時だ。俺は暴の力をもって、この渦巻く感情に決着を付ける!



[お題で妄想] その4の5


<火曜日―a.m.08:45 体育館・地下格技室>


格技室の真下の空間は体育倉庫になっている。
男が搬入口だと思い込んでいたシャッターの先には、地下のリングへと繋がる階段が伸びていた。
――ボクシング授業は昨日始まったばかりのはず・・・何故この少女は、こんな場所を知っている・・・?


「よぉ〜〜っく、調べるがいいのですぅ。いまのうちにこーさんすれば、許してあげますぅ・・・おしっこ一気飲みだけで」
清潔な淡緑色のリングに駆け上っていた男は、可憐な妖精の下劣極まる言霊に思わず仰け反り、五たび後頭部を打った。
――畜生・・・!あれ、痛くない?コーナーマットって、こんなに柔らかい物だったのか・・・
ロープの縦の間隔が狭い、恐らく児童用のリングに文句は無かった。他は・・・?
マットを踏み付ける。鉄板でも仕込んであるのかと思えば・・・畳より僅かに硬い程度の、適度な弾力だ。


皇みどりは長袖体操服の少女にリングシューズを履かせつつ、張り詰めたグローブを押し合わせ、淫靡に歪ませていた。
――"absolute"だったか・・・凄いグローブなのは昨日でよくわかったが、くく・・・大人の俺が手にしたらどうだ?
――大怪我をさせず、この生意気で・・・悔しいが整ったツラを、思いっ切りぶん殴れる・・・!


男には知る由もなかったが、スポーツ用品メーカー"J.A.D.E."は、とある世界有数の宇宙開発企業の子会社だった。
今年の3月に実用化されたばかりの"the Absolute"は、24オンスのサイズながらも実際の重量は6オンスにも満たない。
しかも衝撃に反応し、ナックル部分へ内部の超々低反発流動性素材が集中する、まさに絶対的な安全性を誇っていた。
唯一の難点は、コストだ。誰もが提示された数字の桁にまず驚き、そしてその単位がドルである事に更に仰天する。
現在はロリ小だけとは言え、このグローブの存在により今年から名目上、小学校教育にボクシングが認められたのだ。


俺にもそのグローブを、そう言いかけたまさにその時・・・美少女から投げ付けられた鉄球に、男は悲鳴を上げた。
男は"24oz"と書かれたその黒い球体を叩き合わせ、耳を劈く衝撃音に、六たびコーナーへ後頭部をめり込ませた。
――ふ、普通の、グローブ・・・オンス数が多い程、とは言うが・・・この小悪魔にとって、この重さは、凶器・・・!


「んぷぷっ・・・とっくにはいしゃけってーのカスには・・・そいつで十分なのですぅ・・・!」
「はらわたが煮え繰り返る」という言葉の意味を、男は暴れ狂う呼吸で実感していた。
この期に及んで少女は、自らを体格で圧倒する男へ、グローブによる絶対的な「ハンデ」を与えたのだ。
少女は愉悦に満ち満ちた嘲笑を堪え切れないのか、その巨大な右拳で口許を隠し、憐れみの眉を男へと向けた。


視線に迸った少女の濃厚な悪意は、男がこれまで必死に繋ぎ止めてきた、聖職者としての最後の自制心を焼き払った。
――ああ・・・わかったよ。皇みどり・・・教育現場に、事故はつきものだからな・・・


エプロンサイドまで上がった少女が目配せすると、何故か幽鬼の如く憔悴しきった、白髪の男が現れた。
「せばすちゃん・・・どんなことでもわたしの命れいにしたがう、あやつりにんぎょうよ。ね、せばすちゃん?」
「はっ、お嬢様・・・」
老人は左手にゴング、右手に木槌を持っていた。


「せっ、瀬波洲先生!?・・・この、クソ女が・・・!!」
「わぁ〜こわいですぅ〜・・・おーこったっ♪あそぉれ、おーこったっ♪ だいじょーぶですよぉ?だってぇ・・・
リングに入れるのはぁ、はいつくばったせんせーをカウントさせる時だけですからぁ・・・ね、せばすちゃん?」
「仰せのままに・・・」
ラウンド2分、インターバル1分・・・瀬波洲からなされた長々しいルールの説明は、全くの無意味だった。
男と少女という当事者同士の耳に、全く入っていなかったのだから。その理由は、両極端だったが・・・
「ふわ〜ぁ・・・ったく・・・おいぼれのしょんべんと話は長すぎてたいっくつでしかたねーのですぅ・・・
せっかくのじゅぎょーなのですからぁ・・・ルールはせんせーに、からだで教えこんでもらわないと・・・ねぇ?」


「教育を侮辱した罪は重い・・・1ラウンドで血の海に沈めてやる」
少女は残忍な憐れみの眉を崩しもせず、その淫らに歪みきった唇を隠していた右拳を、垂直に突き上げた。
「なら、わたしは7ラウンド・・・『7ラウンドめ』で、せんせーをころしてあげる」
そして高らかに自らのKO宣言を済ませると、対角線目掛けて右拳を引き絞り・・・
「ぐぼぉんっ!!」
パンチ音の口真似と共に開放した。男は我知らず、またも後頭部をコーナーへ・・・これが、七度目だった。



[お題で妄想] その4の6


<火曜日―a.m.08:55 体育館・地下格技室>


「わたしの着地からぴったし60びょーが、ゴングですぅ。せばすちゃん・・・にびょーずれたら、ここでぼくさつよ」


少女はトップロープに両拳を乗せ反動をつけると、大輪の花の開くが如くスカートを翻し、優雅にリングインした。
トンッ・・・
男は、昨日とは違う秘部を覆う深緑の布地に、込み上げる感情を抑え込むように少女を睨み付けた。
――相変わらず、恐ろしい程に見事なドレスだ・・・馬鹿め、自らの血で汚される事を全く考えていないのだろう・・・
――それに、ロープより高く飛んだようには到底見えなかったが・・・まあいい。こいつはリングに沈むのだから・・・


「あっ、そーですぅ・・・せばすちゃんに持たせてあるのでしたぁ」
老人は、今にも泣き崩れそうなその顔を隠すようにそれを掲げ、木槌へと持ち替えた。
「すぐに楽になれる、くくっ・・・まほうのカプセル。ただし・・・一回だけ。よ〜〜っく、かんがえるのですよぉ?」
真っ白な顆粒の詰まった緑と透明の、4粒・・・男はその意味する所を、一瞬で把握した。
――屈辱にまみれ、自ら死を願い・・・!涙を流しながらそれを飲むのは・・・きっさ、ま・・・!?


カーン!
少女はゴングの前に駆け出していたのか、いきなり男の右足が踏まれた。遠心力を活かしたスイングブローが左耳へ迫る。
ぼっふぅんっ・・・!
痛みは無く、あの忌まわしい打撃音だけが、耳道内へ直接ねじ込まれた。思わず両手でトップロープへ掴まれば
左のグローブが真正面から視界を覆い、男は暗い翡翠色の窒息感と共に、背中をコーナーへ磔にされていた。


ぼぐんっ!ぼぐぅんっ!ぼっぐぅんっ!
男の顎を無数に襲うそれはアッパーカットと言うよりも、真上へのストレートに近かった。
骨伝導により、一撃ごとに破裂音の残響が頭蓋内で複雑に絡み合い、あってはならぬ感情が再び芽生えつつあった。
甘い吐息の香すら感じられる程に接近した少女。その身体の余りの儚さに抵抗は虚しく空を切り、両腕は少女の長髪へ・・・


――ロリコン変たいせんせい
蘇る屈辱の文字列に、男の両腕は静電気に弾かれるかの如く宙を彷徨い、そして両足に痛みが走った。


少女は、男の両足の甲へ飛び乗っていた。ボクシングを全く知らないからこそできる、魔性の攻め手だった。
ぼぐっ!ぼすぅ!ばむっ!ばふぅっ!
顎を支点に垂直に弄ばれていた男の顔面とプライドが、今度は両の頬を標的として左右から水平に苛まれる。


――反則だ・・・!はん、そ、く・・・!?
男は少女の言葉を、そして己の立場をやっと思い出した。
――ルールを教える教師は、俺・・・!この悪魔は、何も知らないのだ・・・!
魂の奥底へ、深く深く植え付けられた恐怖の根は、そう簡単には消えなかった。強烈な胃痙攣が男へ襲い掛かる。


更に少女はボトムロープへと足を掛ける。薄いドレス越しに胸が密着し、ついに劣情混じりの恐怖が男を支配し始めた。
ばむぅっ!ぼすぅんっ!ばむぅぼすぅんっ!ぼむぅばすぅんっ!
身長差も、教師と生徒の立場の差も、もはや無意味だった。巨大な拳が左から右から迫り
グローブは無情にも男の鼻梁で「圧し潰れ」、視界を左右交互に塞いだ。
ダメージとすら言えぬ鼻骨への刺激が起爆剤だった。男の宇宙は、ついに暗翠色の豪炎に閉ざされてしまった。


カーン!
少女は拳を下ろし身体を開くと、明るいグリーンの艶やかなグローブを濡らす液体・・・男の涙に真っ赤な舌を這わせた。
男は限界点を超えた屈辱と敗北感に、顔面からリングへと突き刺さった。何故か、心地よい程の安らかな感触があった。


――なぜ、この少女は俺の心をこんなにも傷つけるのだろう・・・
――思えば俺の人生、他人を殴った事すら、なかった・・・俺はいったい、何をしているのだろうか・・・
60秒間のインターバル全てを費やし男は自分自身の弱さを責め、緩慢に身体を起こした。


カーン!
第2ラウンドが始まっても、男は後ずさりコーナーに背中を預ける事すら出来ず、その場に立ち尽くしていた。
トッ・・・トッ・・・
一切の構えも取らず、無言で歩み寄ってくる少女。その左脚が持ち上がり、右拳が引き絞られた。
轟く恐怖の電光が男の両足を縫い付け、決して持ち上がらぬ黒いグローブは、さながら死刑囚の手枷球を想起させた。
そして、極限にまで追い詰められた男の本能は・・・かつて踏み付けられた、自らの「両足」をガードさせていた。


ぐぼぉんっ!!
ふたりの時間が、止まった。男は己の鼻骨と魂を翡翠色のボクシンググローブへ深くめり込ませたまま、石化していた。
実に数十秒に亘る柔らかな窒息を経て、男は腰をリングに落とし・・・大の字に脱力した。



[お題で妄想] その4の7


<火曜日―a.m.09:00 体育館・地下格技室>


屈辱が増せば増す程に、僅か10歳の少女の拳に怯え切り震えている自己への無力感と憎悪が絶望の嗚咽を呼び
嗚咽の涙を隠そうとすればする程に、その無様な姿を嗤う妖精の儚い美が男の精神に亀裂を入れつつあった。


――KO予告を・・・外せば・・・!
男は、憐憫の嘲笑を己に投げ掛ける悪魔へ一矢を報いる突破口に歓喜した直後、凍り付いた。
それは男が少女に完全なる敗北を認め、「ロリコン変態マゾ野郎」として屈服する事を意味していたからだ。
――くそッ、死んだほうが・・・!
脳裡に浮かんだ「死」の一文字と少女の拳の映像がリンクした直後、男は発作的痙攣と共に過呼吸に陥り
その下半身は周りから見ても居た堪れない程に怒張し・・・湯気すら立てていた。


イカくさくてイカくさくて・・・ぷくくっ、おはなが曲っがりそーなのですぅ。ロリコン変たいマゾやろう」
破滅か、破滅の先延ばしか・・・男はカウント9で、後者を選ばざるを得なかった。


第3ラウンド、男はロープ際で撃ち上げられる度、放り出されそうになっていた。その威力からではない。
パンチへの、恐怖心からだ。心の器が破裂する程に注ぎ込まれた恥辱に、男の精神は最後の防衛機制を働かせ始めていた。
――もういやだ・・・おちて・・・らくになりたい・・・
その時コーナー自体が伸び、スライドしたロープが男を抱き止めた。偏執的なまでの、安全への追求・・・コーナーマットへ
グローブと同じ素材を惜しみなく投入し、頭部が接近すれば表面を軟化させる、このリングは・・・言わば生きた檻だった。
糸の切れた操り人形の如く、男は茫然と跪いた。皮肉にもその安全性が、男を更なる絶望の深淵へ導いたのだ。


教育するつもりが教育されてましたぁ〜〜ンッ!!・・・そう、それには書かれていた。
老人と観客席の少女3名が、滂沱の涙と吐瀉物を隠すように、極太歌舞伎文字の横断幕を掲げる。
「きょう、ひあっ、いっ、ぶふうっ、する、ぷはあっ、つもっ、くあぶっ・・・!」
「っぷきゃっははははっ!!・・・っなにいってんのかぜんっぜんっ、りかいふのうなのですぅ〜!はい、ふくしょ〜!」
「きょ、あぐっ、うっ、いぶほっ、ぐうっ、しひッ・・・!!」
告別式さながらの慟哭に横断幕が震え歪む毎に、皇みどりの哄笑は高らかに響き渡るばかりだった。


「苦しそーでちゅねぇ〜・・・楽になりたいのでちゅかぁ〜?」
インターバル、既に幼児退行を起こしていた男は、自らの涙と鼻水と涎と小便の混じった池に突っ伏していた。
毒蜘蛛のように這い寄り、その表情を心底楽しそうに覗き込む少女。
「せばすちゃん」
少女が促すと、男の目の前に「それ」は差し出された。
永遠にも思われた十数秒の逡巡の後・・・男は、そのカプセルを口に含んでいた。
――ああ、これでおれは、しぬ・・・が、けーおーされたのでは、なくなる・・・おれは、かったんだ・・・


「どう?おいちー?ブドウ糖・・・くぷふふっ・・・つかれたアタマにぃ、あっとゆーまに効くんでちゅよぉ〜」
男の心臓が止まり、第4ラウンドを告げるゴングが、無情にもその鼓動を復活させた。


「くく・・・何がそんなにかなちーのでちゅかぁ〜?せんせーがおうたをうたってあげましょうねぇ〜」
「らーんららんらっ♪らーんららんっ♪らららんらんらんらんらんっ♪・・・」
ばむっ!ぼふうっ! ぼむぅぶじゅうっ! ばぐめしゃぼふぐじゅぐぼぉんっ!!
澄み切った妖精の歌声、粉砕された魂を焼き焦がす打撃音・・・それらが無限に響き渡る不協和音と化して
本能すら限界点と認識していた通過点を更に越えて、永久不可逆の臨界点へと恐怖を亢進させる。


全ての衝撃を喰らい尽くす絶対安全のグローブは、翠色の悪意に染められ、あらゆる魂を喰らい尽くす凶器と変貌した。
少女のボクシングが加撃面へ齎したダメージは、瞼と鼻腔内の軽い充血と、皮膚の僅かな腫れ・・・それだけだった。
一滴の出血も、ダウンを招く程の脳震盪も、無かった。
それは即ち、今後の試合の終了権は少女ではなく、男自身に委ねられたという冷厳な事実を示していた。
それも、敗北という選択肢しか、もはや残されてはいない。
男がこの無血の惨劇から脱出する手段は、魂の延命装置を自らの手で外す他・・・なかった。


結果として男は7ラウンド2分55秒、少女の予告通りにノックアウトされた。ダウンは、計2回。
だが、テンカウントは耳に入っていなかった。
既に第4ラウンドの途中で、生きながらも違う世界へと旅立ち始めてしまっていたからだ。
こうして一時間目「道徳」の授業は、終わった。



[お題で妄想] その4の8


<水曜日―p.m.09:00 某ホテル・展望レストラン>


七色のイブニングドレスを纏った妖精達が、地上420メートルの円卓を囲んでいた。
シャンパングラスが軽く弾ける。中身は搾りたての真っ赤なオレンジジュースだ。


「私の教育者教育案を世に出す為には、実験が必要でした。貴女達の協力に本当に感謝しています。
さあ遠慮せず召し上がって。私達子供は、大きくなる事が第一の仕事です」


皇みどり10歳は、小学生ではなかった。中学生でも、高校生でもない。このロリ大の卒業生だ。
そして8歳でフランスへ留学、大学院に該当する課程を卒業し半年前に帰国したばかり・・・専門は、教育学だった。
少女には教員免許こそ年齢の不足により認められなかったが
己を育んだ母校の更なる発展に尽くす為、その教師となる人間の資質を試すべく特別教員に就任したのだ。


ロリ小に四つめのクラスなど、無かった。
皇みどりの教育実験の為だけに増設された「五の藤」は、新任教師の心の弱さを試し、矯正する檻・・・
特に、「体罰」などという安易な解決に走る種類の人間を見抜き、裁く場だった。


「こっ、こちらこそっ・・・!地下では取り乱してしまい申し訳ありませんでしたっ・・・!
教育学の権威たる大好きなみどり様の実験に参加できただなんてっ・・・夢のようですっ・・・!」
青瀧院と呼ばれた少女は、声を詰まらせた。拭いた手首の古傷が擦れ、己の涙が染みた。


皇みどり以外の「五の藤」6名も、全員10歳だが、小学生ではなかった。
サミット7と呼ばれる天才少女達・・・彼女達の多くが、天から与えられた異常な才能と
家柄が齎す期待の重圧に苦悩し・・・自ら命を散らそうとした者さえいた。
その頂点である皇みどりは、彼女達の涙と同じ目線で向き合い、このロリ大教育学部へ実習生として迎え入れたのだ。


勝利者の資質を持つ者の資質を育てる者もまた、勝利者の資質を持つ者でなければならない・・・当然の事です。
あの被験者は、聖職者と私たちに必要な・・・礼節も洞察力も精神力も、それらを教える覚悟も欠いていました。
そのような場合にも、被験者に己の心の弱さを見つめ直し反省する機会を与える為、予め舞台の準備をしておいたのです。
最も屈辱的な挫折を乗り越えてこそ、人は再起できるのですから・・・それでも不適格ならば、彼の実りある人生の為に
適度な再教育を施せるようにと、適度な猶予時間も設定したつもりだったのですが・・・
彼は、恐らく一生『こちら側』に戻れないでしょう。少し可哀想な事をしましたね」


重苦しい沈黙を破るように、一人の少女が声を上げた。
「まさか先生、あの、グローブも・・・!?」
「さすが察しがいいわね、紫雲寺さん・・・ふふ・・・グローブだけだと思う?」
「「「「「「え・・・!?」」」」」」
少女達の顔が一斉に青ざめ、畏敬の念に満ちた嘆息が全員の口から同時に漏れ出した。


「教育こそが人間を作り、そして教育者を作るのですね・・・!あの男の犠牲は残念でしたが
教育者の卵として言わせて頂ければ、みどり様の実験方針は全く間違っていませんでした・・・!」
「ふふ、青瀧院さん・・・綺麗な夜景ね。貴女達ロリ淑女にこれから課せられる使命は、貴女の予想以上に・・・巨きいわ」
「ええ・・・!これからはこの小さな明かりを灯す人々、一人一人の為に・・・そして、世界へ」
涙に濡れた顎を優しく持ち上げ、眼下へ向いていたその視線を、輝く星空へ向けさせる少女。
「・・・世界より、もっと広い世界があるわ」


「貴女たちの今後の活躍に期待しています。また次の実験も・・・宜しくね」



<水曜日―p.m.11:00 皇家・執事室>


「瀬波洲・・・そろそろ休みが欲しいとは思わない?」
ばむぅっ、ぼすぅっ・・・
「次のモルモットが来るまで、退屈で退屈で死にそうよ・・・一体誰のせいかしらね」
ばむぅんっ、ぼすぅんっ・・・!
「あのゴミクズとの二日間、何も得るモノが無かった訳じゃないわ・・・ボクシングって退屈しのぎには使えそうだって事。
身体を思いっ切り動かすのって、気持ちいいし・・・ねえ、あの地下室の鍵・・・まだ持ってたわよね」


皇みどりの狂気を最後まで見届けた唯一の人物は、打ち鳴らされる巨大な拳の前に、言葉を失っていた。
勝利者の資質を持つ者の資質を育てる者を選ぶ者も、また勝利者の資質を持つ者でなければならなかったのだ。
――お嬢様が、私を選んだ・・・責任を、取られるだろう・・・それも、速やかに・・・!
「車を出しなさい・・・今すぐよ。行き先は・・・わかっているようね」


皇みどりの一週間に耐える者でなければ、天地の支配者たり得る淑女を育てる事など、決して許されないのだ。

スレ企画[お題で妄想]その3

[お題で妄想] その3 「ボクシング」「格下の少女が相手」「ラッキーパンチ」「まさかの逆転負け」


顧問「お嬢ちゃん、看板を見てくれよ。ここは、ボウリング同好会じゃなくてだな・・・」
少女「何べん言えばわかるのですかっ!わたしは、『ボクシング』をやらせて頂きたいのですっ!!」
顧問「やれやれ、何たるはねっかえりだ・・・おい主将、お前も何とか言ってくれよ」


選手番号"1555"を背にしたその男は、スピードバッグを弾く手を止め、恩師と美少女の方へ振り向いた。
1555「へぇ、1年1組、青空未来(みらい)ちゃんか・・・ひとりで社会科見学かい?じぶんの中学に帰りなよ」
少女「わたしは青空未来(みく)ですっ!それに、こう見えてもれっきとした15歳ですから!!」


男は、全てが信じられなかった。
まず一つ・・・共学になってから二年間、一人の女子の入学も無かったわが校に、このような美少女が入ってきた事に。
そして次に・・・体操着の胸の名札が全く歪まぬ、その体型のあまりの幼さ、平坦さ。少女が中学生ではないという事に。
最後に・・・余りにも可憐過ぎるこのセミロングの少女が、ボクシングという男の世界に踏み込まんとしている事に・・・


1555「・・・いいぜ。ボクシングを教えてやるよ。そこにあるグローブをはめてリングに上がりな」
少女「え・・・!? やった!! ありがとうございます!先輩!」
顧問「ばっ・・・馬鹿!この子を殺す気か!県大会優勝のお前が・・・」
1555「大丈夫ですよ。先生」
適当にあしらって現実の厳しさを知ってもらうだけですから、と男は顧問の耳元で続けた。


少女「何をコソコソと・・・嫌です。本気で打ち合ってくれなきゃ・・・先輩は、逃げるおつもりですか!」
男は私生活でも冷静なボクサーだった。少女の挑発を聴覚から消し、視覚に全神経を集中させ、その肢体を眺め回す。
・・・どう見ても、普通の中学一年生だ。もしかしてこの子は、隠された何かを持っているのかもしれない・・・
1555「俺はいつだって本気さ。お前こそ、気を抜けば保健室送りだからな。覚悟しろよ」


顧問「いいかいお嬢ちゃん、少しでも危険な事になれば、すぐにタオルを投げるからな。じゃあ次のゴングからだ」
白のラインが入った赤い14オンスは小柄な少女には大きすぎたが、そのアンバランスが醸し出すギャップが
男の、その場に居る部員の心を烈しく打ちのめし、部室から一瞬、全ての音という音が消えた。


カーン!!
ゴングが鳴った。残響音の中、全員が固唾を呑む。少女は顔の前でグローブを合わせ、じっと男の顔を見上げている。
少女「わああああっ!」
突進する少女。その勇姿は、男の予想を真逆の方向に裏切ったものだった。
少女は右拳を突き出したまま、パタパタと真っ直ぐに走り、走った勢いで自らロープに頭を打ってよろめいた。
眼は全く、閉じられたままだ・・・ボクシング技術、それ以前の問題・・・避ける必要性すら、ない・・・
カーン!!


3分後、男と顧問は顔を見合わせていた。少女にかける言葉が、どうにもこうにも・・・見つからなかったのだ。
少女「ハァッハァ・・・ありがとう、ございました・・・!!」
ドクン。歯を食いしばり部室を去る少女。一瞬に見せた、鋭く睨み付ける眼差し・・・それは男の脳を激しく揺さぶった。


男は家路についても、何をする気分にもなれなかった。
1555「ちょっと散歩に行ってくるよ」
1555母「1555ちゃんもお腹すいたの?コンビニでこれ買ってきてくれない?」
心は何故か火照ったままだ。男は、コンビニとは真逆の方向へ走りだした。
――パンチは、俺にかすりもしなかった・・・だがあの子は、紛れもない「ボクサーの眼」を持っていた・・・
――何も出来ず、悔しかった、んだろうな・・・
高校からボクシングを始めた男と、少女の今の惨めな姿が重なる。
――いかん、コンビニに行くんだったな、俺は・・・


不良「こんな時間にジョギングかい?そんなことより俺たちとフィバろうぜ、なあお嬢ちゃん・・・グヒヒ」
コンビニから出ると、少女の汗の爽やかな香りが鼻を打った。何という事か、少女も走りに来ていたとは。
男は左手で顔を隠すフードを押さえつつ、やり場のない心の火照りを連中の下卑た面の皮にブチ込んでやった。
少女「あっ、ありがとうございますっ・・・!せめてお名前・・・あっ、待って!落とし物っ・・・!」


1555母「1555ちゃんの『からあげちゃん』はどうしたの?」
1555「ああ、ひと袋・・・買うのをさ、忘れちゃったんだよ。それに、ボクサーの身体には毒さ」
少女「おいしい・・・ありがとう、『からあげちゃん』の人・・・」



[お題で妄想] その3 つづき


1555「やあ、『弱い』未来ちゃん・・・ここを通ると思っていた・・・部に・・・俺に、用だろう?」
少女「ふざけないで!!いい加減に名前を覚えて下さいっ!わたしの名前は弱井じゃなく・・・あっ」
1555「そうだ。もう一度言ってやろうか。君はいま『弱い』・・・いや、『弱すぎる』」


男は床についた後、夢の中でも少女の事ばかり考えていた。何がこの子に足りない?何を引き出せば、強くなれる・・・?
少女「うるさい!だまれっ!!先輩なんか死んじゃえばいいんですっ!!」
1555「悔しいか!そんなに悔しければ、俺を殴れ!殴り殺してみろ!ボクサーだろ!お前のその拳は飾りか!!」
少女「うっう・・・あああああっ!!」


バシッ!
少女の小さな右拳。掴んだ男の左手へ、確かな痺れが伝わった。
1555「連打はどうした!ガードは!・・・試合なら、これでKOだぞ!!」
男は少女の頬へ右拳を突き付けながら思う。やはりそうだ。少女には、不足ではなく、「余計」なモノがあるのだ・・・
ゴォッ・・・!
教えてもいない左のアッパーカットが、男の伸ばした両腕の隙間を縫って迫り来る。
――そう・・・「憎しみ」「怒り」・・・「殺意」・・・それら感情の激発を抑える「タガ」が。
男が右拳を戻し、身を躱しながら右のフックで白く柔らかな頬を軽く撫でると、ついに少女は、その場に泣き崩れた。


それから3週間・・・男は部外で少女にパンチを教える一方、良心の呵責に耐えつつ、毎日寸止めの恥辱を舐めさせた。
少女の中で屈辱の火が炎と化して燃え盛り、溶岩の如く爆発する事を、ひたすらに待った。


ついに少女は学校にすら、来なくなった。やりすぎたのか・・・男は、自分を責めた。
顧問「珍しいな。お前が放課後すぐに部室に来るなんて・・・どうしたんだ?」
1555「・・・・・・」
顧問「・・・わかったよ。これ以上は、聞かねえ。さっそく、軽いメニューから始めようか・・・」
そして更に、1週間後・・・


夕焼けの光を背に、目の覚めるような美少女がやってきた。
少女「1555選手は居ますか」
顧問は、美少女の変容に、驚きを隠せなかった。艶やかに伸びていた髪が切り落とされ、小さな耳が出ていた。
1555「あいにく女を殴る趣味はない。よそをあたりな」
少女「そんなに私に負けるのが恐いのですか。鼻をへし折られ、惨めにリングに這いつくばる事が・・・臆病者」


再び、部室から全ての音が消えた。血の臭い漂う、張り詰めた沈黙だった。
ショートカットの少女は、その冷たい色彩の髪飾りを男へと投げ付けた。
1555「ふん、紫の苧環オダマキ)か。花言葉か何かか?」
少女「これからわかります」


顧問「いいな・・・1ラウンドだけ・・・何があっても、3分だけだ」
生徒の生命を守るべき教師を含めた全員が、少女から匂い立つ狂暴なる光の波動に打ちのめされ、正気を失っていた。
――帰ってきてくれたんだな・・・感じるよ、お前の「ボクサー」を・・・


カーン!!
真っ直ぐに間合いを詰め、標的を射程に捉えた瞬間・・・つま先から全身を捻った、渾身の右拳を突き出す。
冷静に見れば「0点」が「30点」になっただけだが、一ヶ月前の少女の有様を記憶している者にとって
その儚く幼い体躯に似合わぬ重い拳圧に秘められた「殺意」は、得体の知れぬ胸騒ぎを予感させるに十分だった。
――そうか、お前は俺との再戦の為に、姿を消して技とハートを磨いていたのか・・・俺の為に・・・
――震えるぜ・・・!今、お前は立派な「ボクサー」だ・・・!ならば俺はお前の為に、全力で最高の敗北を贈ろう・・・!


男は開始10秒で見抜いていた。少女のボクシング、その致命的な二つの欠陥を。
一つは、KO以外の勝ち方を知らない事。
そしてもう一つは、パンチを出す度に眼をつぶる癖が、治っていなかった事・・・



[お題で妄想] その3 つづき


男と少女は、本気だった。お互いの心を、最も徹底的に破壊できる勝利を目指していた。
即ち、少女は男をリングに沈める。男は一切手を出さず、少女に絶望と屈辱の180秒を再び舐めさせる・・・


残りタイム60秒、一方的な勝利は、誰が見ても男の頭上にあった。だが、焦っていたのは男の方だった。
ズバァンッ!
少女の右ストレートがコーナーを激しく叩く。身体から水平に50cm以上も離れたその一撃に、男は総毛立った。
――これだけ翻弄してもっ・・・!諦めるどころかっ・・・!屈辱を更なる殺意に変えてきやがるっ・・・!


県大会を制した男の流麗なフットワークが「100点」を超え「130点」に加速する。
その「30点」を増したのは、格下の美少女に対して芽生えてしまった・・・怯えだ。
――もっと速く!もっとだ!俺の動きに付いて来てみろ!・・・もっ・・・!?


ズバァンッ!!
1555・少女「「あっ・・・」」
男の視界が一回転し、天井が見えていた。少女は己の14ozに破裂した男の鮮血を体操着で拭くと、コーナーへ戻った。
顧問「えっ・・・お、おいっ!!ああっ、目を覚ませ!しっかりしろっ・・・!!」
少女「先生、カウント」
顧問「ひっ、わあっ・・・くっ! ワン!・・・ツー!・・・スリー!・・・」


カウント8、男はコーナーを背中でよじ登り立ち上がった。カウント8まで休むは、ボクシングの定石・・・
だが、男は休んでいたのでは、なかった。すぐにカウントが始まれば、確実にKOされていただろう・・・
男は今まで、一度もKO負けを記録していない。初めての、ノックアウト・・・その屈辱を齎す者は、光り輝く美少女!!


その一撃は「ラッキーパンチ」としか、形容のしようもなかった。
少女は最初から、男のステップに即応できていなかった。追いすがる動きが、ワンテンポ遅れていた。
しかも眼も閉じられている。そのパンチの行き先の「ずれ」が、男を精神的に追い詰めていった。
そして加速する男と一定の少女のリズムは、徐々にずれ続け・・・ついには一周して、揃ってしまった。
振り抜かれたフック気味の右ストレートは、左に躱され、右へ切り返した男の顔面と激突したのだった。


キュキュッ!!
対角線から、少女が弾丸の如く迫り来る。
少女「わああああっ!!」
――顎がグラグラして、自分の体が、動かな・・・
1555「おわああぁあぁああっ!!」
少女の眼は、ついに見開かれた。そして、憧れの人の顔を叩き潰す感触に、眼が開かなかった理由もわかった。
恐かったのだ。傷つけられるのが、そして、傷つけるのが。いまは、飛び散る返り血が、眼球に心地良かった。


ドパァンッ!!バンッグギュッ!!ゴグンッ!!・・・ボグシャァッッ!!!
その実際の威力とは裏腹に、スローモーションの如く、少女のパンチは男の記憶へ克明に刻まれた。
真正直に鼻を潰す右ストレート。横っ面を薙ぐ左のフック。間髪入れず膝が落ちた所を、右拳でコーナーと挟まれた。
左のアッパーカットが顎へめり込み天井を仰ぐと、何か白い布が紅い霧の中に浮いているのが見えた。
男は理性の糸の千切れる音を聞きながら、視界に拡がる右ストレートを安らかに迎え入れた。
鼻の骨が折れる激痛は、最後まで少女が己を本気で叩き潰してくれた事の証だった。
男は、奇妙な、それでいて最高の充実感と共に、必死に留めていた意識の幕を、下ろした。


・・・


1555「ラッキーパンチって言葉、知ってるか」
勝者と敗者、少女と男は・・・いま保健室ではなく、町立病院にいた。頷く少女に、男は続けた
1555「ラッキーってのは、諦めない者の頭上にしか降りて来ないんだな・・・」
少女「すごい!先輩は物知りなんですね!でも、お鼻がぺちゃんこで説得力ゼロだなあ・・・うふふっ!」
1555「てめえ・・・言ったなこの・・・うっ?」


男のズタズタに裂けた口内へ、熱く懐かしい味覚が、14ozよりも柔らかな衝撃と共に詰め込まれた。
安っぽい油とお互いの唾液が混じった液が糸を引き、少女の淡桃色の唇の感触が、熱さを麻痺させた。
少女「先輩の好きな・・・ドーソンの『からあげちゃん』ですよ。これからは・・・好きなだけ食べられますね」
からあげちゃんの胃に悪い味を、塩辛く爽やかな風味が中和した。男は、涙に震える少女を優しく抱き寄せた。


1555「泣くな・・・わかったろう?勝負ってのは、残酷なもんなのさ・・・ボクシングが、嫌いになったかい・・・?」
少女「ううん・・・わたしは、ボクシングが好きです! ・・・先輩の次に・・・!」


1555「お世話になりました」
顧問「お土産、待ってるからな。本場のタコスがいい。あとは・・・ベルトもな」
男の夢は、「未来」へと受け継がれた。二人の、新天地での闘いが始まる。

スレ企画[お題で妄想]その2

[お題で妄想] その2 「見下す少女」「命乞い」「とどめ」


すぐ前の席には、先週まで一森が座っていた。一森一、あだ名は「線対称」。二重アゴだった一森は、今は花瓶だ。
ますます気が滅入る。今日ほど、退屈な授業が更に長く感じられる日はなかった・・・


「これが私の番号だよ。うん、オッケー♪じゃ、私・・・ちょっと準備があるから・・・着いたら電源入れて待っててね」
星咲さんはお付きの人の車に颯爽と乗り込んだ。男子達の、殺意すら孕んだ嫉妬の視線。僕は逃げるように車を追った。
星咲さんは、今や世界のHOSHIZAKIだ。日本人の、しかも現役の高校生が、堂々と世界の舞台で80億人類を魅了するなど
十年前なら考えられもしなかった事だ。まさに聳え立つ星咲さんの高貴で凛々しい存在感は、他を圧倒している。
彼女の美を評論する事すらおこがましい。そして彼女は心理的にも、膝を曲げて僕たちと同じ目線で接してくれる。
ああ、僕らの偉大な女神、星咲さん・・・胸が苦しいよ。まさか、こんな僕が、あの星咲さんと、デートなんて・・・
80億分の1の幸運に、僕は身震いする心持ちだった。


"Try to Star 99"・・・待ち合わせのビルに着いた。その名の通り、星に挑むかの如く聳え立つ、99階建ての摩天楼だ。
地下3階から15階までが大ショッピングモール、大企業のオフィスと最高級ホテルを挟んで、95階が大展望台・・・
すっかり僕ら小市民の生活に溶け込んでいるこのビル・・・96階から上は何があるんだろうか・・・?
prr・・・♪ 一時間も前から、端末を握り締め耳に当てながらその時を待っていた僕は、最初のコールで反応した。
「そこじゃないわ。入り口から出て・・・壁に右手を付けて歩くの。関係者以外立入禁止の壁があるから・・・」
僕は憧れの人に促されるまま、黄色と黒の縞模様に塗られた厚い壁を4回、間を空けて9回ノックし、自分の名を告げた。


壁がスライドし、屈強なSP風の黒人6人が、45度の無言の礼で僕を招き入れた。
表の喧騒が嘘のように、人っ子一人、いない・・・言い知れぬ不安に駆られたその時、すぐに僕の端末が鳴り出した。
「角が見えるわね。そこを曲がったら、大股で歩いて・・・そう、そこでいいわ。そして・・・」
言われるがまま荷物を置き、夕陽を反射し輝く壁に頭から思い切り体当たりした所で、衝撃と共に僕の意識はとんだ。


「もう、立てるか、なァ〜〜?お客様ァ〜〜・・・ふふ・・・どこに参りますかァ〜〜?」
立ち上がった僕を、ちょうど頭一つ見下す星咲さんの両手には、指先が露出した・・・奇妙な包帯が巻かれていた。
眩しい純白のセーラー服・・・赤と黒のチェックスカートから伸びる脚・・・そして、包帯・・・包帯・・・?
「あっあー♪こちら星咲ィー♪えーっと、何人目かな・・・忘れちったーい♪って独り言かーい!」
謎の言葉を宙空に話しかけ、壁を見つめ、細く白い指先を這わせると・・・銀色の板がスライドし、制御盤が出て来る。
三段式の生体認証だ・・・ここは星咲さん専用の、エレベーターなんだ。しかも、もう動き出しているぞ・・・!


ボタンの配置は・・・
[B6]   [1] [97] [R]   [R] (>>1注※この行は、皆さんの首を右に90度傾げて読んで下さい)
それだけ・・・!? [95]とかは、無いのか・・・!?
それに、この真っ赤なボタン、[B6]って・・・このビルは、地下3階までだったはず・・・


「説明するわ。97階が私の部屋、96階と98階は防音壁。説明おしまい」


「ふふ・・・説明は終わりと言ったでしょう?何か、ご不満でも? ねえ、ねえ・・・『あなたも』そんなに気になるの?
みんなそうなのよね。しにたがり・・・あら、間違っちゃった。くふふ、ふふ・・・知りたがりなんだから・・・
それじゃあ、特別出血大サービス。今日だけよ・・・[B6]ってのはねえ・・・くっ、くっ・・・これよ・・・!」


その拳が大きな[B6]ボタンを叩き割ると、出入口を除いた室内壁3面に白いマットが張り巡らされ
コンソールの更に下が開き・・・真っ赤な、一対の凶器が現れた。
"B"と"6"の意味がリンクし、僕の本能に刻まれた原初の恐怖を呼び覚ました。



[お題で妄想] その2 つづき


端末を・・・!咄嗟にズボンに左手を延ばした瞬間、少女の右拳がしなり、紅い弾丸は鼻骨を斜めに貫通した。
白いマットに背を叩き付けられ、跳ね返る所を今度は左右の拳が交互に鼻面を叩き潰す。1発、2発、3発・・・7発!
「いっ、痛・・・!ぶっ、ぐおっ、あぶっ、ふうっ、くはっ、ぶうッ、ぎゃあおッ・・・!あがッ、ひぃひいッ・・・!!」
「あ、これも忘れてたわ。やっぱ、カメラが回ってないとね〜」
少女は二つのうち上の、やはり拳で押せるサイズの[R]を叩く。鮮血滴る密室、その四隅から
12台のロボットカメラと4本のマイクが触手の如く這い出し、血にまみれた少年の醜態を記録していく。


「今のはリハーサル。じゃ、ちょ〜っとチクッとしますよぉ♪ ・・・さっさと立ちなさい。死にたいの?」
少年は、少女が異常者を演じている事を悟りつつも、却ってその切り替えの不自然さに、怯えきっていた。
柔軟な膝のバネを活かしたパンチが頬を激しく叩き、突き上げる衝撃が曲がっていた膝を次第に次第に伸ばしていく。
膝が伸び切り踵が浮けば、6オンスの硬い左ジャブの嵐が、複雑に砕けた鼻をマットと挟み撃ちにする。
12台のカメラのワイパーが作動し始めた。天井からも鮮血が雨と落ち、閉ざされた空間の六面が朱に塗り潰され始めた。
「『殺さないでェ』『なんで僕がァ』・・・はぁ〜、センスのない命乞いね。マネして損しちゃった。失格よ」
圧倒的な暴の力の前に「なぜ」は意味を成さなかった。なぜなら、少女の行為に意味など、とくにはなかったからだ。


左拳で喉を掴み上げ、右拳を振りかぶりつつ、少年の必死の命乞いを見下し楽しむ少女。眼は血走り、涎が垂れている。
無情の右アッパーカットが振り抜かれる。天井からけたたましい激突音が二度響き、エレベーターの到着時間表記が
"0:15”から"ERROR"へと変わった。まず少女の右拳が天井を撃ち、続いて少年の顔面が、鋼板へと激突したのだ。
「あーあ・・・ポンッッ、コツなんだからあ・・・弁償ね。ほーらぁ、もっと面白い命乞いでさ」
「こ・・・ころ・・・さ・・・」


「ぐ・・・く・・・くっ・・・くっ」
怒っているのか、笑っているのかさえ、少年にはわからなかった。だが、もう取り返しの付かぬ事だけはわかった。
少女は、出入り口の鋼板へ少年を押し付けると、失神と失禁を繰り返す少年の顔面へ、獣の狂気を開放した。
打ち下ろす右ストレートにより飛んだ歯の破片で、カメラレンズの1台がヒビ割れた。
鋼の扉と両拳で少年を挟み付け、凶行を続ける少女。鼻骨、眼底、顎・・・あらゆる骨が砕け密室に血肉が充満した。
呪われた籠は、地上444mの頂点で止まった。扉から嘔吐するかの如く、赤黒い瘴気と共に変形した少年が射出された。


「じゃあ、『とどめ』ね。あんなつまらないつまらないつまらない命乞いを二度も繰り返したのは、貴方が初めてよ」
グローブを脱ぎ捨てた少女は、少年の両瞼に指を掛けると、屋上の中央へ引き摺る。畳一枚ほどの鋼板が敷かれている。
リモコンの"12"をプッシュすると、蒸気と共に床が持ち上がり、それは姿を現した。
「・・・!!!」
「あら、いけないわ。またまた、間違っちゃった・・・あの二重アゴ・・・一森クンっていったかしら?」


少年の死にゆく視界でそれが一森と判別できたのは、顎が辛うじて原型を留めていたからである。そこから上は・・・
「99階は冷凍庫なのよ。どんな肉でも瞬間冷凍・・・彼らは私のコレクションとして永久の死を生き続けるの」
少女は"13"を押す。一森だった物体が再び氷の地獄に沈み、魂へ響く機械音の後、暗い穴から空の棺が現れた。
「鋼板は星咲重工謹製の、特殊ステンレス鋼50cm厚・・・死に心地はバツグンよ♪」
少年は瞬く間に両手両足を鋼の棺に囚えられた。更にカメラ4台とマイク2本が棺から伸び出してくる。
「さあ、一世一代、最期のチャンスよ・・・とびっきりにピュアな命乞いを聞かせて頂戴」


「・・・・・・す・・・き・・・で・・・す・・・・・・」
布の巻かれた少女の右拳は、少年の眉間で止められていた。
「ふ・・・負けたわ。私の負けよ。貴方を許してあげる」
氷の眼が少年の潰れに潰れ切ったその顔面に、一瞬の安堵の表情を認めたその直後・・・少年は氷と化していた。


無慈悲の拳が白煙煙る鋼板へ激突し、燃える夕焼けに、無数の砕片と化した頭蓋骨がキラキラと光った。
「馬鹿ね・・・『殺さないで』と素直に命乞いしておけば・・・・・・飼ってあげようと思っていたのに」

スレ企画[お題で妄想]その1

[お題で妄想] その1 「くノ一」「巨乳」「マウントパンチ」


男は追い忍だった。そしてその時まさに、己に課せられた「抜け忍を抹殺する」という任務を果さんとしていた。
男を見据えるその切れ長の眼が、月光に露わになる。紛れもない・・・五年前に姿を消した男の婚約者、あやめだった。


最愛の者を忍びに連れ去られた男は、命を捨てる覚悟を以って、あやめを助け出す力を得る為に自らも忍びとなったのだ。
愛刀の柄には菖蒲の花が浮き彫りにしてある。苦難のたび握り締めれば、蘇る少女の微笑みが勇気と活力を与えてくれた。


三日月は再び雲に隠れ、ふたりの間を冷たく乾いた沈黙の闇が遮った。
抜け忍には死の制裁を、それが忍びの掟だ。しかし・・・この男にこの女を殺す事など、出来る筈もなかった。
運命は残酷だった。こうして出会ってしまった以上、己の主に見せる「証」が必要になる・・・
男は、こう言った。全ての武器と装束、そして片耳を奪い、お前を殺した証として里へ持ち帰る。
お前は俺の事は忘れて、普通の女としての、普通の人生を暮らせ、と・・・


男は、女を杉の大樹へもたれさせ、両腕を上げるよう促した。女は口をつぐんだまま、おとなしく従った。
一瞬の違和感。その直後、無数の含み針が男の構えた両腕の手甲に刺さっていた。流石は忍びね、と少女は笑った。
自重で形が崩れる寸前まで膨らんだ乳房・・・はち切れんばかりの内圧に、肉質がさらしの隙間から今にも零れ出しそうだ。
もはや、他は調べ尽くした。暗器を仕込むならば、ここしかない。ここ、しか・・・・・・!?
触れた男の右手が、焼けるように痺れた。柔らかな乳房を包む白く硬いさらし、その外側には毒が塗られていたのだ。


するり・・・自らのさらしを巻き取り、拳にきつく巻き付ける少女。男は右腕を駆け上る痺れに、立ち尽くした。
菖蒲の刀を左手で抜き、逆手に喉を狙い突く。身を躱しながら放たれたあやめの左拳が、白刃を根本から叩き折った。
反動を活かした右の巻き打ちが男のこめかみを抉り、更に反動を増した左の巻き打ちが鉄塊の如く下顎を押し潰した。
奥歯の根が砕け、首の骨が軋む程に捻れ、頭蓋の中で脳が豆腐の如く揺れる。止めの右の爆撃は、脳へと深くめり込んだ。
毒が顔の皮膚に回るよりも早く、巻き打ちにより脳が頭蓋内壁と激突する。眼の前に流星が飛び、男は地と接吻していた。


女は躊躇いなく男に跨った。溶けていく男の視界。半分ほど巻き取られたさらしから、偉大な二つの果実が垣間見える。
死の拳が降り注いだ。横殴りの一撃で、あやめの股の下で身体が半回転し、はずみでもう半回転してまた殴られた。
男は女から全ての武器を奪った。だが、あやめにとって最大の武器は、無手・・・その二つの拳だったのだ。


覚えているかしら・・・小さい頃、二人で見た、あの蟷螂・・・女は男を跨いだまま、月を見上げ、そうつぶやいた。
男は思い出した。楽しかった子供の頃の記憶、あやめとの初恋・・・恐怖と興奮に、引きつった笑みが出てしまう。
長年恋焦がれた、あやめと身体を重ねる夢・・・それは、拳と顔面という接点で、ついに叶えられた。
将来を約束し合い、別れ、再会し、敗北した。あやめが思い描く最も濃厚なる愛の形を、男は今初めて思い知ったのだ。
柔らかな温もりと香りを残した、あやめの毒拳・・・幸せと苦しみに揺れる内、男はその狂乱の快感に目覚めてしまった。
男は失神と共に人生最大の絶頂に達した。あやめは男の手当をすると、闇の中へと消えた。


こうして男は抜け忍となった。ふたりは約束通り契りを交わし、芽生えた新しい愛の形がその絆を更に固くした。
一時の安らぎがあった。行為のたび、男は母に甘えるかの如く女の胸に腫れた顔をうずめ、女は男を優しく抱き寄せた。
・・・蟷螂の雄は、己の伴侶と愛を確かめ合った後、殺される。だが、必ずしも命を落とすわけではない。
しかし、その時がいつかは来るのだ。追い忍に殺されるが先か、あやめとの愛に果てるが先か・・・
今宵もふたりの寝所から、重い地響きと狂乱の断末魔が木霊する・・・

投稿SS7・連志別川(後編)

※この文章はフィクションであり、実在する、或いは歴史上の人物、団体、および地名とは一切関係ありません。



連志別川(八) 二人の冒険者


未だ根雪の残る蝦夷地の春では、「暑い」と言っても過言ではない程、その日は皮膚が灼け付くような陽射しだった。
おれはあの川へと辿り着いていた。馬の如く息が乱れ汗が滴っている。休み無く半里を駆け抜けたから、だけではない。
鼓動は益々高鳴り続ける。躰と魂の内奥から燃え盛る業火に堪え切れず、おれは野の獣の雄叫びと共に諸肌を脱いだ。


叩き付けた装束から鳥兜の針を取り出し、端座する。そして二重の鞘を投げ捨てると、黒い刃を胸板へと突き付けた。
おれには一度「引き返す」機会があった。二人の少女との、狂乱と安らぎに満ちた想い出を、おれは捨てられなかった。
おれは雪に両手を突き、崩れ落ちていた。猛毒の刃が、あの川へと消えて行く。最期の幕引きの手段は、いま失われた。
熱い涙が固い根雪を融かし、孔を穿つ。それは、己の魂に巣食う「何か」と訣別出来なかった後悔か、それとも・・・


間も無くして、漆黒の影がおれの眼界を覆った。背筋が、凍り付く。咄嗟に足跡を探すが、左にも右にも見当たらない。
その人物は「川から」現れたのだ。後光を受けおれを見下ろす輪郭の主は、あの火の装束を纏った「村の少女」だった。
一条の光の通過も許さぬ厚い装束と頭巾が、少女の表情を暗幕の内に閉ざしていた。おれ達は、全ての言葉を失った。
少女の頬を止め処なく伝い零れ落ちる涙が白銀に煌めく雫となり、根雪の上で氷結しては鍾乳石のように聳えて行く。


半歩間合いを詰める少女。視線が、垂直に近い角度で交錯する。そして、膨らんだ「左袖」が、少女自身の帯を、指した。
震える指先を、藍に染められた帯へと伸ばす。生地に触れたその瞬間、爪に火花が走り、背後から竜巻がおれを襲った。
大地が砕け、氷の刃が巻き上がる。おれは左腕で顔を守り、必死に少女の装束に掴まり、吹き飛ばされまいと耐えた。


咄嗟におれは、右手で少女の左裾に縋っていた。旋風は装束の右半分と頭巾を吹き飛ばし、その神秘を剥き出しにした。
右半身には真紅の拳のみを、左半身には、精緻な火の装束を纏う少女。突き付けられた、美しくも苛烈な「現実」・・・
衣擦れの音に、おれは息を飲んだ。やがて、袖の重みから左拳も自ずと露わになり、心優しく涼やかな「村の少女」は
氷の目と濡れたような金髪を備え、装束の代わりに凍て付く程の残虐美を纏う「川の少女」へと変貌を遂げた。
「透き通るような」という比喩ではない。少女の肢体は生命に煌めく白銀の結晶だった。その美に太陽すらも狂熱し
暴力的なまでの日輪が、少女の躰を透過して七色の波動に輝く。おれの意識の最奥部へ、それは柔らかに注がれ続けた。
虹の波動を切り裂いて、色彩のみで痛みを感じる程に禍々しい紅の反射光が、左右からおれの眼球を激しく打ちのめす。


「・・・ごめんね・・・」
虹色に煌めく極光の幕の奥から、少女は、泣きながら笑っていた。いや、笑いながら泣いていたのかも知れない。
おれと少女の今までには、本当も・・・嘘もあっただろう。その全ての積み重ねが、おれ達をここに再び巡り逢わせたのだ。
「・・・いいんだ・・・おれは今日、全てを『覚悟』の上で・・・きみに、会いに来た・・・」
七色の波動が少女の複雑に絡み合う想いを魂に伝え、真紅の閃光がおれの「自ら望んだ」ただ一つの運命を示していた。


少女の「左拳」が、脱ぎ去られた装束を指す。見た事もない道具が入っている。平らな土台の付いた硝子の瓢箪か・・・?
いや、上下とも同じ円錐で、片方に紅く光る砂が入っている。逆さにすると、円錐の継ぎ目から砂が徐々に落ちて行く。
恐らく、おれと少女との間でこれから行われる「遊び」に、必要なものなのだろう。少女は、左拳で胸にそれを抱いた。


そして、少女の「右拳」が指した先・・・そこは、おれの最初にして最期の目的地だった。再び視線が交錯する。
おれ達は、二人の冒険者だった。冒険者は、冒険の中で最期を迎えてこそ、誇りある冒険者たり得るのだ。



連志別川(八) 二人の冒険者


「・・・いいの?」
渦巻き錯綜する感情を押し殺すように絞り出された、少女のその一言は、冒険者としての迷い無き覚悟を問うと同時に
その拳撃がおれに後戻りの出来ぬ破滅・・・即ち人間としての生の終焉を齎さざるを得ないであろう事を示唆していた。
「もう一度だけ、あなたに訊くわ・・・本当に・・・・・・本当に、それでいいの?」
潤む少女の眼差しからは、今までおれを氷結地獄の底に叩き落とし責め苛んできた、残酷な好奇心は感じられなかった。
心の覚悟は、出来ていた。しかし生ある人間として、躰が震えた。これ程までに命を燃やす冒険は、最初で最後だろう。


「あっ・・・」
おれは震える左手を伸ばし、少女の右拳、その手首をとった。そして右手を添え、その固く握り締められた拳を慈しむ。
柔らかい・・・!まるで、少女の躰の一部を揉みしだいているような、官能すら感じさせる弾力がおれの触覚へ伝わる。
おれは幾度となく肉を叩き潰し血を吸い尽くし魂を撃ち砕いたその拳を・・・愛おしむように、己の鼻梁へと押し当てた。
「ぐっ・・・」
凄惨なまでに変形していた鼻に痛覚が蘇り、脳に稲妻が走った。おぞましくも、懐かしい、革と血の混じった香り・・・
少女の口許が真一文字に結ばれる。弾力ある拳が自ら潰れながら骨にめり込む激痛が、おれの最後の迷いを断ち切った。
「行こう・・・」
「うん・・・時間がないわ・・・わたし達には」
おれと少女の最後の冒険が、いま始まった。それは、おれが初めて挑戦する、「誰かの為に」命を賭ける冒険だった。


先を進む少女。歩みのたびに踵が一瞬沈むが、浮き上がる。おれは今、なぜ少女が川面を歩けるのか、わかる気がした。
二度にわたっておれの侵入を拒み、躰と魂を犯し尽くした、魔性の川・・・魔性の少女・・・そして、魔性の双拳・・・
波打つ金髪を見上げる。甘く苦く紅い想い出が涼やかに脳内で弾ける。気が付くと、おれ達は向こう岸に着いていた。


「・・・抱いても・・・いいよ」
未知の体験が待つ、未踏の地。燃える高揚感が、おれを大胆にした。震える腕が、繊細で精緻なその躰を、抱き上げた。
触れた瞬間、両腕を刺す痛みに声を上げてしまいそうになる。おれが自ら少女の躰に触れたのは、これが初めてだった。
「・・・冷たい?ふふ・・・わたし、ニンゲンじゃないよね・・・わたしって・・・何なのかな・・・?」
長い脚を宙に遊ばせ、視線を彷徨わせながら、少女は自嘲的に笑った。こんな憂いを帯びた表情は、見た事がなかった。
激情が、燃え上がった。確かに少女の肌は痛みを感じる程に冷たい。しかし、それは生を失った冷たさとは、全く違う。
方向性は真逆だが、躰には「生ある凍気」が充満している。凍て付くような、息づく命の確かさがあるのだ。


川を境に、道は様相を変えつつ左へ滑らかに切り返していた。蝦夷松に代わり、立ち並ぶ七竈の枝に残雪が積もっている。
晩秋の紅葉が美しい樹だ。鶫や椋鳥に食われたのだろう、赤い実は一つも残っていない。七竈酒の清冽な苦味を思い出す。
かつて、少女に聞いた事がある。七竈は魔を祓うと・・・あの時のおれは、少女の邪悪から逃れる為に樹の霊力へ縋った。
そして今のおれは、この樹に導かれ少女という未知へ挑むのだ。澄み切った大自然の中、躰と魂の熱が交換されていく。


腕から奪われゆく熱が、沸々と胸の奥から沸き出し続けるのがわかる。「愛おしい」とは、こういう気持ちなのだろう。
投げ捨てた荷より更に軽く儚い、柔らかな少女の重みが、腕に心地良い。顔面と拳、血と血、命と命で通じ合った二人。
吹雪すら涼しく感じるおれ以外に、この少女を抱ける者はいないだろう。確信した。おれと少女は「対」の存在なのだ。
「熱っ・・・痛い・・・!」
「痛いかい・・・おれもだ・・・!この痛みこそが、生の証し・・・!きみの拳が、おれに教えてくれた命の尊さだ・・・!」


少女の華奢な背を、柔らかな太腿を、更に強く抱き締める。少女にあの悪戯な、残酷な程に歪んだ笑顔が戻ってくる。
「ふ・・・くふふっ・・・!変なの・・・!あははは・・・!」
これからおれ達は、生命で・・・「痛み」で、遊ぶのだ。誇りある存在として、命を融かし尽くす最期の遊びを・・・!



連志別川(八) 二人の冒険者


おれ達の躰と魂の熱が平衡状態に達した時、右手方向に崖が聳え、左手からあの川が迫って来ている事に気が付いた。
雪道は細くなり、ついには行き止まりに達した。川の左岸も、高い岩崖になっている。あの川の源流に辿り着いたのだ。
少女はおれの腕を足場に跳躍すると捻りを加え、舞うように川面へ着地を決めた。痺れるような余韻が腕に残っている。


「こっちよ・・・ついて来て」
少女は、川に消えた。大股で五歩余りの幅の水源・・・いや、おれが水源だと思ったその横穴には、まだ奥があった。
水面の下だ。おれは息を止め、扁平な水路を遡り泳いだ。真っ暗な水中を、少女の残す凍気だけを頼りに進んで行く。
清らかな気持ちだ。この地に来てから、人と自然全てが、この少女のもとへとおれを導いたような気がしてならない。
いや、運命はそれ以前から定められていたのかも知れない。未知なる目的地へ続く暗黒の水中洞窟は、延々と続いた。
息が苦しくなってきた頃、ふっと冷たさが和らいだ。目を瞑ったまま我武者羅に水を掻くと、硬い何かに額をぶつけた。


おれは立ち上がった。空気がある。地響きのような轟音が耳を劈き、立ち上る水煙にむせ返る。ここは、滝壺・・・!
遥か真上の水源から、夥しい量の水が白い柱と化し、目の前に放物線を描き注いでいる。おれは、少女の姿を探した。
左にも右にも、居ない。おれは、全てを悟った。そして「自ら望んだ」運命の引鉄を引くべく、滝の向こうへと叫んだ。
「いつでもいい・・・!さあ、やってくれ・・・!!」


直後、瞼の肉すら軽く貫く銀の閃光と共に、真正面から氷の嵐が巻き起こり、おれは水平に吹き飛ばされ岩壁へ激突した。
斬り付けるような窒息感と、背後と頭上を襲う清冽な痛みはすぐに麻痺し、滝の轟音が消えた事に気が付いた。
恐る恐る、瞼を開く。五歩四方の正方形の空間は、吹き抜けになっていた。濛々と立ち上る水飛沫を受けていた壁面は
磨き抜かれた大理石の如く滑らかな氷壁と化していた。乱反射し極限に増幅した日光が、少女の姿を瑞々しく照らし出す。
荘厳なる静寂の中、自らの終の舞台に立ち尽くし、おれは思った・・・「おれは冒険者になってよかった」と。


脚は滝壺に膝上まで浸かって凍り付き、後頭部と岩盤の間は厚い氷壁に埋められ、両腕は指一本動かぬよう封印され
頭頂には堅牢な氷の兜が完成していた。烈風に歪んだ滝が壁伝いにおれを叩き付け、そのまま氷に閉ざしたのだ。
おれは、第一の逢瀬・・・氷を蹴り加速する華麗な足捌きと急減速を活かした少女の拳の齎す激痛に、想いを馳せた。
そして、第二の逢瀬・・・身動き一つ取れず衝撃の逃げ場のない状況で受ける少女の拳の齎す恐怖に、想いを馳せた。
少女は、完全なる平面と化した氷面に立ち、おれを僅かに見下ろした。死を孕んだ静寂に、己の心音のみが響き渡る。


氷上に置かれた紅の砂細工が、光を反射しておれの眼を撃った。上の皿から完全に砂が落ち、上下が返されたその直後
全く視認出来ぬ足捌きで、少女の顔が肉薄した。少女の脳とおれの脳が、互いの額の皮膚と頭蓋を通して接触している。
「暫く、眼を閉じて・・・これが、わたしの技・・・・・・・・・痛さは、ふふ・・・お楽しみよ・・・」
未知の拳闘技が、瞼の裏に生々しくも流麗な映像を伴って、次々と清冽な凍結感と共に脳へ刻み込まれて行く。
額が離されると、両の拳を激しく叩き合わせる音が、均等な間隔で響き始めた。砂は、丁度三分の一程度、残っている。


「百八十・・・わたしの全てを、その命で知ってもらうわ。あなたを・・・『お兄ちゃん』に、してあげる・・・!」
全身の血流が加速する。混乱の中、空間に反響する爆裂音を数えつつ、おれは少女の言葉の意味を、必死に追い続けた。
砂が尽きる六十弾目の代わりに、「右の正面撃ち」がおれの鼻に迫り、寸前で止まった。仰け反る事すらも、許されない。
次にあの砂の瓶が返れば、もう二度と「戻れない」破滅が待っているのだろう。心拍で四百、いや、五百余りか・・・?
半身から斜めに躰を傾け、柔らかに髪を揺らしながら真っ赤な二つの拳を構え、美少女はおれの決断を待っている。
これが己の意志を言葉で伝える、最期の機会になるだろう。おれは、少女の匂いを胸一杯に吸い込み、魂を絞り出した。


「きみを、愛している・・・!おれの命で、きみを知りたい!・・・さあ、来い!おれを・・・砕き尽くしてくれ!!」
時と命を刻む硝子細工は、返された。流れ落ちた真紅の砂は、決して戻る事はない。


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連志別川(九) 魂を導く閃光


かつておれは、あの村で少女と過ごす安らぎの中で、この子の為ならば「死んでもいい」・・・そう、心から思っていた。
「死」は今、おれの眼前に「右正面撃ち」という実体を得て迫っていた。少女は氷上を激しく舞う脚捌きの魔性により
全身に秘められた狂威を拳に集約し、おれは背後に聳える硬い氷壁によりその拳圧を逃す事すら許されない。
二度の経験が否応なく恐怖を累乗させ、非情な計算結果がおれの宇宙を赤黒い「死」の血文字で瞬時に埋め尽くす。


死を忌避する獣の本能がおれの眼球筋をかつて無い程に怒張させ、人間の成せる極限を超えて刹那の視覚を研ぎ澄ました。
右脚の爆発的な踏み込みが、左脚による急停止が、四肢関節の捻りが、一撃を織り成す少女の百の躍動が、初めて見えた。
神経と筋肉が奇跡的な連動を発揮し、おれの腕に最速で司令を下し顔面を庇おうとする。だが、しかし、動かない・・・!
迫り来る死の拳。戦慄の足掻きに腕の血管と理性が千切れていく。「見える」事が齎したものは、更なる絶望だけだった。


右正面撃ちの直撃を受けた鼻の骨は無惨にへし折られ、死を覚悟した本能が子孫を残すべく袴の中で精を搾り散らせる。
のたうち回る事も泣き喚く事も許されず、美少女の軽やかな「左弾き撃ち」が鼻を挫き視界を一瞬の内に朱に染め上げる。
正確に急所を捉える左弾き撃ちは、背後のある右正面撃ちと同等の威力でおれの鼻梁を異音と共に弄び苦悶に喘がせた。
無限に弾ける激痛と恐怖が、打撃を数える暇すら与えない。


迸る血潮が霧と舞い、喉に絡み付き呼吸を阻む。溢れ返る己の鮮血に噎せ返ると、砕けた前歯が勢い良く飛び出してくる。
舞台のみでなく少女の拳質そのものが、今まで二度の逢瀬とは全く違った。殺す者としての「覚悟」が、拳に漲っていた。
可憐で華奢な、年端も行かぬ美少女の流麗な拳闘技が、確実におれの命を殴り潰し死の淵へと追い詰めて行く。


おれは「殺されたくない」と願った。いつまでも、少女と遊んでいたかった。この甘い苦しみに、悶え狂い抜きたかった。
倒れる事も降参する事も逃げ出す事も出来ず、後ろに仰け反る事すら敵わない。
限りなく狂気に近い正気と狂気の狭間で、脳へ直接響き輻輳する左拳の破裂音と己の心音の嵐に漂いつつ、おれは想った。
眼前の少女は・・・持てる技巧の全てを以って、おれの肉体と精神を、少しも容赦せず「殺し」に来てくれている・・・!
かつてない興奮に体液が沸騰する。そうだ。これこそ究極の「勝負」だ・・・!勝負があるからこそ、遊びは面白い・・・!
脳が融ける程に狂熱している。迸る鮮血の鞭が少女の顔を朱に舐め上げる。その舌が艶かしくうねり、血潮を舐め取った。


一陣の雪風の如く舞い、距離を取る少女。休み無く交錯していた視線が、一刹那だけ逸らされ、再び互いを見つめ直した。
真紅の砂は、まだ八割以上残っている。戻された視界に紅い閃光が瞬く。右の兇器が異形の顔面に、痛烈に正面衝突する。
骨の砕片が内部組織をずたずたに斬り裂き、雄叫びと共に滾る鮮血が全方位に飛沫と化して撒き散り空間を狂気に閉ざす。
一切手心を加えぬ少女が、心底恐ろしく、そして愛おしかった。勝負は、賭けるからこそ面白いのだ。
そして最も魂の震える賭け物は、己の「命」・・・!これこそが、おれが求めていた「冒険」なのだ・・・!


左弾き撃ちの狙撃点へ、一瞬の隙も無く正確に右正面撃ちを抉り込む・・・真紅の二連弾「重ね撃ち」の連打が始まった。
拳の点滅の狭間に垣間見える、血煙に舞う少女。その表情に変化が生じ始めた。おれの顔から、もはや表情は読み取れまい。
その肢体が躍る度、肉を潰し骨を砕く手応えと共に生命の狂奔が伝わり、狂気の微笑を呼んだのだ。
人間を壁に追い詰め、鮮血に舞い踊り砕けた顔面を殴り続ける。それは誰もが吐き気を催し眼を背ける殺戮、残虐行為・・・
しかし、おれ達を結ぶ信頼の視線は一刹那たりとも交錯する事をやめない。奈落の責め苦に血の泡を吐き、嗚咽と絶叫を
迸らせる度に魂が熱く滾り、人生最高最期の絶頂の連続に熱狂し、熱狂に加速する少女の拳がおれを更なる奈落へと誘う。
それは「覚悟」した者同士だけが成せる、地上で最も満たされた暴力の連鎖・・・顔面と拳による、魂と魂の会話だった。


湿りきった破裂音の中、意識と無意識、生と死が交じり合い、過去と現在すら融け合い始めた。
人は道半ばでその生涯を閉じる時、最も愛した人の面影を心に描きながら旅立って行くのだという。
命の火消えるその瞬間まで、最愛の少女は、「愛死合う」このおれを見つめていてくれる・・・
腫れた瞼の奥から止め処なく血の涙が溢れ、少女の振るう真紅の双拳が熱い液体をおれの体内へと撃ち戻し続けた。



連志別川(九) 魂を導く閃光


――・・・おれの声が、聞こえるか・・・!?大丈夫か・・・!?もう熱は、ないのか・・・!?
――ふふ・・・だいじょうぶよ・・・わたしに「熱」なんて、ないから・・・
――よかった・・・きみにもしもの事があったら・・・おれは・・・!


滲む少女の姿が、眼界から消えた。その直後、爆発音が足下から轟き、氷を伝わった爆滅の波紋が滾る涙を凍て付かせた。
鋭い脚蹴りと膝関節の反発により二重の狂威を纏った真紅の右拳・・・「掬い撃ち」が、垂直におれの顎へと迫り来る。
おれは半死半生の躰に残された最期の力を振り絞り、仰け反った。後頭部が氷板に擦れ、狂騒に皮膚は破れ関節は砕けた。
艶やかに張り詰めた右拳が顎を正確に捉え、骨と肉を押し潰し奥歯を強烈に噛み合わせる。ここまでは川面と同じだった。
破壊は、終わらない。頭頂の氷冠はこの刹那、処刑具と化した。氷と拳が形作る顎は、おれの頭蓋を限界を超えて噛み潰し
鼓膜ではなく脳へ直接、骨が砕け命が軋む響きを感じさせた。少女は拉げた下顎へ拳を埋めたまま、あらゆる傷口から
噴出する高圧の鮮血が、その伸びやかな脚を、引き締まった臍を、端正な顔を穿ち付ける刺戟を楽しんでいるようだった。
少女を外れ頭頂の氷に吹き付けた鮮血は瞬く間に凍り付き、紅く輝く無数の氷柱となっておれの眼前に垂れ下がった。


――あの恐ろしい悪魔が棲む川は・・・何と言う名前なんだ?
――・・・名はないわ。みんな、「ペツ」・・・ただの「川」と呼んでる・・・
――そうか・・・あの川に、名はまだないのか・・・


おれの鮮血を吸い成長して行く氷柱の奥で、朱を頭から被ったように濡れた少女の金髪からも、氷柱が垂れ下がっている。
おれ達はお互いの有様を見て、吹き出し合った。噎せ返る拍子に、砕けた奥歯の破片が鮮血に混じって転がり出してくる。
再び、同時に眼を逸らすおれと少女。時を刻む硝子、滴り落ちた血のように紅い砂は、間もなく半分に迫ろうとしていた。


僅か数拍の空白の時間でさえ、おれの意識を永遠の無へ引きずり込もうとする。血の結晶を振り飛ばし少女が肉薄する。
横薙ぎの旋風が、硝子板を割るように悲痛な激突音を響き渡らせた。氷柱を斬り落としたのは、左の「巻き撃ち」だ。
返す右巻き撃ちの連打がおれの顎骨、瞼を射ち砕き、左頬を撃ち抜いたまま横面を氷板へ縫い付けた。眼球筋がブチブチと
切れる異音を聞きながらも、左眼で必死に少女の姿を追うと、左右の兇弾がおれの左眼へ、左頬へ、命へ一挙に殺到する。
おれの全ての「血」を搾り出さんばかりの容赦無き破滅の乱舞に、魂が震える。一拍おいて、今度は鼻面に左拳が炸裂し
首が正面を向く。逆に踏み出した右脚を軸に腰を斬るように捻り、遠心力を骨まで砕く破滅の力と化し左拳へ乗せてくる。
左の巻き撃ちがおれの逆頬を氷壁に激突させ、開放された少女の狂気がおれの右の眼窩と頬骨と魂を滅多打ちに撃ち砕く。


――これだけは教えて欲しいんだ・・・きみの事を・・・なんと呼んだらいい?
――あなたは名前を付けるのが好きなのね・・・わたしに、名はないわ・・・いままでのように、「きみ」と呼んで・・・
――きみ・・・か。きみと一緒にいるだけで、おれは心が安らぐ・・・きみと暮らしていたい。いつまでも・・・


太陽はますます狂気を増し、この正方形の異空間を焼き付けている。滑らかな氷壁は、おれの正面のみではなく左右すら
完膚無きまでに血で塗り潰されていた。射し込む日輪が紅の光線に乱反射し、艶かしく幻想的に少女の肢体を照らし出す。
下顎を叩き潰す右巻き撃ちが、幻想から現実へ、死から生へとおれを叩き戻す。鼻への重ね撃ち十連が、命の鼓動を刻む。
もはや、顔を庇おうとする腕の反射すら、起こらない。おれは少女の拳打が齎す信頼ある苦痛に、魂すらも委ねていた。
おれの躰は、既に死んでいた。顔面を少女の拳が抉る度、真紅の稲妻がおれの脳へ轟き、止まった鮮血を狂奔させるのだ。


左弾き撃ち右正面撃ち左弾き撃ち左弾き撃ち右掬い撃ち左弾き撃ち左弾き撃ち左弾き撃ち右正面撃ち右正面撃ち・・・
屈辱が、煩悶が、爆裂する血の激憤がおれの生命を熱く滾らせ、新たな狂気を振り絞らせ更に少女の拳を冷徹に洗練する。
重ね撃ちの紅い閃光がおれの視界に拡がる。鼻血を掻い潜り肉薄した少女の左掬い撃ちが頭蓋を異形へと圧し潰す。
軽やかに氷面を舞う妖精の脚捌きに見とれる暇も無く、鋭い右正面撃ちが顎を撃滅し鼻を貫く左弾き撃ちに息を吹き返す。
左弾き撃ち左弾き撃ち左巻き撃ち右巻き撃ち左巻き撃ち右掬い撃ち左弾き撃ち右正面撃ち右踏み込み正面撃ち・・・
刻一刻と「その」瞬間が近づくごとに、躰の狂騒が、魂の昂奮が、そして少女の拳が更なる未知の領域へと加速し続けた。



連志別川(九) 魂を導く閃光


――きみの家族に挨拶がしたい・・・お父さんとお母さんは、どこにいるんだ?
――・・・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・・
――・・・・・・すまん・・・悪かった・・・・・・おれには、親父もおふくろも、いないんだ・・・


もはや、眼球を動かす活力を振り絞るだけで、恐るべき努力を必要とした。生命を映す紅い砂は、幾ばくも残っていない。
異変が、起こった。口で息を吸う事も、鼻で息を吸う事も出来ない。溢れ出す鮮血が呼吸を阻害するだけでは、なかった。
それは生ある人間として逃れ得ぬ宿命・・・その時の到来を示していた。最期の言葉を絞り出す事すらも、許されない。
全身を狂奔し鼻腔を逆流した鮮血と肉片と砕けた歯に混じった激情の泡が、半開きの口から力なく漏れるばかりだった。


少女の拳が二度打ち鳴らされ、おれの声なき断末魔は破裂音に閉ざされる。直後、衝撃波が激痛と共に顔面で爆裂した。
鼻が打たれ、頬が拉げ、顎が潰れ、瞼が弾け飛ぶ程連打され鼻が砕かれた。拳はおろか、肘から先を視認する事すら許さぬ
まさに神速の連撃・・・人間の視覚の限界すら超え、少女は加速し続ける。左か右かも、何発撃たれたかも、判らない。
おれはこの期に及んで、少女の未知なる拳を感じる昂奮に打ち震えた。極限に爆裂する心拍と心拍の間に二度顔面が弾け
激痛を追い抜いて新たな拳が顔面を捉える。次に気を失う、その瞬間が・・・おれにとって少女との永別の時だろう。


鼓動が急激に遅くなる。ついに、終わるのか・・・重ね撃ちの十八連打から巻き撃ち気味の右正面撃ちの七連弾を鼻に浴び
飛び散るや否や無数の氷晶に煌めく鮮血に包まれながら、おれは違和感を覚え始めていた。何故、迫る拳が見えている?
躍動する少女の肢体が神秘の白銀に輝く。極低温の波動が脳を凍て付かせ、残された生の時が無限に引き伸ばされて行く。
右の掬い撃ちが残った奥歯を砕く。鋭い正面撃ち気味の左弾き撃ちの直撃に、砕けた歯と鼻の軟骨が混じった鮮血が
噴出した直後水平に凍り付き、渾身の右正面撃ちが血と骨の氷条を破砕しつつ顔面へ炸裂し左巻き撃ちが眼窩を撃ち砕く。
失神する一瞬の隙さえ与えぬ、未知へ加速する拳。止まり行く時の中、おれは最期まで生を燃やし尽くせる喜びに震えた。
魂の叫びは、伝わった。そしてその想いが、無上の拳で返される。おれは本当に、この子に出会えて、よかった。


――この間は、ごめんなさい・・・・・・あなたも、ひとりだったのね・・・
――おれこそ、すまなかった・・・・・・ああ、ひとりぼっちだったさ・・・
――・・・いたわ。お母さんが、遠い北に・・・お父さんの顔は・・・・・・・・・知らない・・・・・・


砂が、空中を泳いでいる。一粒一粒の回転すら、見える。
今はただ存在する事だけが、少女の愛におれが応え得る、唯一にして最大の表現だった。


少女が踏み込んでくる。爆裂する右の蹴りは厚い氷に亀裂を入れる程に激しく、弾丸の如く地を這う姿から見上げる表情は
無邪気におれを弄んだ拳魔「川の少女」そのものだった。新鮮な懐かしささえ覚える恐怖に、更に時が凍り付いて行く。
左足が氷を噛み止める。靡く髪一本一本の躍動すら、見える。直後に右足が再び氷を蹴り、二段構えの爆発的加速を以って
鋭角に撃ち出された右の拳が、張り詰めた革肌を自らの拳圧に歪めつつ、煌めき漂う紅の結晶を斬り裂き迫り来る。
最後の一粒の砂が、落ち始めた。


――あなたを・・・「お兄ちゃん」に、してあげる・・・!


少女とおれの、温かで冷たく、そして柔らかで激しい愛情が融け合った切ない一撃が、おれの魂の最奥へ融け込んで行く。
既に原形を留めぬおれの鼻梁を右の拳が押し上げ、最高最期の激痛が全身の神経を稲妻の如く駆け巡り焼き滅ぼす。
確実なる死をその肉質に秘めた右拳は、逃げ場の無い狂圧に自ら限界を超えて潰れながらもおれの顔面を斜めに貫き砕く。
そしてあらゆる肉と骨、組織を巻き込み粉々にすり潰すと、聴覚を滅ぼす猛爆音と共に溢れる激情を脳へ向け開放した。
後ろにも上にも開放されぬ致命の衝撃が、顔面から全身へと駆け巡り、おれの魂を純化させて行く。
全身の血液が、人間としての最期の生命の火が頭蓋へ集中し、極限に圧縮され右拳と顔面の僅かな隙間から紅の刃と迸る。
鮮血は瞬く間に凍り付き、静止しつつある廃空間に無数の紅い氷華が彼岸花の如く咲いては散った。


そして・・・時は、止まった。
落ちた最後の砂粒も、空中に散った血の華も、おれに駆け寄る少女すら、全ての映像が静寂の時空の中で凍結していた。
柔らかな白銀の光が、止まった世界に満ちてゆく。おれはその閃光に導かれるままに、魂を委ねていった。


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連志別川(十) 極北へ続く道


最期の一瞬までおれは、愛する少女に看取られ生涯を閉じる安らぎと、少女との永別が訪れる悲しみの狭間で揺れていた。
少女の顔が、おれの為に涙を零すまいと唇を噛み締め、精一杯に作った悲しき笑顔が、静止したまま光の幕に融けて行く。


「この声が聞こえますか・・・冒険者よ・・・」
凍結した白銀の静寂に割り込んで、魂へ直接、女の声が響いてくる。誰かは分からないが、鈴の鳴るように涼やかな声だ。
「選びなさい・・・最期まで人間として生を全うするか・・・死よりも苛酷な『血の運命』を生きるか・・・」


喉を、次々と液体が通過して行く。それは氷よりも遥かに冷たく、未知の濃厚な生命に満ちていた。触れた唇と唇を通じて
慈愛が躰と魂へ沁み渡る。再び動き出す鼓動に血潮が激しく「逆流」し、「生ある凍気」が四肢へ満ちていくのがわかる。
五感が戻っても、おれは少女を「冷たい」とは感じなくなっていた。子が母の乳を求めるかの如く柔らかな唇を吸い返すと
それを待っていたかのように、少女は風に舞い距離を取る。唾液の糸が水平に引かれ、空中に水晶の粒と化して散った。


燃える夕焼けが血氷の壁に乱反射し更なる深紅に煌めき、少女の顔を、涙に濡れそぼった唇を、紅く熱く染め上げている。
「さあ、次の『冒険』の始まりよ・・・『お兄ちゃん』を、わたしの拳でめちゃくちゃにしてあげるんだから・・・!」
氷壁に激突した硝子細工から紅の砂が零れ出す。その衝撃音こそ、二度と後戻り出来ぬ運命の幕開けを告げる合図だった。


少女は正方形の端へ飛び退くと、俯いたまま儚い肩を細かく震わせた。隠された表情が、ひび割れた氷面に映っていた。
一瞬の間に、少女の姿が接近し遠ざかりまた肉薄する。鼓膜を震わせる響きが音の刃と化し、両耳の肉を斬り裂いて行く。
少女は再び、意志を持った弾丸だった。あの川で魅せた氷を穿ち疾駆する足業に加え、氷壁をその弾力ある右拳で撃ち
更に自らの背後の氷を蹴る反射を繰り返す躰捌きの神技により、まさに少女は未知へ挑む白銀の跳弾と化していた。


耳から頬へ、そして鼻へ、狂怖の切先は新たなる「生」の中枢へ徐々に迫り来る。猛爆は、それを視認する前に齎された。
痛みの、桁が違った。おれは美少女の鋭い右正面撃ちにより鼻を折られる激痛に痙攣する暇も無く、次の右正面撃ちが
鼻骨を挫く激痛に悶え抜き、無数に迸る右の正面撃ちが整った鼻梁を際限無く砕き潰す熾烈なる激痛に踊り喘ぎ狂い続けた。
それを見た「人間」は悉く失明し気を違わせるであろう、人倫を超越した殴滅の奈落、無限の生地獄がそこにあった。
おれは少女と魂を通わせ、人間としての死を克服した。そして、その代償として「死よりも苛酷な運命」を背負ったのだ。


「・・・どう?わたしの拳の味は・・・ねえったら、『お兄ちゃん』・・・!?」
おれは自ら選んだ血の運命に、負けたくはなかった。それこそが、誓った愛を真に受け容れ少女を守るという事だからだ。
幾十もの致死の右拳・・・その折り重なった狂滅の波紋が氷に亀裂を入れたのか、紅く轟く激痛の雷撃に悶えのたうち回る
肉体の狂騒がついに右手の先の氷を貫き破った。おれは全身に漲る愛を振り絞り、掌を向けた指先を揃え、曲げて見せた。


「・・・くっくっ、うふふっあははははっ!・・・どうして、かな・・・いっけないんだぁ・・・『お兄ちゃん』・・・!!」
本当だ。どうして、おれ達はこうなのだろうか・・・少女の、不安の檻から解き放たれた宝石の涙に咲き誇る満開の笑顔を
見ている内に、そんな事はもはや、どうでもよくなってしまった。おれは、この子の「お兄ちゃん」・・・それで、充分だ。


真なる愛は、重く鋭く、痺れる程に痛かった。恐らくかつて時を歪めていた凍気は、痛覚すら麻痺させていたのだろう。
厚い氷を蹴破らんばかりの脚の爆震から、一撃必滅の掬い撃ちが放たれる。狙いは過たず右拳がおれの「鼻」を潰す。
更に左拳が、右拳が、瞬時に再生した鼻骨を垂直にへし折り潰し続け、剥き出しの痛覚が魂を狂気の渦へと巻き込んで行く。
細い腰を捩じ切れる程に捻り、逆転の弾みをその脚で噛み止めた凄絶なる右巻き撃ち。やはり標的はおれの「鼻」だった。
全力で振り抜く度に更に反動が逆拳に上乗せされ、一度しか味わえぬ鼻骨粉砕の破滅的恐怖を無限に齎してくれる。


かつて不死人が永劫に受ける苦しみを描いた物語を読んだ事がある。おれは今、少女の為だけに造られた生ける巻藁として
人の道を外れてしまった罰を受けているのかも知れない。だが、後悔は無かった。この子の為ならば、いつ如何なる時でも
命を投げ出す覚悟があったからだ。この子を守り抜くと、生と死の狭間で固く誓ったからだ。おれは、運命に勝ったのだ。



連志別川(十) 極北へ続く道


おれと少女を縛っていた最後の「箍」が外れ、同時に爆裂した血の絶叫が螺旋に絡み合い奈落の底から天空へと昇華する。
開放された力、死を超え加速する疾風怒涛の脚捌きはおれの知覚の壁を破り、少女の紡ぐ光の幻影は質量を持つに至った。


明滅する少女達の残像が、艶やかな深紅の軌跡に交差しつつ迫り来る。左弾き撃ち右弾き撃ち、左正面撃ち右正面撃ち
そして左掬い撃ち右掬い撃ち・・・吹き荒れる血と拳の暴風雪に、おれは呻く事も喘ぐ事も許されず翻弄され続ける。
神なる光の拳は重く鋭さを保ちつつ繊細を極める精度でおれの鼻梁へと殺到し、倍の速度で骨と魂を粉砕しては蘇らせた。
愛に染められたおれの本能はこの無限奈落においてなお、その拳を、死を願う程に幸せな少女との遊戯を貪り求めていた。
溶鉄の如く滾る鮮血は己の凍て付いた鼻腔すらも焼き、氷結の舞台を斬り裂く紅の熱線と化し濛々たる噴煙を巻き上げる。


――「訊いてもいいか・・・いっ、『妹』って、なんて言うんだ・・・?」
――頭巾の奥からおれを見下ろす眼が、一瞬だけ丸く見開かれた。
――「えっ・・・!?・・・ふふっ、どうして・・・そんな事を『わたし』に訊くの・・・!?」
――おれは思わず、唾を飲み込んだ。
――「そっ、それは・・・それは、おれが、きみの・・・」
――喉まで出かけたおれの次の言葉を遮って、少女は白く濡れた唇を、柔らかに開いた。
――「一度しか言わないわ・・・よく覚えて・・・『トゥレシ』・・・よ」
――少女は更に目深に頭巾を被り、その表情を隠した。
――「そうか、『トゥレシ』と言うのか・・・いい、響きだな・・・」
――刹那に消えた、子を見つめる母の如く暖かな、少女の眼差し・・・


・・・じゃあ、おれの事は『お兄ちゃん』と呼んでくれ・・・
村でその想いを告げられなかった事が、最大の心残りだった。
今おれは最愛の人、おれを「お兄ちゃん」と呼んでくれる少女の拳に囲まれ、気が狂う程の甘く苦い死合せに悶えていた。


灼熱の血条を掻い潜る、氷の妖精達の夢幻輪舞。髪を鞭の如くしならせる上半身の躍動は視覚を追い抜いてなお亢進を続け
反動が更なる反動を呼び、美しき少女達の幻影がおれの眼界を埋め尽くす。痛覚すら追い付かぬその拳は掬い撃ちとも
巻き撃ちとも、もはや名を付ける事も敵わなかった。未知の狂威が、あらゆる方向からおれの顔面へ襲い掛かった。
横殴りに突き上げる拳が、袈裟懸けに振り下ろされる拳が、そして垂直に猛爆する拳が鼻柱を弄び無限無窮に粉砕する。
共鳴する脚の激震と拳の衝撃波に、塗り重ねられた周囲の血氷が剥がれ落ち、熱い鮮血が瞬時に岩壁を朱に閉ざして行く。


五感すらも容易に超越し苛速する少女の疾さへ、残像と激痛で懸命に追い縋る。齎された新たな生を重ね行く瞬間の全てが
縦横無尽に迸る少女の愛により、禁断の輝きに塗り潰されていた。妖精達の舞いはあらゆる軸からおれの顔面を責め苛み
おれに残された人間としての熱い血を吸い取り、「お兄ちゃん」として魂を純化させ続けた。


異変は、始まっていた。少女の肢体を幾十層にも覆っていた血の氷膜が融け崩れ、無垢なる神秘の白が露わになって行く。
沈む事を拒むかの如く、真っ赤に狂熱する太陽。ついに「雪融けの季節」は、訪れたのだ。川を渡る直前、少女は言った。
「時間がない」と・・・その意味が、いま漸く解った。滂沱の涙が溢れ出し、頬の鮮血を熱く融かして行くのがわかる。
少女はその左拳でおれの顎を持ち上げると、その儚い体重を掛け、腫れ上がった瞼を血に塗れた右拳で、優しく拭った。


「・・・泣かないで・・・わたしのたった一人の『お兄ちゃん』・・・」
悲しみに震える唇に割り込んで、少女の柔らかく濡れた舌の肉質が入ってくる。恐る恐る自らの舌を絡め、唾液を貪る。
白銀の極光がおれの宇宙へ直接沁み渡る。絶対の凍気がおれの不安すら凍て付かせ、残された時を急激に拡張させて行く。
「・・・だいじょうぶ・・・また、逢えるわ・・・!あなたは、わたしの『お兄ちゃん』になったばかりなんだから・・・!」


少女は涙の雫を振り飛ばし距離を取ると、半身から斜めに躰を傾け、赤く艶やかで禍々しい二つの拳を顎の高さで構えた。
それは初めてあの川で体感した、未知の拳闘技の構えそのものだった・・・その右拳が軋む程に絞られ、左拳と同じ方向を
向いていると言う事を除けば。おれは死合せの渦の中で、与えられた最期の愛を振り絞り、氷を砕き両手で少女を招いた。



連志別川(十) 極北へ続く道


その右脚が氷を力強く噛み締め数多の蹴りを重ねるごとに、光の少女は太陽を斬り裂く氷結の弾丸と化して、逃げ場のない
磔のおれへと加速する。爆滅する狂気が一瞬を千の刹那に分かち、おれの最期の記憶へ少女の凛々しき勇姿を刻み付ける。
純白の左爪先が氷を突き砕き、光の速力がそのしなやかな脚を、円やかな腰を、少しでも強く抱けば折れてしまいそうな
儚い肢体を伝い、激情に張り詰めた右拳へ完全に充填される。獣の絶叫と共に撃ち出された禁断の一撃「螺旋正面撃ち」は
自らの血塗られた運命に哭き叫ぶかの如く唸りを上げておれの顔面の中心へと迫り、「逆さまに」着弾した。


恐るべき暴打は触れた鼻骨を容易く砕き尽くし、おれの肉へ、魂へと喰い込んだ右拳は更に渦を穿ち竜巻の如く突き進む。
猛り狂う破壊の螺旋輪舞に、鼻骨を支える頬骨、上顎骨までもが残らず粉々に潰滅され、骨と肉と神経が一挙に摺り潰れる
未知なる激痛が止まり行く時の中で無限に増殖し理性を斬り刻み滅ぼし尽くす。永劫の昂奮に満ちた一瞬がそこにあった。
そして、その甲を真横に向けると、約束の拳はその秘められた激情を開放した。柔らかく峻厳なる愛に満ちた撃滅の狂気は
既に亀裂の入っていた背後と頭上の氷壁を粉々に粉砕する。そして顎から、瞼から、砕き尽くされた鼻と拳の僅かな隙間から
幾千万の閃光の矢の如く迸った最期の鮮血が、女神の如く慈愛に満ちた少女の眼差しを狂熱の幕へ閉ざしていった。


一刹那ごとに瞬く生と死の狭間でおれは、ついに「別れ」の時が来た事を悟っていた。だがそれは、悲しみの永別ではない。
雪融けの季節が来る限り、雪もまた降るのだ。少女の脚が最後の氷枷を踏み砕き、慈愛漲る右拳が顎へと垂直に迫り来る。
煌めく血の宝玉に彩られ、一陣の銀の風となって儚く散りゆく少女。おれは少女の拳に導かれ、茜色の天空へと融けて行く。
――また逢おう・・・愛するおれの「トゥレシ」よ・・・!
誓いの微笑みを交わす。再会を約束した別れ、それの齎す柔らかな安らぎに包まれながら・・・おれは静かに意識を閉じた。


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光の差さぬ暗黒の中で、おれは夢と現の狭間に這い回っていた。ここが、地の獄か・・・左の掌を壁に突き、辺りを探る。
壁や天井へ何度も激突し這い蹲る内に、あらゆる表層が氷に覆われている事がわかった。壁に滑らせていた手が宙を掴む。
長く狭い氷の階段を四つ足で登り切ると、外界から漏れる閃光が眼を貫いた。その驚愕が、おれの足を滑らせてしまった。
氷段を勢い良く転げ落ち、宙空に投げ出され、叩き付ける激流に呑まれ・・・そこから先は無我夢中でよく覚えていない。
躰中に残る鈍痛が生と「現実」を認識させる。おれは、あの正方形の舞台へ続く・・・七竈の立ち並ぶ渓谷に佇んでいた。


現実は、おれの想像を遥かに絶していた。七竈の真っ赤な実に、白銀の雪が積もっている。足下の浅い雪を踵で払うと
落ちて間もない紅葉が出て来た。今おれが生きているのは、冬・・・それも、雪すら降り出したばかりの「初冬」だ・・・!
まさか、時が戻っているとでも・・・?恐る恐る、川面に両足を乗せる。すると、ほんの僅かの間ながらも・・・浮いた。
時は、戻ったのではない。次の冬へと「進んだ」のだ。これこそが、あの子の「お兄ちゃん」になるという事なのか・・・!
全身に優しい凍気が漲る。おれは雪化粧した七竈の実に愛する少女とその拳を重ねつつ、小さな足跡を追って走り出した。


村へ真っ直ぐ続く足跡は、「あの男」のチセの前で消えていた。唾を飲み戸を蹴破ると、封じ込められた死臭が鼻を突く。
真新しい血潮が四方に飛び散り、天井からも雨のように滴っている。
男は跪き壁に凭れたまま、腫れ上がった瞼をおれに向け・・・「和人の言葉で」語りかけた。
「・・・ふん・・・やはりな・・・お前、も・・・来た、か・・・」
百の言葉の代わりに、渾身の足蹴りを一発くれてやる。部屋の隅まで吹っ飛んだその激震に、神棚から大鉈が転げ落ちた。
「・・・ふっ、ふふ・・・強く、なったな・・・・・・お前らが来るのを、待って、いた・・・さあ、行くが、い、い・・・」
「ああ、行くさ。どこまでもな・・・もう、会う事はない・・・・・・・・・・・・・・・ありがとうよ、クソ野郎・・・!」


地図を出し、指先を噛み切る。おれは艶かしくうねるその儚い川筋に沿わせ、自らの血で「トゥレシペツ」と書き込んだ。
眠る男の表情は血と涙に塗れながらも、穏やかだった。地図を押し込んだ重い給金袋をその顔へ投げ付け、村を後にする。
冒険者として、人としての・・・最後のけじめが、終わった。さあ、帰ろう・・・「お兄ちゃん」を待つ、「あの子の川」へ。



連志別川(十) 極北へ続く道


地吹雪舞う野道を駆け抜ける。藩の役目も、遠い故郷も・・・もはや俗世間での全てが、どうでもよくなっていた。
もうおれは、ひとりではない・・・あの子とならば、きっと、どこへでも行ける。その時、脳天へ稲妻の如く天啓が閃いた。
――そうだ、おれ達は「北へ」・・・いつまでも春の来ない、あの子と永遠を過ごせる、北の更なる最果てへ・・・!
それは決して戻れぬ、おれの生涯最大最期の冒険になるだろう。苦笑が漏れる。やはり全ての男は、親父の息子なのだな・・・


濛々と正方形の空間を包む水煙の中、あの子の姿を探す。滝の裏に入った直後、白銀の烈風が「天空」からおれを襲った。
眼を見開き、光の奔流へ懸命に抗う。その帯が風圧にほどけ、血に塗れた藍染めの装束が四角い太陽へ吸い込まれて行く。
舞い降りた神秘は、おれを僅かに見上げた。周壁へと滑らかに繋がる氷の摺鉢の底から、白く潤んだ唇が迫ってくる。
「おはよう、お兄ちゃん・・・ふふ・・・かっこよく、なったね・・・・・・お兄ちゃんが来るのを、待っていたわ・・・」
「きみこそ、ますます綺麗になった・・・待たせて、すまなかった・・・ちょいと、野暮用を片付けてきたところでな・・・」


柔らかい口づけの余韻と躰を包む清冽な拘束感の中、おれは雪道での幸せな思い付きを、余す事なく眼前の少女へ話した。
「・・・と、いう訳なんだ。途中で、きみのお母さんのお墓に・・・な、何で構えっ・・・ひっ、ひぃぶッッ!!」
右の螺旋正面撃ちが鼻面へ深々とめり込み骨を爆砕した。紅い激痛と共に、氷の檻の中で藻掻き喘ぐ懐かしい狂気が蘇る。
「あのね、お兄ちゃん・・・悪いけど、勝手にわたしのお母さんを殺さないでくれる?・・・それに、ふふ・・・」
血飛沫に濡れた少女は、おれの顎をその拳で慈しみ支えると、痺れる程に冷たい舌で迸る血潮を舐め取り味わった。


「この血・・・まだ『熱い』し、『薄い』わ・・・だけど、確かな『素質』の味がする・・・
北へ行くのなら・・・お兄ちゃんには、『もっと』お兄ちゃんになってもらわないといけないの」
――いったい、どういう事だ・・・!?血の、「素質」・・・!?おれは、「もっと」お兄ちゃんに・・・!?


「その前にお兄ちゃんに訊くわ。北は、どっちか・・・わかる?」
川は源流から、確か、南へっ・・・!思考を纏める暇も無く、左右の重ね撃ち六連が鼻を真芯から捉え血煙が氷霧と散った。
「くっふふ・・・ざーんねん。時間切れ・・・!北への道は・・・」
血と涙に溺れ悶えるおれに見せ付けるように、少女は今まさに鮮血を滴らせているその右拳を、真っ直ぐに天へ突き上げた。
「『ここ』よ・・・!今から、お手本を見せてあげる・・・!」
頭頂の氷冠まで響く脚震の恐怖に思わず目を瞑ると・・・少女は、忽然と消えていた。


今度は「横」だ・・・!足で氷面を捉え、背中まで伸びた金髪を靡かせながら、少女は大理石の如き氷壁を垂直に滑り上る。
「北へっ・・・!行くならっ・・・!他にっ・・・!道はないからっ・・・!この壁を登るしかっ・・・!ないわっ・・・!」
その落下の勢いを利して皿状の底面を駆け抜け、更に疾く高く舞い上がって行く神技。芳しい香りを孕んだ烈風と残像が
空間を左へ右へ斬り裂き続ける。少女は滝口の向いにある横穴に飛び移り腰掛け、脚を宙に遊ばせおれを見下ろしていた。


「お兄ちゃんの図体じゃ、無理ね。でも、安心して・・・ちゃんと『別の昇り方』を考えてあるわ」
少女は、続けた。
「吹雪も、拳も・・・全ての力は『お母さんの血』からもらったの・・・
お兄ちゃんにも、きっと流れているわ。わたしの力を、受け容れる力が・・・!」
氷を伝わって、少女の言霊が、隠された真なる願いが・・・おれの骨へ、魂へと響いてくる。おれは漸く全てを、理解した。
これが自ら選んだ「血の運命」の正体・・・!そして、その運命を切り開くものは・・・更なるおれの血、この子の拳だ!


「ふふ・・・全く、聞こえんな・・・百の言葉より、一の拳・・・おれ達はいつだって、そうだったろう・・・?
御託はいい・・・降りて来て、その生涯無比の拳で語ってくれ・・・!!おれは永遠に、お前のお兄ちゃんだ!!!」
「ふふ・・・ばかなんだから・・・でも、うれしい・・・!!お兄ちゃん、大好き・・・大好き!!!」


氷の火花を尾と散らし、加速する光輝の彗星と化して天から降臨する少女。狂い咲く満開の笑顔。骨すら砕く血の拳嵐。
おれは自らの鼻梁に、閃き迫る右拳を迎え容れ・・・少女と紡ぐ永遠への希望を胸に、白銀の光の中へ融けていった。


北への道・・・それは真なる「お兄ちゃん」を目指す、天へと続く血塗られた旅路。
未知へと挑む終わらない冒険・・・それは今、幕を開けたばかりなのだ。